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私が握手した7人の有名人

たまには昔話を😅

私は16歳で生の芸術鑑賞を始めた。

当時新聞販売店で働いていて、週6の勤務。人手が不足すると休みは削られたが、高校中退の身分で月収は18〜23万ほど(営業成績がいいと30万近く行くこともある)。

お店の寮に住んでいたので、家賃と水道光熱費はかからない。社長の奥さんによる賄いも出ていたのでほとんど生活費がかからない。
それでコンサートや演劇に行きまくる生活を始めたのだった(飲む打つはなし・買うのはチケットだけ😅)。

これから挙げる有名人の皆さんは公演に行ってその場で握手してもらった人たちだ。

私はサインより握手派。サインはオークションでも買えるが、握手は相手とのプライベートな思い出。
有名人との交流においても「一期一会」を好んでいたのだった。

昔は芸術鑑賞ノートをつけていたので、握手した日付もわかる。
順番に思い出を振り返ってみたい。

①灰谷健次郎(1998年10月3日、津田ホール)

私は灰谷文学の熱心なファンというわけではなかったが、元小学校教師でもあった灰谷さんの教育論には大いに共感していた。
NHK教育テレビの人間講座「わたしの出会ったこどもたち」は毎回熱心に見て、感銘を受けた。

私は高1の秋に家出して働き始めたが、「学校に行かないなんて人間じゃない」と平気で言う家族だった。不登校が当たり前になった現代とはえらい違いである。
灰谷さんは学校に行きたくない自分を肯定してくれるような存在だった。

講演会のテーマは「沖縄で暮らす」。当時の灰谷さんは渡嘉敷島で漁師もしながら作家をしていたのだった。
サイン会の列の一番最後に並んで、「お話したいことがあるんです」と思いつめた顔で言った。孤独な気持ちを聞いてほしかったのかもしれない。灰谷さんは著書の見返しに電話番号を書いて「いつでも電話してください」と言った。
後日かけたら留守番電話で、その後何回かかけたら灰谷さんが出て1回だけ5〜10分話した。有名人に相手してもらうのが恐縮だったのでそれきりかけることはなかった。

②前橋汀子(1999年1月8日、練馬文化センター)

妹の由子さんとのデュオコンサート。前橋さんとコバケンはクラシック鑑賞黎明期に通った。宇野功芳が著書で褒めてて知った。
バッハの「シャコンヌ」や「チゴイネルワイゼン」など。アンコールの「美しきロスマリン」は前橋さんのレパートリーの中でも大好きな曲。

楽屋訪問といっても勝手に押しかけるのではない。ホールの係員に「前橋さんにお会いしたい」と伝えて、楽屋口を案内してもらうのである。
楽屋口(楽屋から出てすぐの通路だったような)でしばらく待っていて、出てきた前橋さんに握手をお願いすると快くしてくださった。小ぶりで骨ばった手だった。握手だと相手の手の感触も記憶に残る。
「何か楽器なさってるの?」と聞かれたが、「いえ、まったく……」と答えた(小学生のときのエレクトーンはカウントできないだろう😅)。

③小林研一郎(1999年2月11日、東京芸術劇場)

東京フィルに吸収合併された新星日本交響楽団のマチネー。
マーラーの「巨人」と「さすらう若人の歌」で、奥田佳道さんとコバケンのトークもあったようだ(すっかり忘れてる)。
アンコールは「巨人」の最終部分を再びやったらしい🤣
今回は係員に話したら楽屋口で待つように言われ、待っていたら楽団員の方が大勢集まってきた。
やがてコバケンが現れ、「皆さん、お疲れさま!」といった感じで帰りそうになったので、「あ! 握手してもらえませんか?」と大声で言ったら楽団員の方たちがドッと沸く中、コバケンが急ぎ足で走ってきてくれた。
包容力のある暖かい手だった。私の手を握るなり、「おお、冷たい。大丈夫?」と笑顔で聞いてくれた。

④神田北陽(1999年3月29日、湯島天神参集殿)

神田伯山が講談界の天才みたいに言われているが、私には神田北陽(のちの三代目神田山陽)こそが話芸の天才と感じていた。
古舘伊知郎に劣らないマシンガントークで聴衆を笑いの渦へと引きずり込む。
湯島天神の畳部屋(キャパ80人くらい)で定期的に「北陽もなか」という独演会をやっていた。
北陽さんを知ったのは「笑点」の前座で「レモン」という新作講談をやっていたから。めったに使われない調理器具たちの悲哀を描いた爆笑ストーリーで、一気にファンになってしまった。

