犀の角の例え

友人が数人突然自分から離れてしまった。それで学校に行くと吐き気がするという中学生があゆみのクリニックに来た。


これは非常に古い仏典だ。仏教はインドで生まれたものだが、インドの犀は角が一つなんだ。それをイメージしているんだがね。


あらゆる生きものに対して暴力を加えることなく、あらゆる生きもののいずれをも悩ますことなく、また子を欲するなかれ。況(いわん)や朋友(ほうゆう)をや。犀(さい)の角のようにただ独り歩め。


交わりをしたならば愛情が生じる。愛情にしたがってこの苦しみが起こる。愛情から禍い(わざわい)の生じることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。


朋友・親友に憐れみをかけ、心がほだされると、おのが利を失う。親しみにはこの恐れのあることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。


もしも汝が、<賢明で協同し行儀正しい明敏な同伴者>を得たならば、あらゆる危難にうち勝ち、こころ喜び、気をおちつかせて、かれとともに歩め。

つまり、その友人たちがあなたから離れてしまったということは、その人たちはあなたの本当の友達ではなかったということだ。だからそういう人々に憐れみを掛け、心がほだされると、自分が苦しむ。そういう人は相手にせず、自分をしっかり保っていなさい。自分をしっかり保っていれば、いつかはあなたにとって本当に大切な友人と出会うだろう。そういう人は、一生大切にしなさい。そうでなければ、自分をしっかり保っていればそれでよろしい。


中学生は頷いた。治療は終了した。

https://www.ayumino-clinic.com

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