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子宮筋腫と卵巣嚢腫をとってきた話 超・番外編~そのとき、家族は何を思い、どう過ごしていたか?~

この記録は私の家族が、手術の当日~入院中にどう思って、退院までを迎えたかを書いていてくれたものをまとめました。

過去に私が手術、当日や入院中の記録はガッツリと公開されていますので、併せて読んでみると面白いかもしれません。

というわけで、各日に私の記録のリンクも貼っておきます。
ぜひ、この機会に参照しながら読んでみてください。

記述してくれたのは、家族であり15年連れ添ったN(初めて名前を出したね)
Nの存在がなければ、多分私は子宮筋腫を放置していたし子どもを望むという行動にもならなかったと思う。

そんなわけで、Nが書き残してくれた記録スタート。

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◇2019年9月5日(木)手術当日

11:30頃、手術室へ。Nは手術室前まで。
扉の窓から、手術用のキャップかぶってるのは見えた。
麻酔に30分くらいかかるってことなので、12時頃から手術だったはず。

Nは、院内にいてくれれば良いとのことで、売店でご飯買って食べる (某牛丼屋の弁当が売っていた) あとから考えるとここで食べておいて正解。

15時頃、看護師が時間かかってると伝えてくれる。特に何かあったわけではなく、腫瘍が大きいので、丁寧に癒着はがさなきゃいけないので、時間かかってるという説明だった。

手術室から出てきたのは、17時に届きそうなとき。ぎりぎり17時前くらい
看護師の人が部屋からベッド持っていって、それに乗って帰ってきた。手術室の中で何をしてたかはカーテン閉められたからわからない。たぶんその時にパジャマ着たんじゃないかな。

さきに先生がでてきて、軽く2-3分お話した。腫瘍みせてくれた。
時間かかった理由も、お話してくれた。(看護師が言ってたのと同じだけど)
子宮とっちゃうより腫瘍だけ取るほうが、癒着はがして砕いて取るなので時間がかかると。今回は腫瘍も大きかったので時間がかかったとのこと。
なお子宮とっちゃうより腫瘍だけのほうが出血も多くなるとのこと。
1リットルくらい出血した。造血剤でがんばってみるけど無理だったら輸血するとのことでした。

腫瘍は560g。思わず「こんなにあったんですか?」って言ってしまった
先生軽い口調で「写真とる? このまま生検にまわしちゃうから、今とっとかないと二度ととれないよ」って。
砕いた腫瘍と、卵巣嚢腫。
卵巣嚢腫のほうは、ちょっと毛みたいのが入り込んでたみたいに見えた。

手術室からは、ベッドに寝た状態で出てきた。

看護師がJUNを部屋につれてって、部屋の酸素とかつないで、血圧などの測定。Nはいったんデイルームへ。(出てくるときのベッドには医療用酸素のボンベついてた)

(JUNが)寒いってことなので、電気毛布を使ってくれてた。足元にもあったかいの入れてくれた。

(それまでは朦朧としてたけど)部屋に戻ってからは、少しうとうとしてるので、手をにぎる、頭なでる以外は何もできず。

手術が終わるのを待ってる間、家族が第二の患者って言われる理由がわかった気がする。
今回の件では数ヶ月くらい、入院は1週間だけなので短期ではあるけど、これが癌などで長期必要だったら、人によっては持たないかもな、って。

手術室に送り出して、もう自分ができること何もなくなって、はじめて、あぁ自分、気を張ってたんだって気づいた。
実は疲れてたんだなぁって。

ちょっと、ほんの少しだけだけど、このまま放っておいたら胸が痛くなって、吐いてしまいそうな気がして。何故かちょっと泣きそうになって。
実際には胸は全然痛くなんかなかったけれど、胸に手をあてて、何度も深呼吸した。

普段どおりの生活して、ご飯つくって、お洗濯して、ゲームやって、ってしてたけれど、普段の生活をするってこと自体が、実は、気をはってた、らしい。
たとえそれが、ゲームなんかでもね。

別に気をつかってたわけじゃないんだ。気を使わないといけないような仲じゃない。でも無意識に気を張ってたらしい。
あとから考えてみれば、ゲームをやってたのは「わざと」な部分ってのはあるかもしれない。
ゲームなんか数日間やめてもよかったのに、あえて、やってたんだよね。
それが普段の生活だから。

2時間くらいだと思ってた手術が、時間がかかって、なかなか出てこなくって、3時間、4時間とたっていく。
悪性じゃない、死ぬわけじゃないとは判ってても、頭と感情が別にいっちゃう。