開演前にトイレにいたらたまたま北陽さんが入ってきたので、洗面台のところで待ち構えて「握手してもらえますか?」と言ったら慌てて洗った手を拭いて握手してくれた。
今は故郷の北海道に帰ってしまって、めったに人前で講談を披露していない様子。彼の天才を惜しんでいる人は少なくないだろう。

⑤宇野功芳(1999年7月4日、石橋メモリアルホール)

アンサンブルSakuraとのベートーヴェンの2番と7番。
先日驚いたのは、アンサンブルSakuraの現役団員がYouTubeの宇野功芳とSakuraのライブ音源がTwitterでネタにされてることに対して「今はちゃんとした演奏してます」的な発言をしていたこと。

宇野功芳といえば、楽団の名誉指揮者的な存在と思っていたが、当時を知らない団員からすれば「キワモノのおっさん」的存在なのだろう。
アンサンブルSakuraの団員には「宇野功芳の楽器」たりえた自らのオーケストラを誇りに思ってほしいものだ。

さて、終演後にホール入口にいた団長の増田さん(なぜか顔を知っていた)に「宇野さんにお会いしたい」と言うと、楽屋を教えてくれた。
私の前に並んでいた大学生らしき男子二人が「新星日響のときよりよかったです!」と熱く語っていたら(私も聴いた1997年7月のベト7だろう)、宇野さんニコニコして「アマチュアは気合いが違うからね」とおっしゃった(まさに“命をかけた遊び”!)。
順番が来た私は握手が目当てだったので、「次の新刊は何ですか?」とか、演奏会の感想ではなく見当違いな質問をしていた😅

⑥井上喜惟(1999年11月3日、カザルスホール)

井上喜惟(ひさよし)は異色の指揮者。若くして単身渡欧し、チェリビダッケ、ベルティーニ、ジェルメッティらに師事。長大なリハーサル時間を要求するのか、日本のメジャーオケからはまったく呼ばれない。
彼を知ったのは、鈴木淳史さんの本で「ポリフォニーを聴き分けられる唯一の日本人指揮者」と書かれていたから。

井上さんが定期的に振っていたアマオケのアンサンブル・ムジカによるハイドンの「太鼓連打」やハチャトゥリアンの「仮面舞踏会」など。
アマオケにもかかわらず、ハイドンの響きの瑞々しさにびっくりした。純度が高いというのか。
楽屋で握手してもらったが、本人とお会いする前に話し相手をしてくださったマネージャーの弟さんがフレンドリーだった。
過去のアンサンブル・ムジカの公演に興味を示すと、後日関係者の方が公演のカセットテープを何本も送ってくださった。

⑦平幹二朗(2000年1月21日、紀伊國屋サザンシアター)

感動的な舞台で大泣きしてしまった。確か最前列で観ていた。
「シラノ・ド・ベルジュラック」だが、江守徹でも観たことがある。途中冗長に感じるシーンもある劇だが、最後の独白は何度観ても泣いてしまう。

終演後、ホールの廊下で演出の鵜山仁さんとすれ違ったので「平さんに握手してほしい」と頼んだ。鵜山さんは平さんのマネージャーらしき男性に伝えてくれたが、おそらく「こいつ、俺が演出家ってわかってねーな」と思われたと思う😅

平さんのマネージャーさんは「なるべく簡単な感想にしてくださいね!」と言った。評論めいたことを言われたらかなわないと思ったのだろう😅

やがて出てきた平さんは驚くほど長身だった(180cmあるのだ)。
マフラーをしていて、暖かいオーラがあった。握手しながら何を話したか覚えていないが、感極まって涙を流していた。

これ以外にもサイン会でレイフ・オヴェ・アンスネスやジャン・マルク・ルイサダに握手してもらったことはあるが、サイン会での握手はさほど特別感がない(とはいえアンスネスは例外的だったが😅)。

他に握手してほしかった有名人は朝比奈隆、内田光子、美輪明宏、イーヴォ・ポゴレリッチなど。

ポゴレリッチは楽屋裏潜入は許可されたものの、彩の国さいたま芸術劇場の広い楽屋裏で彼の楽屋を探し回っているうちに帰られてしまったのだった😅

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