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1月9日 ブルーマウンテンコーヒーを一杯【今日のものがたり】

 久しぶりに連絡が来た。
【明日、朝7時くらいに行ってもいい?】
 朝7時。お店の開店時間は8時と知っているから、最後に一応はてなマークをつけたんだな。
「あいつが来るってことは何か始まるってことか」
 ということはこちらもそれなりの準備をしておかないと。
(今度はどんな役なんだろう)

「おはよう。急にごめんね」
 翌日。連絡通り、7時きっかりにやってきた。
「うわ……めっちゃ寝起き!」
「え、なんでわかったの?」
「寝ぐせあるし、ノーメイクだし」
「メイクはいつも現場行ってからだし、寝ぐせは……まぁいいでしょ」
 あごをさすりながらカウンター席に座る。まだ、仕事モードになっていないのに、椅子に座る動きすらどこか洗練されたものを感じる。
「なに?」
「いや、オレのところに来たってことは新しい仕事が始まるのかなって思って」
「うん。今日、クランクイン。あ、秘密ね」
「わかってる。でも、本当に今日からなんだ」
「そうだよ。だからここに来たんだ。いい香りがするね」
「来るって言うから準備しておいたんだよ」
 オレは自信を持っていれたコーヒーをカウンターに置く。
 こっそり自分の分もいれる。厳密にはまだ開店前だからね、一緒に飲んでもOKってことで。
 それにしても。
 目の前にいる男が、世間では実力派と言われている俳優だなんてな。確かにこいつが出た作品は全部見てきてて、いつもすげーなって思うんだけど、本当に目の前の男が演じてるのか疑ってしまうくらい変わるから、不思議なんだよな。昔は結構やんちゃだったのに。
 でも、オレが将来、珈琲屋をやるって言ったら、仕事前に飲みに行くよなんて言ってくれて……そうか、あのときの約束を守ってくれてるのか。
 でも……
「どれだけ有名になっても、オレのこの店だけは紹介しないんだよな」
 芸能人が雑誌のインタビュー記事やテレビ番組のゲストで出たとき、おすすめのお店をあげたりすることがあるが、こいつは一度もオレの店を話したことがないのだ。
 まぁ、いいんだけどね。こうやって、あのころの約束を今も守ってくれてるだけでもありがたいことだし。
 なにより、いつも、美味しそうに飲んでくれるから。今みたいに。しかも、飲み干したコーヒーカップを静かに置いて小さく微笑んでくるし。
「一番大事なものは簡単には教えないだろ」
 告白かよ。
「ありがとう。美味しかったよ」
 片手をあげて店を出ていく後ろ姿がなんかカッコよく見えてしまった。めっちゃ寝ぐせあるのに。
 オレが今日用意したのはブルーマウンテンコーヒー。勝ち豆という別名があるコーヒーで、オレなりに頑張れよっていう意味を込めたつもりだ。
 豆がちょっとお高いんだけどね。

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