あの先生なら大丈夫だとは思ってはいるんだ。
でも、なにか、どこにもぶつけられない不安が。

何も連絡が無いってことは、トラブルではないはず。
そんなことは頭では解ってる。
わかってるんだよ。

どうしたらいいか解らない。

そして、ゲームして、本よんでた。それが「普段どおりの」生活だから。普段どおりで居たかったの。

だから「トラブルじゃないけど腫瘍が大きいから時間が伸びてる」って看護師が教えてくれたとき、ほっとした。

あのとき、どうするのがよかったのかは、未だにわからない。誰か教えて。

手術室から出てきたJUNは、ベッドに横たわって、酸素マスクをつけていた。
まだ麻酔あけでぼーっとしてたのか、誰がどこに居るのかわからなかったのか。
看護師が「ご家族となりに居ますよ」って言ってくれた。

自然に「おかえり」って言葉が出てきた。

大丈夫? 苦しくない? 何かしてほしいことある? って、聞きたくても、何も言えなかった。
頑張ったね。もう大丈夫だよ。って、言いたいこといっぱいあった気がする。何も言えなかった。

でも言ったのは、言えたのは、ただ一言
「おかえり」
それだけ。

※この日の私の記録は、↓を参照。
私は「おかえり」の言葉を覚えていません。会話がそもそも成立してたかどうかもわからない。

◇2019年9月6日(金)手術翌日

術後の経過が、あまり芳しくないそうだ。
貧血症状が強くて、理想のスケジュールどおりに立ち上がれない。点滴の日数も伸びた。
今日は試しに立ってみたら、足に力が入らずふらふらして、更に、吐いてしまったそうだ。
医療ドラマでよくある「術後の経過は良好です」っていうのが羨ましい。

一昨日も昨日も、本人の前では、未来のことお話して、
治ったらしたいことある? 行きたいところある?
これからどんどん良くなる一方だから、
って話してるけれど。

苦しそうに息をしてて、たまに顔を歪めて、まともに喋れなくって、立つこともできなくって、そういう姿を見ているのは、本当は辛い。
いまこれを書きながら、実は家で独りで泣いてる。
できるなら痛いの半分コしてやりたい。

何で私達なんだろう。ほかの誰でもなく何で?
頭では、ただの運だ、って解ってるんだけど。何で?って思っちゃう。
もちろん答えなんか無い。そんなの理性的じゃない。わかっちゃいるんだよ。わかっちゃ…

今は本人の前ではそんな姿は見せられない。
きっとこの文章は、本人は退院した後に読むと思う。そのときはもう大丈夫だろう。

これから顔を洗って、涙を落として、面会に行く。
私の後ろ向きの気持ちは、このテキストとともに、パソコンの中に置いていくことにする。
面会するときは、笑顔で。

※この日の私の記録は、↓を参照してください。

◇2019年9月7日(土)手術から2日

立った立った、JUNが立った!
ク○ラが立ったみたいなこと言ってるけど、ホントにそんな気持ち。

まだ点滴台に捕まらないと立てないし、体重をそちらに預けているみたいな感じで背中が丸まってる。
それでもいいんだ。
回復してるって見える。実感できる。

1つ1つの行動はものすごく遅い。
私の場合、婆ちゃんの介護があったため、そのへんは見慣れてる。
もっとこうできるんじゃない? とか、動くの遅いなぁ とか、そういうのは思わない。これって普通なのかな。
(婆ちゃんは、転倒してから寝たきりになって、最終的に首から下が麻痺、要介護5。特養に空きが出るまで待ってる期間、家族で(主に父母が)介護してた)

老いっていうのは基本的に回復しないから、それを見てるからか、
ちゃんと、希望が持ててるよ。

だってね
術後すぐは、酸素マスク。声は出さなかった。弱々しく首を動かして、頷いたり、横にふったりするだけ。
翌日は、酸素マスクは外れていたものの、起き上がれなかった。明らかに血色がなくって真っ白、目の周りとかの血管が集まるところはちょっとだけ肌色。例えがわるいけど幽霊みたいな肌の色してるの。
今日は、寝てるにしてもベッドをおこせる、短時間なら座れる、トイレも行ける。血色も人間に近づいてきた。トイレに行けたのでおむつも終わった。
本人はまだ血色とか爪の色とか悪いって言う。悪いのは確か。でも24時間ぶりに見た私にはわかるの。昨日より良くなってる。

確実に昨日より良くなってる。
きっと明日はもっと良くなってる。

もともとの療養計画書に書かれたとおりには回復してなくって、遅れてるけれど、
それでも一歩一歩着実に。

元気になったら、何してあげようかな。どこ行きたいって言うかな?

