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デジタル時代の洗脳

洗脳と言っても、この文章ではそんなに怖いものを扱うわけではありません。
ただ、デジタル時代の洗脳は身近なところで、もしかしたらこの文章を読んでいるあなたも今洗脳されているかもしれません。

最近の若者は文章を読む機会が減ったと言いますが、SNSやnoteといった媒体で文字自体を読む機会は増えたと思います。
また、情報収集としてもYouTubeなどで触れる情報量は圧倒的に増えています。

そんな日常を送っていると「あ、これ私が言いたかったことだ」と思うことに触れる機会が増えたと思います。

「思っていたこと文章化してくれた」
「そうそう、これが言いたかったんだよ」

このように、自分の考えや感情を代弁してくれるコンテンツに出会うことは、共感を呼び、心地良いものです。

ただ、失われていることもあります。

「思っていたこと文章化してくれた」
「そうそう、これが言いたかったんだよ」

ところで、昔塾で講師をしているときに生徒に「感想はない?」と聞く機会がありました。
たいてい元気のいい子が先陣を切って質問をして、続いてくる子は少なかったりします。そして生徒を名指しで当てたりすると「さっきと同じ感想です」ということが多いですが、実際にもう少し突っ込んで聞いてみると結構違うということがよくあります。

こういったケースに似ています。

「思っていたこと文章化してくれた」
「そうそう、これが言いたかったんだよ」

本当でしょうか?
同じテーマに対して、同じ文章を書いたとしたらニュアンスが違いませんか?
あなたの意見は塗りつぶされていませんか?
書いてある文書で「洗脳」されてませんか?

そして、このデジタル時代のアルゴリズムの情報のフィルタリングはこの「洗脳」を加速させます。

SNSやYouTubeなどのプラットフォームは、ユーザーが関心を持ちそうなコンテンツを優先的に提示するため、同じような情報や意見ばかりが目につくようになります。

こういったことを繰り返していくと、本当はもっとまだらに混ざっていた様々な多様化した考えが、いくつかのグループで分断されて行ってしまいます。

双方向な情報のWebの時代のWeb2.0が始まった時には、いままで注目されなかったような、絶対にマスメディアでも取り扱われなかったことも情報発信されることによって社会は多様化していくと思っていました。

もっとコミュニティやクラスタみたいなものができて、先鋭化した趣味、考え方みたいなものが広がり、世の中は多様化していくと思っていました。

ただどうでしょうか。
皆が同じようなものにいいねをして、同じようなトレンドについてつぶやき、そして、同じようなことしか言いません。X(Twitter)もユーザーが多種多様なつぶやきをしますが、「おすすめ」タブが登場したことによって、自分の趣味や嗜好に関係のない「人気のある」つぶやきが広がりやすくなりました。

この現象は、ユーザーにとっては一見すると便利で、興味のある内容を素早く見つけることができるように思えます。しかし、それは同時に、視野が狭まることを意味しています。私たちが見ている「世界」は、実際にはアルゴリズムによって選ばれた一部分に過ぎないのです。そして、その選ばれた一部分は、往々にして自分が既に同意している意見や、自分が好むトピックばかり。これが、デジタル時代の「洗脳」の一つの形です。

また、この状況は情報の多様化どころか情報の画一化を招きます。
「チー牛」「無敵の人」
SNSで一時期こういった表現が流行りました。
SNSではこういった「一見わかりやすく覚えやすくもともとの意味とかけ離れていてもエッジが効いている言葉」が流行ります。
この言葉が流行ったことでなくなった言葉があります。
「チー牛」はシンプルに悪口ですが、「いつもしまむらの同じ服着てそう」「オタクでぼそぼそしゃべりそう」「孤独に過ごしてそう」「いつも世界を救う妄想してそう」などなど。
こういったことを全て内包しているといえばそうかもしれませんが、「にわか雨」「霧雨」「小ぬか雨」「春雨」「夕立」「小雨」「大雨」「豪雨」を全て「雨」と呼ぶようなニュアンスを感じます。
「無敵な人」とグルーピングをしてしまうと結構デメリットの方が多いように思います。

閑話休題。

このように、自分の意見が他者との交流や多様な情報源から形成されるのではなく、既に自分が好むと判断された情報のエコーチェンバー内で反響し続けることになると、自分の視野や考えが狭まり、柔軟性を失ってしまいます。

私たちは、このような環境下で、自分自身の意見を持つことの大切さを再認識する必要があります。また、異なる意見に意識的に触れ、自分の考えを常に問い直し、検証する姿勢が重要です。

先日のnoteでも書いたように、簡単な事ではありません。快適なエコーチェンバーから一歩出て、自分にとって不快かもしれない情報や意見に意識的に触れることは、精神的な努力を要求されます。しかし、それによって得られるものは大きいです。より豊かな知識、より深い理解、そして何より、自分の意見を形成するための多角的な視点です。

デジタル時代における洗脳から自分自身を守り、自分の思考を豊かにするためには、情報収集の方法を意識的に選択し、多様な情報源に触れることが不可欠です。自分の好みだけでなく、時には自分の意見と異なる情報にも意識的にアクセスすること。そうすることで、私たちは本当の意味で情報に富んだ、考える力を持った個人になることができるのかなとおもいます。

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