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11月2日 字を習うなら【今日のものがたり】

「はぁ~惚れ惚れするわ、クローディアの書く字は」

 姫様の言葉はいつだって私の心を弾ませる。部屋のなかが陽のさすような明るさになって、ここが図書館の奥の奥にある薄暗いはずの部屋であることを忘れてしまうくらいに。

「ありがとうございます」

 私は素直に喜びの言葉を返す。姫様はそれにふわりと微笑み、「クローディアの直筆本を独り占めできるなんて私は幸せだわ」と、私のほうが幸せだと思う言葉を重ねてくださる。

「ところで……クローディアはこの文字をどこで、誰から、習ったの?」
「特定の誰か、というのはございません。図書館で働く方々からも、私を育ててくれた方々からも、文字の読み書きを教わりました」
「それじゃあ、今度は私がクローディアから教わろうかしら」
「ええっ!」
「そんなに驚くこと? あなたの字は先生と呼びたいくらい美しいのよ。いいえ。クローディア先生として、私に字を教えてほしい。あなたから習いたいの」

 もしかしたら今は夜中で、私は夢を見ているのかもしれない。姫様はいつも私に優しい。でも、姫様が私を先生と呼びたいなどとおっしゃるのはさすがに想像を飛び越えている。頬をつねる。おかしい。痛い。

「クローディア。私が嘘をつかないのはあなたが一番よくわかっているでしょう? これは夢の中ではなくってよ」
「す、すみません……。で、ですが、私は姫様の書く字が好きです。とても読みやすいですし、心が温かくなる素敵な字だと思っています」

 姫様も、私が嘘をつかないことはわかってくださっているはず。今の言葉は私の偽らざる本心だ。

「ありがとう、クローディア。すっごく嬉しいわ。あなたのおかげで、私は私の書く字に自信がもてるようになった。でも、だからこそ、それをもっともっと確かなものにしたいの。未来のために」
「未来のため……」

 姫様の考える未来。それは、この国の未来ということだ。姫様はいつか、この国の王になられる。それがいつになるかはわからない。でも、必ず訪れる未来なのだ。

 私は背筋を伸ばして姿勢を正す。そう、そんなすごいお方がお忍びでこの図書室の奥の奥にある書物庫にやってきていること自体、夢のような話なのだ。でもこれは夢じゃない。
 姫様は今、ここにいて、私から字を習いたいとおしゃっている。それが、現実だ。とても不思議な縁だけれど。

 姫様がふわりと微笑む。そうだ。この、私の大好きな笑顔をこれからもたくさん見られるのなら、私は――。

「承知いたしました。僭越ながら私が、姫様に字をお教えいたします」

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