今夜は発熱してるらしい。吸収熱っていうのがあって、術後48時間がピークだとか。
いま術後52時間くらいだから、熱が出るのが正常なのね。
普通に発熱してて、むしろ安堵してる。

※この日の私の記録は、↓を参照してください。

◇2019年9月8日(日)手術から3日

今夜、夜中に台風が関東を直撃する予報。
日曜なので13時から面会できるので、今日は早めに行って早めに帰ることにした。
台風が連れてきた空気のせいで、すごい暑い日。

昨日とあんまり変わってないって本人は言ってる。
でも、1日ぶりに見ると、顔色が良くなってる気はする。

ただこれ、あくまで「気がする」なんだよね。
私が見ちゃう分には、希望的観測ってのが絶対まじりこんじゃうので、
もしかしたら本当に変わってないのかもしれない。

だとしても、希望が持てるってだけで、いいじゃないか。

療養計画書では、術後3日は本当は「病院内自由に動けます」だったんだけれど、いまのJUNは、病棟内どころか、部屋の隅にあるトイレに行くのがせいいっぱい。
まだ点滴も外れない。そういう意味では遅れてる。
もしかしたら入院が伸びるかもしれない。

でもね、お粥ではなくて普通のご飯が出るようになったって聞いて、嬉しかったよ。
たいして食べれないにしても、そこは回復してるってことだよね。

食べれないのも点滴とれないのも、出血が多かったせい。血が足りてないせい。
じゃあ、身体が血を作るのを待つしかないよね。

4日入院、11日退院の8日間なので、もう入院期間は半分以上すぎてる。
頭で数字を数えれば、半分経過してるのはわかるんだけど、入院してから、なんかいろいろありすぎて、半分すぎたって実感がない。

もちろん本人は必死。
本人は寝てるだけって言ってるけど、少なくとも身体は必死で治ろうとしてる。
そして、家族も必死、なんだよね。

以前に別のことで入院したときは、念のため様子見って感じもあっての入院だったので、こんなに必死になってなかった。
私が仕事いそがしくていろいろ見れなかった部分もある。そこはごめんなさい。
でも、今とおなじように自宅にいたとしても、きっと、今と同じような気持ちじゃなかったと思う。
なんでだろ。
もしかしたら、手術後の、あの、目を開けるのがやっとっていう表情を見たから、なのかな。

※この日の私の記録は、↓へ。

◇2019年9月9日(月)手術から4日・退院予定日2日前

まだデイルームまで歩いていけるくらいでしか無いので、退院は伸びるのかなー…
療養計画書だと、病院内自由に歩けるくらいだったんだけどね。

顔色は明らかによくなってるんだ。
昨日は、変なたとえだけどパンダみたいな感じ。肌が白くて、目の周りだけちょっと血色があって茶色い。
今日は普通に人間ぽい肌になってる。まだ白っぽいけれど。

そして、今日は、ちゃんとご飯が食べれてる! 出た量の1/4くらいらしいけど食べてる!

本人はどうしても、完璧(=完食)と比べちゃって、食べ疲れて箸止めちゃう自分がいやって言ってるんだけど
前回と比べればいいじゃないか。前回より良くなってればいいよ。

マイナス方向に考えるのやめようね
完璧から引き算で考えるからマイナスなの。
昨日と比べればプラスなの。

本人がマイナス思考だと、こっちの気持ちも空回りしちゃうね。

私までマイナス思考にいかないように気をつけよ…。

※この日の私の記録は、↓へ。

◇2019年9月10日(火)手術から5日。退院予定日が伸びて、退院判断まであと3日(退院まで4日?)になった

退院延期。貧血の症状がひどくて、病院内歩けてすらいなかったから、仕方ない部分はあるけれど、
あーやっぱりそうなったかー、という感じ。
ただ、退院日を指折り数えて、って感じではなかった。今のまま家に帰って大丈夫か、生活できるか、悪化しないか、って、不安のほうが大きかった。
だから、伸びたのは、ほっとしたの半分、残念なの半分。いやもしかしたらほっとしたのが7割くらいあるかもしれない。

