道海裕

(どうかい ゆう) 物語・詩・散文の創作をしています。 スキマ時間に好きに読める記事を…

道海裕

(どうかい ゆう) 物語・詩・散文の創作をしています。 スキマ時間に好きに読める記事をお届けします。 心ほどける瞬間に。ご愛読感謝。

マガジン

  • 琥珀的詩

    2022年3月~5月

  • 物語の種

    物語の種(タネ=ネタ)をつくりました

最近の記事

平山正木という男/映画『パーフェクト・デイズ』をめぐって

 去年の年末のこと。夕食の仕度をしながらラジオをつけていた。ピーター・バラカン氏が「平山の聴いている曲のセンスが抜群にいい!」と感心の声をもらしているのが、ふと耳にはいってきた。  (平山って一体だれだろう?)  何ていうことはない。映画『パーフェクト・デイズ』にて役所広司の演じる主人公・平山正木のことだった。映画をまだみていない自分が<平山>を知らないのも当然だった。ラジオではザ・ローリング・ストーンズの「(Walkin‘Thru The)Sleepy City」が流れ

    • 石のための掌篇小説◆アクアマリン◆

       少年は、白いタンクトップに紺の短パン、  ビーチサンダルという出で立ちだった。  二泊三日の小旅行の最終日。  昨日は生憎の雨だった。  今朝から晴れて私は散歩に出た。  海辺のホテルを出る。空気は澄んでいた。  私は去年買った柄のワンピースに  今回の旅行に買った麦わら帽をかぶった。  防波堤から砂浜へ降りる。  ふいに私は砂の感触をたしかめたくなる。  私は裸足になった。そして砂浜を歩いた。  「壜(ボトル)を探しているのです」  浜辺で出会った少年は、私にそ

      • [詩]空に梯子を架ける人

        空に梯子を架ける人 ある晩、空に梯子を架ける人が云った 「何かが起きそうな晩……  たとえ起きても起きなくても、  ”起きそうな”というのがいいのだ」 「なるほど、届いても届かなくても、  ”届きそうな”というのがいいのですね」 したり顔で、ぼくがそうこたえると、 すでにその人は空の梯子をのぼっていた

        • 岬◎詩

          岬 海をめざしていく 畔道の途中で 私はポケットから 家の鍵、財布、手帳、 スマートフォン、ロッテのグリーンガムを どこかで落としてしまったようだ すっからかんとしたココロで 岩場の先端から  蒼い海と 南の空を望めば ポケットから 何かがふたたびころげ落ちた ごろりと音がした ポケットからこぼれ落ちたのは 海と空のあいだで木霊する 岬の声

        平山正木という男/映画『パーフェクト・デイズ』をめぐって

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        • 琥珀的詩
          10本
        • 物語の種
          10本

        記事

          歪んだ世界に光あれ◎アリ・スミスの短編

           原題は<the child>。邦題は「子供」。この短編を読んで、作家のアリ・スミスに僕は興味を持った。「子供」は『コドモノセカイ』に載っていた。『コドモノ』は岸本佐知子さんの訳篇したアンソロジーである。  あらすじは、こんな感じ。主人公の女が、職場の昼休み、スーパーマーケットへ買い出しに行く。買い物の途中、野菜売り場に置いていたはずのカートが消えてしまう。誰かが持っていったのかと思いきや、同じ場所に別のカートが置いてある。  そのカートには、金髪の巻き毛、白い肌、バラ色の

          歪んだ世界に光あれ◎アリ・スミスの短編

          梵語◎詩

          梵語 禅の公案が退屈ならば 梵語をごろんと転がせばいい 葉っぱが葉脈から裂けた夜に ミツバチは蜂起のときをうかがって 木魚をシャカシャカと叩いた 畳のうえに龍のあざが 悲しみと添うように花ひらく

          梵語◎詩

          百十五年前の小説から

            夏目漱石『三四郎』の冒頭部分。主人公の青年が上京すべく、九州から山陽線へと乗り込んだ。そうして爺さんの会話を青年が黙って聞いている。  小説は1908年(明治41年)に発表された。ここで乗客の爺さんのいう戦争とは日露戦争のことである。百十五年前の小説だが、まったく同じような台詞は昨今の社会情勢からでも聞こえてきそうだ。  ところで、物価をしょしき(諸色・諸式)と読ませる。漱石の江戸っ子気質を感じた。読書の愉しみはこんなところにあり。僕はムフフとなった。

