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SNSとわたし

※2016年12月に書いた記事です。おかしいところも多々ありますがご容赦ください。


ブログを書いてみることにした。

思えば昔から、頭の中に浮かんだこと、その日起こったことを言葉にしてアウトプットする作業が好きだった。

陰気で目立たない子どもだった頃も、恋愛で頭がいっぱいだった高校時代も、家に帰るといつも母にすべてを吐き出していた。

今日こんなことがあった、あれ食べたらおいしかった、テストで何点とった、彼氏にこう言われた、あの事件について私はこう思う――。

今でもそうだが、とにかく頭の中のすべてを口に出さなければ気が済まなかったし、ごちゃごちゃした頭の中の考えを喋りながら整理していく作業に快感を感じるたちだった。聞いている母はさぞ大変だったと思う。

そんな生活を19年間してきたので、大学進学に伴う初めての一人暮らしは正直堪えた。

帰っても「今日のできごと」「今思いついたこと」を話す相手がいないのだ。常に頭の中に言葉が溢れかえって破裂しそうになっている私にとって、それは致命的なことだった。

もちろん母に電話して話を聞いてもらうこともできる。

しかし、仕送りをもらっているとはいえ、親元を離れて一人暮らしをするような年齢の人間が毎日親に電話するのはちょっと恥ずかしい。親も心配するだろう。

友達に会って話し込むこともできる。しかし、私が欲していたのは一時的な話し相手ではない。毎日コンスタントに話に付き合ってくれる相手だ。


当時の私は、たまたま告白してきてくれた到底好きとは言えない相手との同棲という形で「一から十まで話さないと死ぬ病」に手を打った。大学に入学して2週間のことだった。

当然周りには驚かれ、なんで付き合ったの?しかもなんで同棲?と聞かれたが、確か「一人暮らしが寂しくて」などと答えていた気がする。

実際には「寂しい」などという漠然とした感情ではない。一から十まで話せる相手がいないと頭が破裂してしまうのだから、そうするほかないのだ。


これでいつでも話を聞いてもらえる、と安心したが、現実はそう甘くはない。

人間性を見極めないまま勢いで付き合ってしまったが、彼は見事に人の話を聞かないタイプだった。

「今日のできごと」を聞いてもらおうとすると、いつの間にかすべての話が彼の愛するサークルの内部事情の話にすり替わっている。

私が自分の意見を主張すると必ず「だいたいさぁ〜」から始まる、ネットに転がっているような屁理屈をぶつけてくる。

彼は典型的なネット右翼でもあった。

頭に血が上りやすい私がカッとなって強い口調で反論すると、彼は部屋の隅で膝を抱えて泣いた。文字通り、話にならなかった。

これまで、自分を中心に世界が回っていると確信しており、家族やパートナーという近しい人は当然自分の話をすべて喜んで聞いてくれるはず、と思い込んでいた末っ子にとって、これは衝撃だった。


