読書記録|インタラクション(上野直樹・西阪仰 著)
今からだいたい10年ほど前。
私は心理学の大学院(博士課程)に在籍していた。
ある時、指導教官から尋ねられた。
あなたは今、研究するの楽しい? 自分の研究を面白いと思っている?と。
私は、楽しいです。研究も面白いと思っています。と口では答えたが、
心では、そんなこと、もうよくわからない。と思っていた。
思い返せば学部生のころ、心理学研究のすべてが新鮮で面白かった。
論文を読むこと、実験・調査をしてデータを分析すること、友人と議論すること、そのすべてに発見があった。
しかし大学院に入り、年次が上がると、論文が採録されるとか、学位審査に合格するとか、アカデミックポストに就職できるとか、そういったものと研究を切り離せなくなった。
いつの間にか、研究が目的から手段へ、楽しいものからやらなければならないものに変わった。楽しさは損なわれ、苦しさと、焦燥感が増した。
そんな大学院生の最もしんどかった時期に、私はこの本を読んだ。
今思えば、この本を読むことは一種のセラピーだったのだろう。
私が信じていた理論・理屈が持つ、確固たる正しさは、特定の立場・見方・コンテキストの中でこそ発揮されうるものだということ。
そのコンテキストを剝ぎ取ってしまえば、理論・理屈の正しさを論じることが難しくなることを指摘していた。私は深く安堵した。
なぜなら、私が立脚する理論・理屈が、自分の研究スタイルには合っていないと思い始めていたからだ。
さらに言えば、合わないと思いながらも、それを正直に言葉にしたら、もう研究者でいられなくなるような気がしていたからだ。
そうした考えは正直に話せばよいし、そのこと自体が研究になると、本書では言っている気がした。それは以下の引用箇所にも表れている。
ある事柄が「役に立つ」とされるコンテキストや実践
ある理屈・理論が「正しい」とされるコンテキストや実践
それらを深く理解しつつ、問い直す研究がありうることを知った。
そうか、これがやりたい研究なのか。と気づいたとき、
私は研究をおもしろいと思う感情を取り戻すことができた。
ーーー
当時はそんな文脈でこの本を読んだが、今読んでも示唆深い点が多く見つかる。今特に面白いと思うのは、これが「対話」の記録であるということだ。
対話であるため、かなり読みやすく、著者らの感情的な部分や論理的になり切っていない部分が透けて見える。何度も読み返したくなる本だ。
また、2名の著者がラリーを交わす中で、微妙に主張が揺れながら論が展開されており、一つの文章を複層的に読むことができる。
私はこれからも、この本を何度も読みなおすだろう。
そして、読み直すたびに、研究の面白さとは何かという問いに立ち戻る。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?