          百十五年前の小説から

          上弦のタンゴ◎詩

          上弦のタンゴ ギターの宵 上弦のタンゴ  爪は赤に濡れ  身は月に在れ  花は火に焼べ ピアノの吐息 朝を告げる    ふさぎ  かまわず  うろたえる 遠くの呼応へ 急ごうか

          上弦のタンゴ◎詩

          アルチュール・ランボーの半生◎詩

          アルチュール・ランボーの半生 前方は、砂にまみれる ふるえる舌で推敲する 「いとしい」か「おそろしい」か 灼熱と災厄のトートロージー 棒、皿、花びら 午睡のヴィジョン 黒に祈るまえの、 つまりそれは瞼を閉じるまえの、 あなたの神髄

          アルチュール・ランボーの半生◎詩

          海鳥◎詩

          海鳥 美しい海に、 純然な、 ひとりの少年 喧噪から離れ、 エールを送ると、 風の渦巻く 僕はずっと鐘を呼ぶ ふるえる鳥の囀るまで 岬へ滑空 紺碧の海 骨に沁みて、胸のさわぐ

          孤立した存在が愛を育てる

           はじめに本の帯文から紹介します。  読む者の人生経験が深まるにつれて、この本は真価を発揮すると思う。  谷川俊太郎のメッセージです。本を読み終えたあと僕は、詩人の達見に対して、ふかく同意せずにはいられませんでした。僕がこの本を読んだのは三度目で、初読から18年、二読目から5年ほど経っていました。まさにこの本の真価がようやく感じられる所に自分自身が来たということなのかもしれません。  さて、この本というは、エーリッヒ・フロム著『愛するということ』(鈴木晶訳)です。世界的

          孤立した存在が愛を育てる

          映画の呼吸をよびおこす活弁士

           昭和の日。千駄木の<ギャラリー七面坂途中>で無声映画を”体験”してきました。映画は、小津安二郎監督の『大人の絵本 生まれてはみたけれど』、1932年の作品です。映画史において、前年(1931年)、映画は無声映画からトーキー(映像と音声が同期した現在の映画)へと移っていきます。小津監督の『生まれてはみたけれど』は、無声映画の最後にして最高の傑作と呼べる作品なのかもしれません。  無声映画の時代、日本では弁士あるいは活弁士とよばれる映画の語り役が存在していました。活弁士のなか

          映画の呼吸をよびおこす活弁士

          琥珀的詩2023◆マミズ◆

          マミズ 水さしに水が半分はいっている 半分も? 半分しか? 朝起きる 僕は水をのんだ 半分も、半分しか リビングに光が射し込んでいる 水さしに水がはいっていた 半分も、半分しか えっ、それは魔法の水だって? 「まさか」と呟いて 僕は小説の続きを読みはじめた

          琥珀的詩2023◆マミズ◆

          『そらから おちてきてん』ジョン・クラッセン作/長谷川義史訳

          命を吹き込む、おちてきてん。  長谷川義史の訳でなければジョン・クラッセンの絵本を開くことはなかったかもしれません。  タイトルは『そらから おちてきてん』。原題は<THE ROCK FROM THE SKY>で、日本のタイトルの方が素晴らしいです。はっきりいうて。  クラッセンの絵でいえば、そら(空)の描き方に目を惹かれます。灰色がかった空気にうっすらと虹色を混ぜている。そのせいか、岩が落下してくる危険な状況が、ほのぼのしたファンタジーに見えてきます。  SFっぽい世界

          『そらから おちてきてん』ジョン・クラッセン作/長谷川義史訳

          ◆琥珀的詩2023◆黒電話

          黒電話 北欧の無人の杜の 奥のかろうじて 陽のあたる場所に 黒電話が一台 置いてあって 受話器に耳をあてると 自分の肺を通過するかすかな空気の音が ぶわんと流れてくるような

          ◆琥珀的詩2023◆黒電話

          絵本の旅へ#3 ウォーミングアップ

          絵のウォーミングアップに、塗り絵をする。 気づけば、ウォーミングアップで終わる(笑) それが、なんだか、かえって、たのしい。 塗り終えたあとの、アタマの空っぽな感じ。 ただいま、午前11時23分。

          絵本の旅へ#3 ウォーミングアップ