見出し画像

寒空の下、子猫への大きなプレゼントを抱えて(エッセイ)

首輪に続き、今度はマコのトイレが小さくなった。
子猫から5キロの成猫まで使えると書いてあったのだが、どうみてもマコが入るといっぱいだ。
耳がついた、かわいい形のこのトイレはもう卒業かな、と新しいトイレを買いに行くことにした。



7か月のマコはすくすくと育ち、平均よりも大きな猫さんになった。
キャットフードのコマーシャルみたいにごはんを沢山食べ、大きなウンチをして、沢山走ってよく眠る。
食べて寝ると、こんなにも細胞が大きくなっていくんだな。

今までは大人の保護犬ばかりを飼っていて、自分で子猫から育てるのは初めてなので、日々の成長に感動する。
この若き者の様子は、夏の庭で植物や虫が、毎日大爆発するように命を燃やす姿と似ている。40代も半ばの私には、とても眩しい。
マコは今、人生の夏の時代を生きている。


庭に、毎年沢山の実を生らせるブルーベリーの樹がある。
15年ほど前、アパートに住んでいた頃に鉢植えで育てていたものを、家を建てた時に地植えした。
犬が生きていた頃は、夏の朝玄関を開けると、一目散にこのブルーベリーまで走り、実がほしいと言ってお座りした。
父も夏になるとよく実を採りに来た。
樹の下でボウルを構えて、指で優しく触れると、実がぽろぽろと落ちてボウルはあっという間にいっぱいになる。
ジャムにしたり、友達に送ったり、摘んでも摘んでも実は生って、永遠に尽きない恵みのようだった。毎年、夏はいつまでも続くと錯覚させた。
それは、みんなが生きていたあの頃を、輝かしい夏を、象徴する存在だった。



この樹は、洗濯物を外に干そうと勝手口を出たところにあって、昨年までの私は、大きなこの樹を見ると、時の流れに愕然としたものだった。

ああ、あんなに小さかった鉢植えの樹は、こんなにも大きくなったのだ。
あれから一体、どのくらいの時が経ったのだろう。
あの頃生きていたものは、みんないなくなってしまった。
犬たちも、おばあちゃんも、父も、家を建てた大工さんも。

毎年毎年、夏のお日様のエネルギーをいっぱいに吸収して、私よりもはるかに大きくなった立派な樹。
それは、思い出が多すぎて、私には眩しすぎて、ちょっと目を反らしてしまいたくなるような存在だった。
自分だけを残して、知らない間に周りで時だけが進んでしまったような感覚だった。


そんな中、マコが来てから時間は動き出した。
置いてきぼりだった時間が埋まりだしたのだ。

マコが何かかじってる!コードにカバーを付けなきゃ。
マコが壁に傷つけた、保護シートを貼ろう。
鍋を割った、怪我がないならまあいいや。
遊んでほしい?今?よし、掃除は後にして遊ぼう。
もう起きたの?まだ6時前だよ!
マコが、便器に入っちゃってる!!
ごはんがおいしいの、良かったねえ。
ウンチが大きくなってる!
マコでかい!トイレ、ぎゅうぎゅうになってる!

20年後に思い出したら、きっと涙が出るほど幸福なドタバタを繰り返す今。

自分や親や周りが少しずつ老いに向かっていく、若い頃とは確かに違っている、この何とも時間に置き去りにされたような人生の時期の中で、この若き命が再び時間を動かしてくれる。
それはきっと、若い命の役割だ。

大きなブルーベリーの樹と再び向き合う。
苦しかった思い出は再び、楽しい思い出に塗り替えられる。
マコが、白黒の世界をカラーに変える。
庭の景色に命を吹き込んでいく。


ともかく、今日やるべきことは、マコの大きなトイレを買うことだ。

ネットショッピングもとても便利だけれど、寒空の下、抱えると前が見えないような、大きな箱を嬉しそうに持って店から出てくる自分の姿というのもなかなかいい。
大好きな誰かへのクリスマスプレゼントを運んでいる人みたいだ。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?