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ダウスゴーと宮田大のサンドイッチ・プログラム 都響C定期

はじめに

私はアンコールの曲紹介が好きではない。これから何の曲をやります、なんて興醒めでしかない。

アンコールは黙ってさらっと弾いてほしい。
何の曲かわからないと休憩中の話のネタにもなる。
帰りに掲示板を見て曲を知る喜び(最近は密になるからTwitterで発表するけど)。

サプライズ感が好きなのだ。知ってる曲だと「あ!この曲やるんだ!」という驚きがある。
聴きながら選曲理由を考えるのも楽しい。

今日の宮田さんのアンコールは稀に見るセンスの良さでしたね(内容は後ほど😁)

東京芸術劇場で東京都交響楽団を聴いてきた。

ランゴー:交響曲第4番《落葉》
シューマン:チェロ協奏曲 イ短調 op.129
ニールセン:交響曲第4番 op.29《不滅》

指揮:トーマス・ダウスゴー
チェロ:宮田 大

ランゴー


ダウスゴーの母国デンマークの作曲家。初めて聴く。
ダウスゴーは2015年5月以来2回目の登場。前回聴きたかったのだが叶わなかった。

まるでジェームズ・ホーナーの映画音楽のようなテイスト。情景的な音楽で聴きやすい。

単一楽章なので切れ目なく24分続く。
今回は3曲とも切れ目なく演奏される曲なのでそれも裏テーマかもしれない。

ランゴーに比べればコープランドの交響曲第3番の方がよほどシンフォニックだ。

今年はアンドリュー・リットンやマケラ、大野らで都響を聴いたが、都会的な洗練されたオーケストラという印象がある(NYフィルもこんな感じなんだろうか)。

大野のブラームス2番はルーティーンの極み・教科書的演奏だったが、ダウスゴーはもっと繊細。
ただ、思いがけないトラブルが。補聴器のハウリングである。

予想外のハウリング

ハウリングに遭遇したのは久々だった(時計のアラームはたまにある。コンサートホールで鳴らしてるってことは電車の中でも鳴らしてるんだよね。大丈夫か?)。

開始早々ハウリング音が始まり、せっかくのダウスゴーの繊細さが台無し。
そこまで大きな音ではなかったが、音楽の魅力3割減くらい。

こういうアクシデントは公演事業に付きものなので、対処の仕方が肝心。
しかし、シューマンの舞台転換で5分くらいかかってたのに一向にアナウンスされない。「まさかアナウンスなし❓」とイラついてきた。
すると、転換が終わってからようやくアナウンスが。
ただ、日本人特有の婉曲アナウンス😭 最初に「時計のアラーム」に言及してから「補聴器」に触れる回りくどさ。

マナー悪い人は自覚がない鈍感族なんだから婉曲話法なんか通じないの!
実際シューマンでもまったく改善しなかった。

2階か3階の上手から聞こえた。前半終了後と後半開始前に再度アナウンスあり。
今度ははっきり「補聴器の音がしている」と言い、補聴器のセッティングの確かめ方まで説明していた。
おかげで後半はハウリング音はなかった。

こういうのって、その客だけの問題でもない気がする。
私が近くにいたら本人に指摘するか、指摘しづらい雰囲気の人なら係員に伝える。
複数の係員が歩き回っていて、誰が原因かわかってない様子だった。
近くにいる人ならわかったんじゃないの?

日本(特に東京)のコミットしない文化にはときどき嫌気がさす。
直接文句は言わないのに、匿名でネットリンチする陰湿な国民性。
海外だと近くの客が注意するだろう。で、言われた方も謝って、終演後は「いいコンサートだったな!」って握手したりとか。

いまの日本は赤の他人とのそういうコミュニケーションが減った。
迂闊に注意すると包丁で刺されかねない風潮なのはわかる。
ただ、ディタッチメントがあまりにも過剰。
電車でも、最近は優先席に陣取って席を譲らない人がものすごく増えた。
コロナ禍で他人への無関心がいっそう強まった印象がある。

