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もや


空中に漂う何かを視認できるようになったのは、中学の頃に高熱で寝込んでからだった。

親が言うには、その頃に僕は一度生死の境をさまよっていたのだという。

一週間以上高熱が続き、医師からは目覚めたとしても何らかの障害が出てくる可能性が高く、そもそも目覚めないかもしれないと告知されていたのだとか。

それでも僕が目覚めて、そして医師から告知されたような目に見える障害は出て来なかったし、若かったからか三日くらい経ったらケロッともとの状態に戻っていた。

そう、戻っていたのだ。

見たかんじ、いわゆる『普通』というやつに。

異変は回復して学校に通うようになってから気がついた。

学校の校舎が見えるくらいの位置になると、その真上に紫色のもやがあるのが見えた。

不思議に思いつつもそのまま校舎の中に入り、教室へと向かう。

教室の扉を開けると、その光景に息をのむ。

クラスメイト達の上に様々な色のもやが漂っていたのだ。

そのもやが何を意味しているのかその頃はわからなかったけれど、それを他人に話してはいけないということは何故だか理解が出来た。

ただ、まだ治ってから二週間も経っていないのだから、ちょっとした疲れがまだ残っていてそれが原因なのだろうと思いたかったのもある。

だから言わなくてもいいと思ったし、言ってはいけないと思っていたのだ。


だけど何日、何カ月、何年経ってもそれは僕の目に映り続けた。

しかもそのもやは、最初見えていなかった親にまで見えるようになり、今ではそれが見えないモノはなかった。

むしろ見えないモノに出逢うと、少しだけ怖くなる。

そのもやの正体はつかめてはいないけれど、恐らく生命にかかわるものなのだろうと僕は想像した。

無機物であってもそのもやが見える場合は、そのもやの色によって判断が変わるのだが大体は白い色で異常がない、他の色で無機物がなんらかの異常をきたしている。

灰色の場合、その無機物は平均で四日以内に故障していた。

無機物でなにももやを発生させていない場合、例えば家だとするとその家はまだ活動をしていないかもう役目を終えた家だ。

人にもやが発生していない場合は、もう生命活動をしていない。

しかしこの間、もやを発生させていないのに生きている人を見てしまった。

あれはきっと人の皮を被った何かなのだろうと、僕は理解している。

本当に見てはいけないモノであり、出会ってはいけないモノだった。

僕は出会ってしまったので、今はそれから逃げるように生活をしている。

どの街に行っても必ず二年以内に出くわしてしまう、もやを発生させないモノからいつまで逃げればいいのか。

僕が生命活動を終えるまで、それは繰り返されるのか。

考えたくもないことを考えざるを得ない、この状況にうんざりとしている。



四日後。

目を覚ますと、もやのないモノが笑って僕を見下ろしていた。




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