「チー牛」に見る世の中の醜悪さ
「チー牛」という単語、皆さんも一度は目や耳にしたことがあると思います。
この言葉が使われるようになった背景には、人々の心の中に潜む、他人を見下したいという欲望があるのではないかと感じています。
「チー牛」の登場
「チー牛」という単語が流行したのは、「オタク」という言葉が侮蔑の意味を持たなくなったからだと思っています。
かつて「オタク」というレッテルを貼ることで他人を侮蔑していた人たちは、新たな標的として「チー牛」を見つけ出しました。
人間の本性は、他人をレッテルでくくり、侮蔑することで自分の優位性を確認したいものなのかもしれません。
レッテルと侮蔑の繰り返し
「チー牛」という言葉が流行している現在も、いずれ、というか現在進行形で慣れていっています。
そして、また新たな蔑称が登場し、流行するのだと思います。
このような流れを見ていると、非常にくだらないと思うのですが、どうなんでしょうか。
SNSで世間とつながることが出来るようになった結果、蔑称が増えるというのは何ともさみしいなぁと思ったりします。
他人を見下すことでしか自分を保てない人々がいる限り、この流れは止まらないと思いますし、永遠と生まれ続けていくのだと思います。
最近では「撮り鉄」や「AI絵師」みたいなものもそうかもしれませんね。
正直もっと楽しいことを行えばいいのに、と思ったりするのですが、きっと彼ら・彼女らにとってはこういったことが楽しいことなのでしょうし、閉口するしかないのかもしれませんね。
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