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「自分の頭で理解し、自分の言葉で語れる人間になりたい」。社会課題領域の人材育成プログラム「Leaping Rabbit」初回講義を受けて

2021年2月12日(金)、社会課題領域のこれからの活躍人材を育成するプログラム「Leaping Rabbit」の初回講義を受けた。きわめて私的な感想をここに記しておきたい。

※Leaping Rabbitとは

※守秘義務があって具体的な内容については発信できないこともあり、「Leaping Rabbitがどんなプログラムなのか知りたい」という人にとってはなんの役にも立たない文章なので悪しからず。あくまで、Leaping Rabbitの初回講義が私個人の内面世界にどのような影響をもたらしたか、ということについて書く。

Leaping Rabbit受講の経緯

個人が社会との関わりの中で抱える課題、または日本という国単位での “社会課題” に漠然とした興味を持ちながら生きてきた。ジェンダーギャップ、子どもの貧困、マイノリティの生きづらさ等。フリーライターとして、お仕事で当事者の方にお話を聞かせていただき、記事にすることもある。

だが、心の奥底にはいつもこんな後ろめたさがあった。

「実際のところ、自分はどんな社会課題とどう向き合いたいんだろう。それすらはっきりしない状態のまま、なんとなく仕事をこなしている気がする」

「一つひとつの社会課題について、深く理解できている自信がない。自分の意見を公に向けて発信することもほとんどない。単に “話を聞かせてもらって記事にするだけ” の変換機になってしまっているのでは」

社会課題領域の取材記事を執筆するようになって、ちょうど1年。このようなモヤモヤを抱え続けていたが、真正面から向き合うのが怖くて、蓋をしたまま日々の仕事をこなしていた。

そんなとき、Twitterで偶然Leaping Rabbit1期生の募集を見かけ、興味を持った。詳細を綴ったnoteによると

・社会課題領域で活動をするために持っておくべき視点
・自分のスキルや価値観を正しく認識しニーズを整理する力
・適切な自己プレゼンテーションで自分を伝えられる力
・自分にとって重要だと感じられる課題を発見する力

これらを獲得することで「これからの活躍人材になるための力を身につける」ことができるらしい。一方通行の講義ではなく、自分で立案した企画についてプレゼンテーションを行い、すでに社会課題領域で活躍している専門家からフィードバックをもらえるとのこと。なんだか面白そう。

そのうえ、この4つの「力/視点」はいずれも今の自分に欠けているものばかり。弱点をピンポイントで指摘された気がして、ハッとした。

「このプログラムが、モヤモヤに蓋をし続ける生活の突破口になりそう」

「ライターとしても、人間としても大きく成長できる気がする」

そんな直感に突き動かされ、ごく自然な流れで受講を決めた。


最大の収穫は、自分の課題を再認識できたこと

楽しみにしていた初回講義。社会課題とSDGsについての基本的な知識、考え方についてみっちり学べる貴重な時間だった。得られた知識自体も大変有用だったが、私にとっての最大の収穫は、今の自分が抱える課題を再認識できたことだ。

その課題とは「知識量の少なさ」。講義の内容も講師や受講生の方のお話も、自分が思っていた以上に知らないことばかりだった。

私は生粋の勉強嫌いで、物書きとして生計を立てているにもかかわらず、小説やエッセイ以外の読み物がとにかく苦手だ。学術書や論文の類はおろか、新書やHOW TO本も、新聞もめったに読まない。かなり興味があるテーマでなければ、web記事にすらなかなか手が伸びないほどだ。

もちろん、仕事の取材や執筆の前には入念なリサーチを欠かさない。だが、どんなテーマであっても “その場限り” のインプットになってしまうことが多く、継続的に学び続けていることは皆無と言っていい。

