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偉大なる日本人指揮者の系譜2(う〜お)

さて、2回目である。

宇宿允人(うすきまさと)は言い方は悪いが、変人と言っていい指揮者だったろう。

日本楽壇一の変わり者

もとはN響の首席トロンボーン奏者である。

フロイデ・フィルという、コンサートのたびに寄せ集めする臨時オーケストラを指揮して、「宇宿允人の世界」なるシリーズを行なっていた。

主要な楽団からまったく呼ばれないという点では井上喜惟と同じだが、井上に比べてはるかにローカルだったろう。

NHKでリハーサルのドキュメンタリーを見たことがある。
鍵盤ハーモニカでところどころ自分が理想とするアーティキュレーションを吹き、木管奏者が理想の音を出せないと皆の前で延々と絞り上げる。
これでは宇宿の棒で奏でたいというプレーヤーが減るのも無理はないと思った。

逆を言えば、フロイデ・フィルに残り続けた奏者は宇宿の音楽性に共感していたのだろう。

初めて宇宿を聴いたのは、かつしかシンフォニーヒルズでのベートーヴェン・チクルスの「田園」と「運命」。

この「田園」が凄かった。特にティンパニのおじさんが音楽をキリッと引き締めていた。

どの音、どのフレーズを取っても中身の詰まった充実ぶり。感動した。

「運命」はそれほどでもなかったが、会場で売られていた宇宿の10枚近いCDを買ったくらい「田園」には感動した。

その後、宇宿のコンサートには数回行ったが、ティンパニは女性に代わっていて、「田園」のおじさんに比べると魅力が減っていた。
CDも録音が冴えず、感動はしなかった。

クラシックファンでも宇宿允人はスルーした人が多いだろう。
しかし、何でも先入観なく聴いてみるものだ。

宇野功芳は以前触れたのでパス笑

円光寺雅彦。

地味だが、、

円光寺雅彦は生では聴いていないが、忘れがたい印象がある。

FM「ブラボー! オーケストラ」で円光寺と東京フィルの「運命」を聴いた。

いわゆる「名曲コンサート」で、円光寺はこの手のコンサートを日本一振ってるのではと思うが、その「運命」が素晴らしかったのだ。

印象に残ってる「運命」というと、テレビで見たノセダ/N響が一番だ。

クライバーを超える「運命」と思っている。

冒頭のジャジャジャジャーンがこれほど華麗に決まったことがあるだろうか。

全編猛烈な加速で進む、台風のような「運命」だ。

円光寺の「運命」はもちろんこんなスタイルではなく、極めてオールドスタイルだった。

「運命」はピリオド奏法に影響されたサクサクした演奏が主流になってしまったが、円光寺の「運命」は純喫茶のプリンのような懐かしい味わいがあった。

そうだよな、昔はこういう「運命」だったよなと思った。

今となっては聴けなくなった「運命」がそこにはあった。

大植英次。

Twitterでは不人気

大植英次のマーラーはTwitterで評判が悪い。

テンポを揺らしすぎて船酔いするというのだ。

私などはマーラーはテンポを揺らしてナンボと思っているが、多くの人の許容範囲を超えているのかもしれない。

大植を聴いたのは1回だけ。
サントリーホールでのハノーファー北ドイツ放送フィルとのマーラーの9番。

別プロがたしかオール・ベートーヴェンで、小菅優とのピアノ協奏曲第3番と交響曲第7番だった。

マーラーの9番は大植の前に聴いたゲルギエフ/マリインスキー歌劇場管と小澤/サイトウキネンの方が印象に残っている。

ゲルギエフは感情のマグマ、ドロドロした坩堝で、小澤は無色透明のガラス細工だった。

大植の9番はねっとりしていた印象がある。

たしかにテンポはゆっくりだったかもしれないが、それは大植の師のバーンスタインとて同じこと。

人間の感情の起伏を描いてこそマーラーだと思ってるので、大植らしいマーラーだったことには違いない。

大阪フィル時代は聴かなかった。
いまはフリーのようだ。また聴いてみたい。

大友直人。

いまは琉球交響楽団の音楽監督

この人も変わった人で、いわゆる出世街道には興味がなく、日本におけるクラシック音楽の普及に力を注ぎたいと著書に書いてあった。

それで今は沖縄の琉球交響楽団の音楽監督をしている。

かつては東京交響楽団の常任指揮者だった。秋山・大友・飯森時代である。

そのときに1回だけ聴いたのがとても印象に残っている。

東京芸術劇場でのエルガーのオラトリオ「ゲロンティアスの夢」である。

日本人指揮者で定期的にエルガーを振る人は少ない。
尾高忠明は交響曲をよく振ってるが、オラトリオを振ったという話は聞かない。

大友は東響とエルガーの3つのオラトリオ「使徒たち」「神の国」「ゲロンティアスの夢」を演奏した。
たしか「使徒たち」は日本初演だった。

私はエルガーが好きで以前からオラトリオにも興味があったので、聴けてよかった。

独唱のテノールもよかったし、エルガーサウンドとも言うべき至福の慈愛の音がホールを満たした。

大友直人は一流ではないかもしれないが、こうしたプライベートな思い出は誰が何と言おうと大友を特別な存在にさせている。

続きはまた次回😊

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