今日のお見舞い。レディースシェーバーとフェイスシェーバーを持ってきて欲しいとのこと。
昨日まではそんな余裕なかっただろうし、ちょっとだけ余裕ができたんだろう。
顔色は昨日よりちょっと良いかしら。

売店まで歩いてみた。案外とおかったね。
引き返しても休んでも良いんだよって何度も言ったけど、性格的に首を縦に振らなかった。ヘトヘトにさせちゃったよ。ごめんね。
どうも私、頑張る人にはとことん甘いけど、目標高めっていう癖があるらしく、病人にまでそれを発揮しちゃったのね。
目標達成できなくても甘いのは変わらないんだけどなぁ。

まぁでも、これがちょっとでも自信になってくれれば
……って前向きに考えることにしてる。後ろ向きに考えたらきりがないもの。前向きじゃなきゃ。

前向き前向きって言ってるけど、1/3は自分に言い聞かせてて、あと1/3は相方に言い聞かせてる。本当のところ実は結構ナーバスです ><;

夜になって、おなか痛いって。
もしかして私が悪化させちゃった?
本人は違うって言ってるけど、まさか、ね…(吐血)
皮下出血が広がってるのと、やや熱をもってるのと、明日みてくれるとか。
Nは心配です。実は結構心配してます。

※この日の私の記録は、↓へ。

◇2019年9月11日(水)手術から6日

もともとの予定だったら、今日が退院予定日だったんだよなー。しみじみ
伸びて残念とか何とかより、ようやくここまで来たという感覚が強い。あと2-3日とか思ってるからかしら。

今日も売店いったんだけど、昨日より明らかに歩くことができてるし、息もきれにくい。やっぱり疲れるらしいけれど、度合いが違う。
あと階段も、1階2階との間だけだけど、歩くことができた。

階段とか、転んだら大事故になりかねないから、実はこっちはヒヤヒヤなんだよね。特に下り。
もし転倒してきても受け止められるように、自分は後ろむいて階段を降りながら、本人が降りてくるのを必死でみて、危ない素振りはないか、力が抜けてる感じはないか、って。
特になにもなくてよかったよ。

今日はゲリラ雷雨予報のため早めに帰宅。
帰宅しても不安ではなくなった、というのも、ちょっと進歩なのかな。

※この日の私の記録は、↓へ。

◇2019年9月12日(水)手術から7日。いろいろあった日

今日、退院前診断があるらしい。この結果をもとに明日判断するとか(会議するのかしら?)

…と思ってたら、午後に診察してもらって、明日にでも退院できると。
月曜まで居て点滴したほうが身体的には良いけど、退院してもok、という感じらしい。

今の症状は、身体が貧血になれただけ。そうですかい。
良くなったと思ったのになぁ。良くなったのは確かなんだけど、数値以上に見た目は良くなったように見えるんだね。
理系なのに案外感覚で生きてるから、見た目の感じを重視してしまっていたわ (そもそも数値きいてないけどね)

んで、退院すべきかどうか、悩みはじめてしまった。そりゃそうだよなぁ。

うちに出来るのは、家での生活に困らないようにすることくらい。それ以上はどうやっても何もできない。
病院で点滴したほうが回復できるのは当たり前だよね。家ではできないもんね。
歯がゆい…。

夕方、本人と先生と私と3者で面談した。

本人はもちろん不安。
医者からは、ヘモグロビン値(=鉄)の回復について、点滴でも鉄剤でも同じように回復するけど鉄剤は胃が荒れやすいという話をきいた。
何かあったときはすぐに対処でいるのは入院の強みではあるけど、家に帰しちゃだめという体調ではない。
家に帰ることは、病院とくらべてデメリットもあるけど、リラックスできるとか、そういうメリットもある、と。
私としては、家族としては帰ってきてほしいです、とはっきり言った。何もしないで寝てても良いくらいに家事します、とも。
治るまでの1ヶ月限定とかだけど、自分はかなり無理しても良いよって思った。さっきも書いたけど、できることがサポートだけなのが歯がゆい。
病院に無理言っちゃってるかなー、悪い患者さんかなー、って思いはちょっとある。でも言わなきゃ駄目だろうしなぁ。

そして本人が
「じゃあ明日退院します」

明日、点滴してから、退院することになった。

やっと帰ってくる。やっと一段落。やっと…
一歩進んだのは素直に嬉しい。
自分も疲れてるのは認識してる。普段の生活に、毎日3時間くらい差し込みでお見舞いというスケジュールを無理やり詰め込んだんだもの。そりゃちょっと疲れる。
でも、あともうちょっとだ。半分以上すすんできたじゃないか。それに、今無理しなかったらいつ無理するのさ。
あと1ヶ月くらいサポート頑張る!

