見出し画像

姑とブランコに乗る(エッセイ)

姑が私たちの街にやって来た。
会うのは2年前、結婚の挨拶に行って以来だ。

私たちは感染症流行のさなかに結婚したので、思うように移動ができず、実母と姑が会うのも今回が初めてだった。
姑はかねてから、「お母さんのところにご挨拶に行かなくては」と案じてくれていたのだが、タイミングがつかめないまま、このまま流れてしまいそうになっていた。
しかし、姑の記事を書いた後、私が夫に「来てもらおうよ」と声をかけたことで、早々に実現した。

よいタイミングだったのかもしれない。
姑のことや実母のことをnoteに書いて、私自身の気持ちが丁度よいところに落ち着いていたし、近頃なぜか実母の調子もとてもよかった。
それに、「いつか」は来ないこともある。
善は急げだ。

姑は、自分の荷物は小さなバッグ一つだったが、母の大好物や、父に供える花などを沢山持って登場した。
上下ヒョウ柄というファッションだったので(不思議と着こなしていて似合っていた)、母が見たらどう思うかな、と一瞬思ったが、そんなことはどうでもいいのだと思い直した。

うちは狭いので、夜は民宿のようなところに夫と姑が泊まることになっていたのだが、その前にうちに寄ると、マコがものすごく懐いた。
ヒョウ柄なのも仲間みたいでよかったのかもしれない。
「おばあちゃん、おばあちゃん」みたいに膝に乗ったかと思うと、今度は高い位置に移動して、上から姑のふわふわの髪に手を伸ばしたりしていた。
夫が決めてきた民宿にはシャワーしかないことがわかったので(いいホテルを予約しようとしたのだが、満室でこの流れとなった)、うちでお風呂に入ってもらうと、マコが丁寧に濡れた髪を舐めていた。


私たちが住む街は、海しかない。
食べるばかりの旅計画となったが、食べるのが好きな姑にはそれもいいだろう。
名物の牡蠣小屋に行って、こんなに食べられるのかと思うほどの牡蠣を網に並べる。
牡蠣は途中からジュージュー言って、時に爆発して中から熱湯みたいな汁を噴き出すので、借りたジャンパーを着て焼く。
少し貝が開いたら食べ頃だ。
私はお店が貸してくれた軍手と金属のヘラを使い、頃合いのよさそうな貝をラッコのようにどんどん開けていく。
身を渡すと、姑は「おいしいおいしい」と、酢醤油でたらふく堪能した。


二日目は実母も含めて家族でちょっといい食事の予定だ。
朝、夫とともに民宿からうちにやって来た姑の服は、ヒョウ柄ではなく少しシックだった。

近くの、採れたて野菜のサラダバーがあるモーニングを食べに行く。
フレンチトーストとスープ。サラダとドリンクはおかわり自由だ。
ドレッシングを気に入って、お土産に買おうとしたら、この辺で製造したものではなく、奇しくも姑が暮らす街の商品だった。
夫が携帯を見ていてなかなか店から出てこないので、店の外にあったブランコに姑と二人で乗る。
ブランコに一緒に乗っている図というのは、平和な風景だな、と思う。嫌いな人とは乗らないような気がする。
あまり写真を撮らない私だが、ここでは夫に撮ってもらった。

昼食まではまだ時間があるので、漁港へ行き、遊覧船で片道10分ほどの洞窟に向かう。
姑は張り切って先頭に並んで乗り込んだものの、沖に出ると波が高く、船は上下に大きく揺れジェットコースター状態となった。
姑は「キャー」とか「ワー」とかを笑いながら大声で叫び続けて前後の席の人に「大丈夫ですか?」と声をかけられていた。
そんな中、私は「今年の年賀状にする写真がほしい」と言っていた姑の為に、荒波の中大揺れする船の中で、バシャバシャ写真を撮り続けた。



待ち合わせた料亭の駐車場で姑と実母は対面を果たし、姑の作り出す和やかなムードで食事は進む。
一品ずつゆっくり出て来るので、お品書きを見ながら会話をして、初めて会ったもの同士が話をするのには、こういうところがいいだろう。

個室なのをいいことに、両方の親は料理への小さな文句について気が合い、容赦なく感想を言っている。
ふたりとも、箸休めのミョウガがおいしい、とか、以前行ったホテルの食事で水が美味しかったとか言っていて、我々子ども達は「そんなことお店で言うなよ」と思ったりしている。要するに庶民が来るところではないのだ。

何だかんだで楽しい食事は終わり、実家に移動してからもおしゃべりは続く。何の問題もない空気で、夫はのんびりパソコンを打ったりしている。
私たちが営むぬいぐるみ屋の展望を熱く語ると、両方の親が「う~ん」と同じ渋い表情をしていたのがおかしかった。
親二人でベランダに出て、海を見ながら楽しそうに話している。
「これからもよろしくお願いします。」と両方の母が笑顔で挨拶して、二人の対面は終わった。
お互いに、「また来てくださいね」「こちらにもぜひ来てください」と言い合っていたけれど、だんだんと高齢になってきて、なかなか次は簡単ではないのかもしれないな、と思う。

みんなが元気な今、ここでこうして笑って会えてよかった。

「いつか」は来ないことがある。
それくらいはもう知っている。
親も、好きなアーティストも、友達も、ずっとあると思っていた場所だって。
いつの間にかいなくなるものの中には、自分だって含まれているのだ。
だから、少しくらい無理をしてでも、行きたい所には行って、会いたい人には会うようにしている。



改札で見えなくなるまで手を振っていた姑の姿を、目に焼き付けた。
また会えると思っているけれど、いつだってお互いにこれが最後かもしれないと、そんな気持ちで。
縁起でもないと言われるかもしれないけれど、そのくらいの気持ちをもって、色濃い思い出は今日も人生に刻み込まれていく。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?