彼とは早々に別れて出て行ってもらい、その後もふらふらと別の人と付き合ったりした。

だが、やはり母のように何を話しても聞き流さずにしっかり聞いてくれ、時には面白いコメントを、時にはアドバイスをくれるような人はいなかった。

自分がマザコンであったことを痛感するとともに、世の中の厳しさを知った。


途方に暮れた私は、ネットの世界に活路を見いだした。当時流行っていたmixiである。

話したいことがあるときはいつでもどこでも「日記」に書ける。日記を公開すれば、読んだ人からコメントまでもらえる。

ただ吐き出すだけでは飽き足らず、人からのレスポンスを求めていた私にとっては最適なツールだった。

mixiにハマりだしてからは、狂ったように日記を更新しまくった。


「1件の日記に対して新着コメントがあります!」


この赤字がトップページに表示されるたびに心が躍った。

日記を公開するたび、数分ごとにトップページを再読み込みし、この赤字が表示される瞬間を待った。


ちょうどその頃、苦労して入った大学にもかかわらず大学生活が楽しく感じられなかったことから、私は心を病み始めていた。

朝起きられず大学に行けない。飲み会などに顔を出しても楽しくない。人に会うのが億劫で、大学の友達と一緒に時間を過ごすのが苦痛。

もともと脳のネジが数本外れていることもあり、あっという間に心が壊れてしまった。


そんな時も、すっかりmixiに何もかもをぶちまけることが習慣化した私は、ひたすら自分の心の声を垂れ流し続けた。

体がからっぽになったような虚無感と、妙にきらきらした高揚感、気が狂わんばかりの自己破壊衝動に振り回されるジェットコースターのような日々。

誰にも心の声を打ち明けられない代わりに、ひたすらそれらを文字にして公開した。


見た人が不快になる、引いてしまうなどということは全く考えなかった。

だが、よく言われるように同情を得たい一心で、というものとも少し違っていた。

いや、正直に言うと同情されたい気持ちも多少はあった。

だが、それよりも心のドロドロを吐き出す場所がそこしかない、そこで吐き出さないと心が死んでしまう、という強迫観念の方がずっと大きかった。


赤字がつく頻度は徐々に減っていった。大学でも、顔なじみに挨拶をすると微妙な顔をされ、足早に立ち去られることが増えた。

そこで初めて、自分の犯したミスの大きさを知った。

mixiはなんでもない日常のできごとを面白おかしく綴り、ほのぼのと馴れ合うべき場所だったのだ。私の発言は完全に浮いていたのだと、やっと気づいた。

私はすぐにmixiをやめた(とはいえ、すでに中毒だったのでマイミクを大幅に減らしてすぐに再開した)。

この一件で、私はたくさんの顔見知りを失い、大学内ではやや浮いた存在となった。


自分をさらけ出す程度や相手、場所を考えるべきという教訓は、深く胸に刻まれた。

大学入学当初はあれだけ全盛だったmixiだったが、大学2年の頃には随分と失速し、代わりにTwitterがじわじわと浸透し始めていた。

当時、mixiには「ボイス」という短文を投稿できるTwitterのような機能があった。

多くのつぶやきが一気に見られるTwitterとは違い、マイミクによる2、3の最新のつぶやきのみが個々人のトップページに表示されるという機能だった。

私は、流行に疎かったためTwitterの存在を知らず、毎日のようにボイスに心の声をダダ漏れさせていた。胸に深く刻まれたはずの教訓はとうに忘れていた。

マイミク全員のページの「ボイス」が私の投稿で埋め尽くされるようになった頃、見かねた友人がやんわりとTwitterの存在を教えてくれた。


半信半疑で始めてみると、Twitterは私にぴったりのツールだった。

タイムラインの流れが活発なため、一つのつぶやきが人の目に触れる時間が短く、多少まずい発言をしてもスルーしてもらえる。

元々、投稿したら必ずレスポンスが来るということを前提にしているサービスではないため、他人からの反応を気にしないで済む。

結果、リプライ依存症を脱することができた。

また、人目を気にしなくて済む分、自分の言いたいことをどんどんつぶやくことができ、自分の気持ちが整理しやすい、自分でも見えていなかった本音が見えやすいなどの利点もある。

私はTwitterを安住の地にすることに決めた。


なんだかんだで、Twitterを始めて6年ほどになる(※執筆当時)。

一度アカウントを引っ越したが、数少ないリア友、お仕事や趣味でつながった方を相手に、今でも細々とつぶやき続けている。

世間一般では十分大人と見なされる年齢になった今でも、心の中には小さい頃の自分がいて、聞いて聞いてと終始わめき続けている。

放っておくとあっという間に感情が溢れて故障してしまう。

そんな自分にとって、人目を気にせず好きなことをつぶやけて、たまにレスポンスをもらえる場所があったことは本当に幸運だと思う。

しかし、このようにTwitter中毒の私だが、「もっとまとまった文章を書いてみたい」という思いがだんだん強くなってきた。

Twitterは短文で気軽につぶやける分、まとまった文章を投稿するのには適していないのだ。

そこで白羽の矢が立ったのがブログだった。


折しも、新卒で入った会社を辞めてちょうど1年。

半雇われ・半フリーでライター、ディレクター業に勤しんでいるゆるやかな日々は、自分の胸中でもつれ合った感情の塊をブログに吐き出すくらいの時間的・精神的余裕をきちんと与えてくれる。

生まれてから19年間は母に、その後はSNSに吐き出し続けた私の思いの丈を一身に受け止めるのがこのブログ。

言うなればゲロ袋のようなものだ。

読んでも決して心地良くはならないと思うが、暇なときにひっそりと覗いてもらえれば嬉しい。


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