soundtracks|3. 治さない地域おこし協力隊
私が執筆したZINEの読者と対談するツアー "soundtracks"。第3回目は、西村美伽さんと「治さない地域おこし協力隊」というテーマで対話した。
自分にとっての健康とは何か、幸せな生き方とは何か、「自分で自分を研究する」という話題が印象的だった。
考えてみれば、私の書いた『研究的実践を組みなおす:Vol.1 再読する』も自分で自分を研究するような、自伝的側面があった。自分にとって、楽しく続けられる研究/研究的実践とは何か?という問いを、今もずっと考えている。
思えばいつから、自覚的に自分で自分を研究するようになったのか?
今思い浮かぶのは、博士課程のころだ。そのころの私は、他者が認める価値(例えば、論文を何本書いたかとか、就職が決まったとか、研究費を獲得したとか)を物差しに、自分を理解しようとして、行き詰まっていた。詳しくは、「読書記録|インタラクション(上野直樹・西阪仰 著)」に書いたが、ふとしたきっかけで、他者が認める価値でなく、自分の経験してきた事柄(=軌跡:ライン)に基づいて、自分を理解しようとし始めたのだと思う。
そのような変化が起きたきっかけの一つには、「一読しただけでは全く意味の分からない本を、友人と一緒に、悩みながら読む」という実践があったように思う(ちなみに、最初に読んだのは、J.J.ギブソンの『生態学的知覚システム』)
こうした実践の中で、ゆっくりと自分の思考が相対化され、より俯瞰したポイントから自分を眺められるようになった。思考の枠組みが、より広範なものへと組みなおされたのだと思う。組みなおされた枠組みから、自分を捉え返す(=自分で自分を研究する)経験は楽しく、発見に満ちたものだった。
本というと、わかりやすさが重視され、多読が良いとされる文化もあるが、必ずしもそうではないように思う。自分にとって「まったく意味が分からない本」を何度も丁寧に読み、周辺の領域を勉強して、理解できたとき、新しく理解した枠組みの中に自分を位置づけ直すことができる。この経験をするために「一読しただけでは意味のわからない本」と出会える環境が大切なのだろう。
そんな本と出会って、私は「自分で自分を研究する」ことを始め、今も続いている。きっとこれからも、続いていくのだと思う。
前回同様、"soundtracks"があったからこそ、読んでみたくなった本があるので、ここに残してみたい。
①技法以前:べてるの家のつくりかた(向谷地生良 著)
自分で自分を研究するという実践は、当事者研究という形で知られている。その一つに、べてるの家の実践があると聞いていたので、読んでみたいと思っていたが、今まできちんと読めていなかった。この機会に、きちんと読みたいなぁと思った。『べてるの家の「非」援助論』も、積んだままにしているので、改めてしっかり読みたい。
②ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと(奥野克巳 著)
自分自身を相対化し、ラインを辿るために、人類学の研究は示唆深い。自分の理解が及ばない世界に足を踏み入れた人たちの報告は、今の自分が置かれている環境や文化が、あたりまえではないことに気づかせてくれる。積んでいる人類学の本は多いが、先日、神保町ブックフェスで買ったこの本を早速読みたいと思った。
本文章で言及した、対バン(対談)ツアー "soundtracks"の詳細は、以下をご覧ください。