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話は一生平行線【休職日記 #3】


現在、適応障害と診断され休職中。

現在、適応障害で休職中。お休みを頂いている間、日記を書いています。(日記の時間軸は故意にずらしいています)


7時に起床。今日は体が重い。
理由は分かっている。
職場に行かないといけないから。そして、面談をしないといけないからだ。


昨日選んでおいた服に袖を通す。
私はわりとパキッとした色の服や、かっこいいセットアップが好きだ。メイクもちょっと強気にアイラインを引くのが好きで、休みの日はバッチバチにアイシャドウを塗り、ただでさえつり目気味の目尻に跳ね上げのアイラインを乗せている。
だが、職場に行く時は弱そうな顔にすることが多かった。理由はわからないが、全く強気になれないのがメイクにも現れているのだろう。

もちろん、昨日選んでおいた服も"弱そう"な服を選んだ。
別にこの服も好きである。ただ、職場に最近買った服やお気に入りの服を着ていきたくなかった。
私は以前、友人に「職場にお気に入りの服を絶対に着ていきたくない。服が腐る。」と話したことがある。職場に向かう憂鬱な気持ちが服を腐らせてしまうのだ。
だから別にどんな服でもよかった。大学4年間アパレル店員をしていた者とは思えない発言だが、嫌いな場所にいくのに着飾る必要性が私には分からなかった。

それに、これは『身だしなみ』である。
休みますと言った手前、強い女みたいな服(私は治安の悪い服と呼んでいます)を着ていっては示しがつかない。
本来はイヤーカフを片耳だけにつけ、指輪もいくつかつけるのが好きでもあるので、職場での私しか知らない人が見たら驚いてしまうと思う。
"相手を不快にさせない" "相手に変な印象を与えない" 入行してからさんざん言われていたことが、ここで生きるとは。皮肉すぎて笑った。
心の治安は最悪だが、それが服装に現れるよはよくない。というか心の治安がいい時にしか治安の悪い服は着られないのだけれど…。


弱そうだけど可愛い服に身を包んだ私は、父の車に乗り職場へ向かった。
私はもう職場方面の電車に乗ることができない。いや、乗ってないからわからんけど、乗りたくない。
今でもたまに電車に乗ってお出かけすることがあるが、職場方面のホームへの階段をわざとらしく避けて駅構内を歩いている。包み隠さずに言おう、もう近付くだけで涙が出そうなのだ、大嫌いなのだ。

父の車で向かう途中、突然の腹痛に襲われた。
他の方の休職日記を読んでいて、『職場に電話しないといけない日の前日に熱が出た』とか書いてあったのを見て「自分はそこまでじゃないかも…休職する必要ないのかな…」とか思っていたが、自分の身にもちゃんと起こった。
今までの慢性的な胃痛ではなく、キリキリと刺すような痛みが走る。休職して正解だったなと、胃が痛くなって思った。


職場に着く。
電話で話していた上司が出迎えてくれた。笑顔で出迎えてくれたのでよかった。それに一言目が「体調は大丈夫?」で、やっぱりまともな人なんだよなあと思った。(私と合わないだけで、真っ当でまともなお方です)

会議室に案内される。
面談かあ…いよいよ始まるのか…と憂鬱さが加速する。
面談してよかったことなんて今まで全くなかった。今からの30分は休職する前にもあった『会議室に閉じ込められて懇々と説教(指導)される時間』と一言一句変わらず、全く同じ時間を過ごすことになる。

そうこうしている間に、戦は始まる。
大将のご入場だ。
なんか気を遣う必要があるのか分からなかったが、一応入ってくるまでは椅子に座らず立っていた。
いやまあ、戦っていうか、私はそもそも面談をする気がないので、とりあえず不可侵条約を結ぶくらいの気持ちでいた。(ちゃんと録音を回しているので万が一の時は出るとこ出る気満々)(何も出られるようなこと言われなかったので削除済です)

この面談の結果から言うと、本当に意味がなかった。
何が聞きたいのか分からなかった。というか、じゃあ辞めますって言わせようとしてない?と思うところが多かった。
もちろん大将の望む返答をする気持ちは1ミリもないので、質問の矢をかわし続けた。同じ質問しかしてこないのでかわすのは難しくなかったが、あまりにも同じ方向にしか打ってこないので最後は普通に言葉に詰まった。というか職場に適応していない適応障害なのに、職場にいる意味がわからなくて喋る行為自体が難しくなってきた。

大将は一貫して私の適応障害の理由を決めつけて話してきた。もうその時点で心を開くわけがないのだが…。
「仕事が合わなくて適応障害になっている」「適応障害とはそういうもの」「また戻ってきても同じことが起こる」などなど。
医師でもないのになぜそんなに自信満々に言えるのだ?そもそも適応障害なら職場に呼ばない方がいいとは思わないのか?思わないんだろうな。そうだった、思わないから呼ばれてんだったわ。

「私みたいに適応障害になったことあるんですか?」とか聞いたろかなと思ったが、私は不可侵条約を結びにきた身(そもそも来たくなかった)なのでグッと我慢した。というかこんなことを言ってしまう人に適応障害になった経験があるとは思えない、私には。

話は一生平行線だった。私から言いたいことも全くなかったので平行線どころか、平行線に同極の磁石がついているかのごとく、距離もどんどん離れていった。

どう考えても平行線のまま動かないのが目に見えていたので、開始5分で頭の中で平行をあらわすマーク( > ←こんなやつ)を書いた。

面談とか言われるから、何か辛いことがあったのかとかそういうこと聞かれると思ったのに、私を気遣うような発言は全く見受けられなかった。
出るとこ出られるだけのことは流石に言わなかったが、適応障害になるとこういう対応を受けるんだな〜へえ〜と思った。
いつも予想外の対応だが、前に職場からのクラスターでコロナに罹患したときの対応の粗悪さを考えると、まあ…という感じだった。
(世間一般では普通の対応なのかもしれないので、あくまで私個人の意見です)

面談を終え、帰宅。
なんの収穫もなかった。あるとしたら精神的負荷くらい。
まあ経験だと思っておくことにした。

帰宅後はとりあえず部屋の片付けを再開した。だいぶ片付いてきたので、今度は部屋の飾り付けもしていければと思う。


1番のイベントである面談が終わったので、この日は一安心して眠った。


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