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「将来の役に立つことをしなさいという」大人の顔をした予言者たち。

「将来の役に立つことをしなさいという」大人の顔をした予言者たち。

私は中学生の時に「そんなもの将来の役に立たないからやめなさい」とそれまで描いていた絵を破られました。まだお小遣い制のころ、漫画用の原稿用紙とアイシーのスクリーントーンを貼った、親にとっては価値のない、それどころか時間の無駄の産物を破られたわけです。

覚えているのは父がラフ原稿(ネームと呼べるようなレベルではなかったかもしれないですが)を見て「ドラゴンボールの鳥山明はそんなしゃっしゃっと線は引かない。ほかの漫画も見てみろ。しっかりとした線が引かれている。お前のそのしゃっしゃっとした線ではだめだ」と言われたことも覚えています。
ちなみに父は絵を描けません。大工なので図面に定規で線を引いているところは見たことがありますが、絵を見たことは無いです。きっとペン入れ後の絵しか見たことがなく、ラフだったり、下書きだったりという概念をしらなかったのでしょう。

経緯はさておき、実家暮らしで一家の大黒柱の父親にそういったことをされてしまうと大っぴらに絵を描くことはできなくなりました。とはいえやっぱり絵を描くことは好きだったらしく、クロッキー帳をこそこそ買い、こそこそ描いていた様に思います。
大人になってからも絵を描き続け、有償でイラストの依頼をいただけるようになりました。

私は中学生の時に「そんなもの将来の役に立たないからやめなさい」とゲーム類をすべて没収されました。当時はスーパーファミコン、nintendo64、PS1とかの時代だったかと思います。懐かしいですね。
理由としては「ゲームをやっていると馬鹿になる。将来高校にもいけなくなる。大人になってお金を稼ぎたいならいまそんな事をやっている場合ではない」という理屈だったかと思います。
当時から決して素直ではない、ずるがしこい子供だったのだと思います。すぐに隠し場所を特定し、深夜にこそこそとリビングに行きゲームをやりました。

結果、運に恵まれ就職活動もうまく生き、父親の収入額をはっきりと知っているわけではありませんが、1年目から同じくらい、3年目には父親より稼ぐようになったと思います。

本や掲示板、友達の話を聞いているとどこの親も似たようなものらしいです。
「そんなもの無駄だから」と勉強をさせるのは常識みたいですね。私は子供がいないのでわからないですが、もしかしたら私も将来は似たようなことを言っているかもしれません。

ただ、この文章を読んでくれた「子供」には「大人」に無駄と言われても好きなことをやった方がいいと思っています。
将来のことなんて誰もわかりません。有名で高給取りであるシンクタンクと呼ばれる会社が10年くらい前に書いた本とかを読んでみてください。結構外していることが分かると思います。
シンクタンクの能力の低さを言っているわけではありません。それだけ未来の予想は難しいという事です。そういったことを専門にしている人たちが外すのです。専門家でもない親が当てることはおそらく難しいでしょう

電卓が出る前はそろばんを上手に使える人や暗算が早い人が重宝されたかもしれません。それも電卓が登場したことでそのスキルの価値は下がったかと思います。その電卓についても同様です。今では電卓を用いて計算をすることも稀かと思います。私は少し前まで会計のシステムを作っていましたが、電卓を使ったのは簿記の試験を受けに行ったときくらいかと思います。

「将来役にたつこと」。中学生の子供が社会人になるまでに約10年間のタイムラグがあります。2012年ごろ、まだスマートフォンは物珍しい、新しいもの好きの人だけが使うモノでした。10年あればこれほど世界は変わります。
現代は情報の流れが速いです。スマートフォン、インターネットの普及によって昔の様に有識者だけが情報を持っている時代は終わりました。そしてこの先、もっともっと加速していくように思います。

日本の学歴社会もいつまで続くかわかりません。象牙の塔で勉強するよりも高校などに行かずベンチャーとして起業したほうがクールだという社会の流れになるかもしれません。
将来の事なんて誰もわからないんだから、いまできることを全力で楽しむ、その方がよっぽど健全なのではないでしょうか。


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