Xで議論になった障害者の進学についての話(2)

前回の続きになります。

前回私には「先天的な脳の障害」が
あると書きました。

経緯等詳しくは分からないのですが
(後に調べる方法がわかり、やっては
みましたが様々な事情でたどる事は
無理でした。)
「子どもの頃に何か脳に問題があり
障害者手帳が発行された」しか
わかりません。

自分の事なのにわからないというのは
何ともおかしい話なんですが
ただ、少しだけわかることは
「幼児期に障害がみつかり、
手帳をとる必要があった」
そしてはっきりしている事として
「成人になっても脳の障害は
残っており、消えることは決してない」

分かりやすく言うには
「一生消えない脳のダメージ」と
向かいあって生きている。
それが私の姿。

親の理解は
「大人になったら治る」と
本気で信じていましたし
今でもこう言います。

その度に私は「白目むきながら」
「治るくらいなら血反吐はいて
苦労して…ない…」と思う訳で。

私自身は「自分の特性を理解」して
決して逃げずに向かいあう。
生きて結果を出していくには
人の2倍、3倍の努力が必要で
場合により結果を出すのが遅いか
あるいは全く出せないか?の
どちらかになる。
どんなにしんどくても逃げられない
運命だと思っています。
 

これは私の周りの支援者も
私について同様の
理解をしております。

まず、記憶障害があって
人の話を忘れやすいので
「必ずメモをとります」

時には「やった事もメモります」

そうすれば人の手を借りずに仕事が
成立します。

報告も「必ず内容」をメモし
メモを見て報告します。
メモを見ながら話すと、
時には相手も「メモ」をみて
確認してくれる場合もあります。

ただ、以前の職場で
「雑談レベルの話」をわすれてしまい
2度同じ話をしてしまったという失敗が
あり、周りに呆れられました。

判断能力も不安があるので
「自動車免許」の取得も無理です。

日常生活以上の判断、例えば
「裁判員制度の裁判員」などは
絶対に無理です。

私自身「障害」がある事を言わず
「クローズ」で働いていた事、
支援者にも「普通に働ける」と
認識されています。

そもそもそれ以外の疾患(メンタル)も
あり、人より働ける時間が短いので
障害者雇用にもしていなかった。

ただ、奇異に見られてしまうことは
残念ながらあります。

なので毎日必死に工夫し
擬態してる訳で。

…それでもボロは出る。

Xで出た彼女は私と同じように
「自分の特性」をキチンと
「理解」していて
学校側にも
「話して理解されていた」にも関わらず
心ない人に糾弾され、
辞退せざるを得なかった。

正直なところ
10代の女性にあらゆる手段で糾弾し
潰してしまう世の中に
「障害者は障害者側の世界」で生きて
決して「健常者側」という世界に
立ち入ってくれるなと
言われている感覚になる。

それって令和の時代に
「共生社会」とか
「多様性」とか言われるように
なったけど意味なさないのでは?

いつ、先天的な病気が見つかったり
事故にあい、障害を負うかも
重い病気を患うかもしれないし。
歳を重ねて脳にダメージを受けること
だってある。

人間はいつ障害になるかはわからない。
私は紙一重のように思っています。

次の回で私が
どうして「脳の障害」がわかり
それでも介護福祉士を目指したのかを
話していきます。





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