普段は、興味をそそられるニュースや話題のトピックにのみサッと目を通している。だが、突き詰めて考えることはなく、意見を表明することもほとんどない。

意識の低いライターだと自分でも思う。しかし、正直なところ、それでも今はなんとか仕事をこなせてしまっている。

では、何が問題なのか。

前述の通り、私はここ1年ほど「社会課題に対して漠然とした関心を抱いているが、何に対してどのように関わったらよいのかわからず、フラストレーションを抱えている」状態にある。また、仕事の幅をもっと広げたい(これも漠然としているが、端的に言えばもっと多くの人に自分の記事を読んでほしい)と思っているが、こちらに対しても何をすべきかわからないままでいる。

実は、これらの根本にある課題がまさに「知識量の少なさ」だったのだ。社会課題に対して具体的な行動を起こすには、何が課題の本質かを見抜く力が必要になる。しかし、本質を見抜くような深い洞察は、課題への適切な向き合い方を含む基本的な知識を持たない人間には不可能だ。

あくまで私個人の見解だが、おそらく社会課題と向き合う際の土台になるのは、基本的な知識やマインド。その上の階層に「課題の本質を見抜く力」があり、さらにその上に「どんな課題とどう向き合いたいか」があり、ピラミッドの頂点にあるのが「行動」なのだと思う。

今の私は、土台がないのに「よくわからないが、何か行動を起こしたい」と思っている状態だと自覚した。当然、具体的な行動を起こせるわけがなく、何をしたらいいのかわからないことでフラストレーションも溜まる。

失敗を恐れて優等生的な発信ばかりするのをやめたい

知識量の少なさに並んで私の成長を阻んでいるのが、屈折したプライドの塊であり、失敗を極度に恐れる人間性だ。

「間違っていると思われたくない」「浅い知識しかないと悟られたくない」

このような卑小な気持ちにとらわれているので、自分の意見を公にすることができない。教科書的に正解の答え、世間の流れ的に正しいとされていることしか言えない。これでは、ライターとしても人間としても成長は頭打ちである。

今日の講義でかけられた「自分の頭で理解し、自分の言葉で語れる人間を目指そう」という言葉が、胸にガツンときた。私が本当に叶えたかった理想の姿は、まさにそれだ。

付け焼刃の知識と取材で得られた一次情報でそれなりの記事を書くことはできるが、どこかずっと、世間も自分の心も騙しているような気持ちだった。思考停止して前に進めない情けなさに嫌悪感を抱く一方で、自分を作り変えることへの恐怖心から「今もなんとかやれているし、失敗して恥をかくぐらいならこのままでいい」と、同じ場所にしがみつこうとしていた。

だが、私は自分の頭で理解し、自分の言葉で語れる人間になりたい。ものすごく。

であれば、講座で学んだことを「なるほど」と受け止めているだけでは不十分だろう。より深い学びを得るためには、苦手な「自習」「知識のインプット」ともっと本気で向き合わなければならない。それらによって得られた知識の集合=土台があって初めて、プログラム中の課題においても“教科書的”ではない、自分の頭で考え抜いた回答ができるのだと思う。

付け焼刃でない、体系的かつ継続的な知識のインプット。自分の半径2メートル外のことを、自分の頭で理解し、自分の言葉で語る。

どちらに挑戦するのも慣れないことで不安だが、やるしかない。もともと考えること自体は好きだし、個人的な課題や身近な人との関係における課題は、積極的に試行錯誤を重ねながら独自の方法で解決してきた。その範囲を少し拡げるだけだと思えば、きっとやれる。

まずは自主的な知識のインプットでしっかり土台を作る。Leaping Rabbitの講義やワークで「自分の頭で考える」機会をたくさん得る。失敗を恐れずにどんどんアウトプットし、考えを公にすることに慣れる。

繰り返すうちに、いずれはもっと広い世界においても、堂々と自分の言葉で語れるようになるはずだ。

不安。怖い。だけどワクワクする。少しでも興味のある本、記事、かたっぱしから読んでインプットしよう。そして感想を文章の形でアウトプットしよう。Leaping Rabbitで出会った人々から、たくさんたくさん吸収させてもらおう。失敗を恐れず、自分を表現しよう。課題の大きさに圧倒されず、いろんな角度から突破口を探してみよう。

大丈夫、もう逃げない。なんだかとても、いい予感がしている。


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