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誰になんと言われようと生き急ぐな【休職日記 #7】


現在、適応障害と診断され休職中。

現在、適応障害で休職中。お休みを頂いている間、日記を書いています。(日記の時間軸は故意にずらしいています)


なんだかこの頃、正体不明の不安に襲われて夜に泣いてしまう日が2日ほど続いた。
ヤバい、呑気に過ごしていたけど理由がわからないうつ状態は危ないんじゃないか…?と思ったが、日中は元気なので不思議であった。

結論から言ってしまうが、理由は生き急ごうとしてしまう自分に全く心が追いつかないからだった。というか多分そうだと思う、くらいなんだけど。


普通に働いている頃、ずっと思っていた。「会社に勝手に生き急がされている」と。
次から次に舞い込む業務。やっと慣れてきてそろそろちゃんと習得できるかなと思い始めた頃に担当を外され、また他の業務を叩き込まれる。役に立った記憶のない研修と無理やり歩かされる社畜ロードマップ。

会社は早く利益を上げる人材に育て上げたいんだろう。個人の成長スピードなんてお構いなし。いやまあ普通そういうもんなんだろうけど、お偉いさんが「個性はいらない」と研修で言い放っちゃうくらいだから、マジで尊重されていないんだと思う。(※個人の感想です)
正直、私はまあまあ習得スピードが速いほうだと思う。おそらく他の同期に比べて次の業務に移るスピードが速いからそうならざるを得なかっただけだとは思うが、一応ついていってたしちゃんと習得もした。ただ、習得できても心は全くついていかなかった。私はずっと心を置いてけぼりにして先に進んでしまっていたんだと思う。多分、生き急ぐってそういうことだ。


休職して会社に生き急がされることはなくなったが、家の中で生き急がされるようになった。
生き急がされるようになった、というか私が重く捉えすぎなだけなんだけど、今の私には何気ない言葉も『命令』に聞こえてしまうのだ。
「休むのはいいけれど、次のことも考えないと」なんて言われるのはわかっていたし、「求人サイトとか見てるの?」とか「Webライターやるのはいいけどやるなら行動量を増やさないといけないんじゃないの?」とか。心配からそう言われているのはわかるが、とにかく耐え難かった。

というのは、会社で死ぬほど言われていたからだ、「行動量を増やせ」の類の言葉を。自分で自分に言うのならわかるけれど、人に言われる言葉の中でもめちゃくちゃ嫌いなものの一つだ。

行動量を増やせば心が置いてけぼりになる。グリコで体がずっとジャンケンに勝ち続けて、心がもう見えなくなってしまうほど遠くまで来ている状態なのだ。
というか、遠すぎてジャンケンすらできない状態になったから休職したんじゃないのか。今は心が追いついてこれるようにしている状態なんではないのか。
私の心はグーしか出さない牛歩っぷりなので、体でチョキを出し続けるしかない。ここでいきなりパーなんて出したもんならどうなることやら。

結果、家族に「私は生き急げません。」ということを話して解決した。多分な。

自分が全然回復していないことに驚いたというか、私の体に起こる適応障害の真髄みたいなものを見た気がする。誰になんと言われようが生き急ぐのはよくない。普通に生きるといってもそもそも普通ってなんですかって話なんだから、今はゆっくりしたほうがいい。今まで散々生き急いだんだし。


適応障害なんて他人が理解できなくて当然である。だが理解できないとはいえ、理解しようとしなかったり決めつけてきたりするのは絶対に違う。そういう人がいるから精神疾患を抱えてしまう人が生まれるんじゃないのかと私は思う。

そしてきっとそういう人にこの記事が目に止まることはないと思う。私だって自分が窮地に立たされてから調べるようになったんだから、それは仕方のないことだ。

だが、人の話を聞くくらいはできると思う。自分から調べなくても、周りにそういう人がいて話してくれているのなら耳を傾けることはできるだろう。

私の家族は耳を傾けてくれた。まあこれで傾けてくれなかったら本当に終わるのでマジでよかった。


心が体に追いついてくれるまで、自分が挑戦したいことに挑戦してみようと思う。

(え…これ日記…?)


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