夜。なんかずっとバタバタしてたのが落ち着いて、時間がゆっくり流れてる気がした。

※この日の私の記録は、↓へ。

◇2019年9月13日(金) 退院

バタバタした割には、なんかあっけなく。
お支払いして、荷物を車にもってってる間に、本人が手首のネームタグ切ってもらって、面会票を返して挨拶して終わり。

さぁ、あとは生活サポートがんばるぞっと…

とりあえず家でリラックスできてそうに見えて、今、ほっとしてる。

※この日の私の記録は、↓へ。

◇2019年9月14日(土) 退院1日目

これなら食べられる、というものが少なくて苦労する。
昨日最初に食べたのは味噌おじや、夜は焼き魚。今朝はパン。量は毎回少なめ。

NG食品としては、生物・激辛・お酒など。
つまり医者からは普通のご飯は食べて良いってはっては言われてるんだけど、食べたいって思えるものが少ないって。どうしようかな…。

生物だめってことは、レアやミディアムのお肉なんかも駄目なのよね。入院前に行っておいてよかった。

※この日からの復職までの私の記録は、↓へ。

◇2019年9月15日(日) 退院2日目

実績解除表というのを思いついて、昨日から作りはじめてみた。
いずれも、普段の生活では当たり前にやってたこと。日常生活って案外、いろんな細かいことで出来てるんだなって気づいた。
こういうの全てできなくなってたから、1個1個できるようにしていこう。慌てず急がず…。

いくらか回復してきて、Nのほうにも時間的・精神的に余裕がでてきた。
お勉強したり本を読んだり、って、なかなかそういう気持ちにすらなれないことが多かったけれど、やっと今日、やりはじめた。

◇2019年9月17日(火)退院4日目

血液検査のために病院へ徒歩。
こちらは、病院まで送る → 歯医者 → 再度病院、という予定だった。

行く途中で「そこまで着いてこなくてもいいから。そこまでされるとちょっと嫌」と言われる。
過保護すぎると嫌かー。
こっちから見ると回復してるかどうか解らない、慣れただけの可能性が高い、と思ってのことなんだけど。
なんか、中学生くらいの子供に突き放される親の気分。遠くから見守るしか無いのかしらね。

※この日の私は、頑張らなきゃっていう気持ちが強かった。
今までも一人で通院できてた。だから一人でできるようにならなきゃ、って。

◇2019年9月18日(水)退院5日目

疲れのためか、私のほうが体調を崩す。
こちらとしては、無理はさせないで、疲れてるときは寝ててもいいくらいのつもりだったのに。

今は、キッチン周りを任せられるくらいには回復してる。
退院直後に疲れとかでなくてよかったけど、それでも、自分がサポートすると言ったことが出来てないのが辛い。
サポートするつもりだったのに、まさか自分のほうが家事をやってもらうことになるとは…

手術から2週間程度がたち、出社可否の判断まで1週間という時期を考えると、1人でいろいろ出来ないとまずい時期なのよね。
結果論だけど、もしかしたら、こうやって家事をやってもらうのは正しいことなのかもしれない。
…というのは頭では考えるんだけど、やっぱりキッチン周り全てをやってもらったのは心が痛む。
そして、考えれば考えるほど、ウガーーー(発狂)ってなってしまう。

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これは、家族Nからの要望もあって掲載してる。
自身が、体験したことって「家族としての視点」なので、患者本人である私の視点とはまた違ったものだし、前回の(2010年の)入院のときはお見舞い1回しか来なかったことを考えると、毎日時間を作って来てくれたことが、すごいことだと思う。

まあ、その分後で体調を崩すわけだからたまにはお休みしても良かったんだよって思うけども、それでも来てくれることがこの頃はありがたいと思っていた。

もし、今入院することになったら、面会はできない。手術の当日だけになるだろうと思う。(病院による)
この頃、まだ某感染症は蔓延してなくて年が明けてまさかの事態になったわけだから、この頃、毎日お見舞いに来てくれていたことに感謝だ。

もちろん、手術を受ける家族側が、おなじように思うかと聞かれたらわからない。だけど、こんなふうに感じていた家族がいましたっていうなにかのきっかけになってほしいなって思ってこの番外編は終了です。

次回(*´ω`*)

9月になってしまった。主人が精液検査を受けた。の巻

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