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寂しさを手放すことを諦める(エッセイ・ペットロスガーデン 最終話)

最後に飼った犬、なことお別れしたあと、ペットロスが長引いた原因については、覚えがある。

私はなこがいなくなることを、覚悟しなかったのだ。



繁殖リタイア犬だったなこは、元気そうに見えても、無理な出産で体力を沢山消耗していて、引き取った後は色んな病気になった。
手術や検査、何度も窮地を乗り越えて、その度に天国と地獄のような気持ちを味わう中、私となこの間には、見えない壁が生まれていた。

「いついなくなってもおかしくない」と、常に覚悟することが、壁を作ることになったのだ。

覚悟をする、というのは、いずれ訪れる別れの悲しみを軽減するのに役立つ。本当のお別れが来る前に、少しずつお別れを理解し、受け入れていくことで、急激なショックを和らげることができるのだ。
要は、一度に受け入れるか、事前に少しずつ受け入れておくか、ということなのだが、私はこの覚悟をしすぎたことで、なこにそれ以上気持ちが入り込むことを、無意識に止めていたのだろう。

ある時、そのことに気がついた。
私は覚悟ばかりして、今じゃない時のことばかり考えている。
大切なのは、今、今目の前にいるなこに、全力の愛を注ぐことではないのか。


そして、覚悟するのをやめた。
なこを全力で、思いっきり愛して、その時が来たら、どん底まで落ち込めばいい。そう決めたのだ。

沢山病気を抱えていたから、なこは長生きできないかもしれないとは思っていた。
でも、後先考えずに、私はなこを愛した。
思う存分、なこを好きになった。


これがその代償だというのなら、後悔はしていない。
怖がりで、いつも予測される悪いことを全部想定して、悪いことが起きた時の衝撃を減らそうとするような、マイナス思考な私だけど。
なこにだけは、それをしたくないと思った。
限りある時間の中で、愛情を小出しにするなんて、思いっきり愛さないなんて、寂しすぎる。

ペットロスを乗り越える、とか、立ち直る、とかではなく、私はこの寂しさを抱えたまま、自分の弱さを受け入れて、生きていこうと思う。
想いを無理やり封じ込めたりしたら、きっといつかまた再燃する。

忘れたくない思い出を、好きなだけ大事に抱えて、楽しいことがあったり、また落ち込んだりしながら、そのまま生きていく。生きていくのだ。この庭とともに。



もう私たちの間には、壁なんてない。
あの世もこの世も、見えるものも見えないものも。身体も、魂も。
そんな境目は全部取り払われて、私たちはもう、どこへだって、一緒に行けるのだ。

時々思い出したようにやってくる、この痛みの正体もまた、あの子への愛の産物なのだとしたら、苦しみさえ、愛おしいじゃないか。
最近はそんなことを、思っている。


エッセイ・ペットロスガーデン おわり

読んでくださって、ありがとうございました。

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