お互いに働きかけて、よりよい社会にしていこうという空気がなくなってきた。
会社だって、やる気のない新入社員を放置してても社内の雰囲気が悪くなるだけ。誰かが責任をもって叱らないといけない。
お互いダメなところは注意しあえる空気がないと白昼堂々の犯罪も見て見ぬふりが常態化する。
年々ヤバい国になってきてるなと感じます。。🥺

シューマン


話を戻して、宮田大のシューマン(出てくるまでにかなり時間が空いた。ハウリングの様子見だろう)。

宮田大は小澤征爾/水戸室内管でハイドンの1番を一度聴いたことがある。
そのときは小澤さんに寄せてか、ピュア・トーンとも言うべき透明感ある響きだった。今回はもっと暖かいぬくもりを感じた。

チェロは人間の声に一番近いと言われるが、まさにそんな感じ。
ヘルマン・プライのバリトンを聴いてるよう。

朗々とした美声に、深みのある表現。いまの宮田大が「脂がのっている」ことの何よりの証明。

とはいえ、まだ36歳である。通常50代が体力的にも精神的にもバランスの取れた黄金期と言われるが、彼の奏でる響きはすでにその年代を先取りしてるくらい渋みがあった。
第2楽章の内面の深さは絶品。今日のコンサートの圧巻だろう。

ただ残念なのは、第3楽章になると突如音楽の表現が一歩ほど下がってしまい、音も弱々しくオケに埋没してしまったこと。
指の怪我とかアクシデントがあったのか?と思うくらい、前半より勢いが落ちてしまった。何だったのだろう。

それでも今日の演奏を聴くと、彼のバッハを聴いてみたくなる。
ただ、宮田さんや藤田真央さんはテレビによく出てるので有難みが減ってしまう。是が非でも聴きにいかないと!ってならないんだよなぁ…😅

アンコールは山田耕筰の「赤とんぼ」→シューマン「トロイメライ」→「赤とんぼ」というABA構造。
誰かの編曲でもなかったし、どういう意図?と最初思ってしまった。
ハウリングに対する抗議のメッセージが込められてたりして?🤔などと性格のわるい私は考えたが、「あっ!」と思った。

今日のプログラム、ダウスゴーの母国デンマークの作曲家でシューマンをサンドイッチしている。
だから宮田さんも日本情緒あふれる名曲でシューマンをサンドイッチしたのね〜。
いやぁ、センスのいいアンコールだこと!

やはりこういう驚きがあるからアナウンスはいらないのだ。
事前に選曲の意図なんか説明したら興醒めも甚だしい。

ニールセン


ニールセンは馴染みが薄い。この曲はパーヴォ・ヤルヴィ/N響でテレビで聴いたことがある。そのときもよくわからなかった。

まず、メロディがあるのかよくわからない。聴いてて感情移入できない。
音の有機体の動きを見てるだけで、物語が見えてこない。

何というか私には「ノレない」曲なのである。
ラストに2台のティンパニ(1台は上手)が連打されて、音楽の立体感が強調されるあたりでようやく興奮してくる。
特に最後の3分は感動的。上手のティンパニ奏者のマレットが最後に振り下ろされて、そのまま震えながら空中でとどまっているのが痺れた😆

曲自体には親しみを感じないものの、ダウスゴーにとってはお国ものなので、デンマーク語の話法や語法の感覚がやんわり伝わってくる。
音楽は言葉で書かれてるわけではないが、その国の言語のイントネーションとの関わりはあると思っている。
ランゴーは全集を出し、ニールセンも現在全集録音を進めているダウスゴー。深い解釈を伴った演奏を聴けてよかった。

後半のダウスゴーはなぜかマスクをしていた。弦楽器の先頭奏者全員と肘タッチ。
最近は握手する人が増えてきたので肘タッチは珍しい。
終演後の拍手は暖かいものだった。ダウスゴーはこの公演だけのために来日した(はずである)。ハウリングで全てぶち壊しにならずによかった。

3階からでも指揮者の満足そうな笑顔はよくわかった。
宮田大との共演はダウスゴーたっての希望だったのだそう。
そんな宮田から粋なアンコールをされたダウスゴー。
楽屋裏でどんな顔をして「赤とんぼ」を聴いていたのだろう。

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