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行き過ぎた承認欲求とSNSと生成AI(AIイラスト)と

行き過ぎた承認欲求とSNSと生成AI(AIイラスト)と

SNSが広がるにつれ、人々の承認欲求が顕著になり、その影響は多岐にわたっています。
承認欲求そのものは人間の基本的な欲求の一つで、自己肯定感や社会的な所属感を高める役割を持っています。
しかし、SNSの特性上、即時性や匿名性、広範囲にわたる視聴者へのアクセスが可能なため、過剰な承認欲求を促してしまうことがあります。

特に最近は顕著だと思います。

承認欲求は満たしたいけれど、私たちのような一般人が承認欲求が満たせるようなコンテンツを作れるわけがありません。
まずこれが出発点です。
現在のSNSは承認欲求の世界選手権です。世の中の面白い人たちがしのぎを削っている場所でいいねをもらうのは至難の業です。

その結果こういった勝手なでっち上げの事
https://x.com/tsurumy/status/1768146665540829580?s=20

生成AIなのに自作発言
https://x.com/seigou006/status/1746879674704396528?s=20

こういったことが後を絶ちません。
こういった人は悲しいことにbio欄がたいてい「なんだかよくわからないすごそうな寄せ集め」であることが多いです。
目立つことで必死なのに、中身が何もないからこういったことになるのでしょう。

結果として次のようなことが目立つようになります。

  • コンテンツの模倣や盗作
    オリジナリティや創造性を追求するよりも、既に成功しているコンテンツを模倣したり、他人の作品を無断で使用することで承認を得ようとする行為です。

  • その場限りの犯罪
    注目を集めたいという欲求が、法律や倫理を無視した危険な行動や犯罪に繋がることがあります。

  • 誹謗中傷
    他人を批判することで自分を際立たせようとする行動です。これは、SNSでの「いいね」やフォロワー数という数値に価値を置く文化が促進することがあります。

これらの行動は、短期的には承認や注目を集めるかもしれませんが、長期的には自己や他者に対する信頼を損ね、SNSのプラットフォームや社会全体に悪影響を及ぼす可能性があります。
またこういったことを100回繰り返しても、本人は何もならないんですよね。
そうして、本物には勝てず、足を引っ張ったりデマに加担したりと現代のモンスターの誕生です。

AIイラストを投稿している人もだんだんと減って、足を引っ張る行為に向いています。
AIイラストですら作らないのです。

生成AIであっても、どういったツールを使ったとしても、やっぱり作って「いいね」を集めるのは難しいです。
コンテンツを作成すること自体は、創造性、専門知識、時間、労力など、多くの要素を要求します。さらに、オリジナリティを追求し、見ている人に響く何かを生み出す能力が含まれます。しかし、高い品質のコンテンツを生み出すことは容易ではなく、継続的な努力と献身が必要です。

そして、勝手にプレッシャーを感じます。
SNSのプラットフォームは、ユーザーに「いいね」やシェア、フォロワー数といった量的な指標を提供し、これらが成功の指標として受け取られることがあります。その結果、承認を得るためにはこれらの数値を増やす必要があるという考え方が広がり、多くの人が認知されるコンテンツを生み出すことに対して過度に焦りやプレッシャーを感じるようになります。
私も多少は創作をする人間ですが、評価が気になります。そして数が気になります。今でこそそういったことはなくなりましたが、投稿して2か月くらいは毎日のようにPVを見に行っていました。

数は恐ろしいです。
SNSで他人の成功を目の当たりにすると、「なぜ自分ではないのか」という疑問や、他人が享受しているように見える成功や承認に対する嫉妬を感じることがあります。これは特に、自分自身が期待している成果を得られていない場合に顕著になります。その結果、「なぜあいつだけ?」という怨嗟や不満が生じるのです。

そうすると嫉妬します。嫉妬と認めたくないのだからさらにこじれてしまいます。
嫉妬は人間の自然な感情ですが、過度になると自己価値感の低下、不安、孤独感、さらには他者への敵意や攻撃性につながることがあります。SNSのコンテキストでは、これらの感情が誹謗中傷や否定的なオンライン行動に発展することもあります。

そして、さらに地獄なのが、承認欲求の交換をしていることです。
最近氷結の宣伝で成田悠輔さんがやり玉に挙げられていました。

これも、別にたぶん誰でもいいのでしょう。成田悠輔がどういった人かよりも、「成田悠輔を批判したことでもらえるいいね」に酔っているんだと思います。
集団自決だってつい最近の事ではないですし「成田悠輔って頭いいの?大したことなくない?」という人もいるくらいです。
麻布→東大→マサチューセッツ工科大学の経歴を持っている人が「大したことない」と言える人は日本でどれだけいるのかわかりません。
また、「あいつって論文とか書いてるの?」ということもみましたが、正直Google Scholarも知らないで何を言っているのかと思います。

誰でもいいんです。
もう本当に。
だってろくに知らない人に対してあそこまで罵詈雑言をかけるんですから。
そして、その罵詈雑言も猫も杓子も同じ文言です。まだ生成AIのほうがいい批判の文章を書くでしょう。
そんな文章すら書けないんです。
能力がないからかわいそうだ思うのですが、それで承認欲求の「いいね」の交換、100いいねくらいを毎日のように集めて死んでいくのはなかなか素晴らしい人生だと思います。

能力がない私たちはSNSでいいねなんて集めることができないことを認め、おとなしく便所の落書きを垂れ流していればいいのだと思います。
それで行きつく先も生成AIに時間とお金を払って、何の意味もないいいねをかき集めることに何の価値があるんですか?そこに「あなた」は不要です。
「AIに仕事を奪われる」なんて言っていたのに、自分から仕事どころでない何かを渡してしまっていませんか?
死ぬときの走馬灯がそれですか?

それでいいんですか?

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