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2 若冲カエル



 吾輩はカエルで有る。
 若冲のカエル、と検索すれば、インターネットでその姿がわかる。

 インターネット…。

 便利だよな、カエルの吾輩でさえ、そう思う。時にはなにかの作り方、やり方、考え方すら教えてくれる。

 その時代やその場所へ行かなくても、若冲と呼ばれる絵師が居たと知ることは出来る。
 人から人に知れ渡るようになり、絵から立体化し、高額貴重という美術品のような取り扱いではなく、気軽なトイとなり、手に取りやすく、また人に愛されやすい代物にもなる。
 
 だが、その場所へ行く価値や良さは、変わらず現在も存在する。
 美術も生き物も、それらを最大限に魅せる見せ方をしている場所で見た者には、人間には、五感をフル活用して得られるなにかがあるような気がする。
 たくさんのものが次々と世の中に出ては流れて行くその時に、目に留めて掬い上げるかどうかはその人間の「好き」に因り、またその感覚は、「知識、認識、体験」にも拠るのだから財産である。
 
 吾輩は、遠方東京都へ出向き、美術館で若冲展を観た人間によって、選ばれてやって来た。
 そのうちの一体だ。
 吾輩の他にもイヌとゾウが居たが「カエル」で有ったのでこちらに移り住むことになった。
 新しい住居は、アトリエであった。
 美術館のような、作業室のような、人間の暮らしの一部で在る。
 山もあり、田圃もある。
 鳥が来る庭があり、子供の声がする事もある、そして大人たちの声もする。

 アトリエの主人は、装飾品を創り、直し、集中し、静かにしているかと思えば、気分にまかせて歌ったりもする。
 眼を閉じていたりする、自分の声を聴く、石の声や、音楽に紛れた、人とは違うものの声を聴く。
 遠い世界を見ているかのように、ここではないどこかに居るかのように見える時もある。独特な雰囲気もあるが…これ以上は内緒にしておこう。

 吾輩が此処に来て気付いたのは、こちらへ来る者なにやら困り事を相談しに来たわけではないが、それが、アトリエ主人相手に口からぽろんとこぼれ出る場所らしい。

 そうして、時には、アトリエを訪れた人間が話す内容に耳を傾け、労り、当の本人が選べる助言をしたりする。助言に聞こえたのは吾輩の欲目だとしても。

 アトリエの主人は、壱人間として生きている。辛い事も、理不尽な事も、楽しい事も嬉しい事も、主人が感じ体験した事は主人の事。
 同時に、此処を訪れし者に起きた事はその者の事。共有しているようで、同じものではないことは、肝に銘じておくべきことだと吾輩は考える。

 最終的には、訪れた人間たちが、その後どう生きているのかは吾輩にはわからない。
 吾輩はアトリエから動くことはないし、全部をみているわけではない。
 吾輩は万能ではない、蓄音機でも集音器でもない。
 鳥が来ているのと同じように、様々な人間が来ていると、区別が付くくらいだ。
 以前と変わっておるかどうかまでは、わからん。

 人間は考えたり感じたり出来る、五感を使える。
 その場所や、雰囲気や、手に取る装飾品や、主人の対応から、自分自身でなにかを得ることが出来る存在だ。
 
 持ち帰るのは、装飾品だけではない。
 アトリエの主人に愛し愛されているものは、装飾品だけではないと、吾輩には、見えるが。

 今日そなたが選んだその装飾品。
 選んだのは自分自身。
 じっくりと向き合うと良い。
 

 
 
 

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