「執着が過ぎると苦しみになる実例part 2」

石巻市内の寺の住職のお母さん。



寺の女将さんって、何か呼び方があったと思いますが、忘れました。



その人の旦那が、そもそも北海道でお寺の住職なんだそうです。それでその寺はなかなかに繁盛して、石巻の寺の住職が亡くなり跡継ぎがいないのをこれ幸い、その寺の権利を買い、息子を住職として送り込んだ。なかなかやります。



ところがその息子の住職が、母親であるその人から見ると、どうも才覚がない。なかなか流行らない。それが何処の寺か私は知りません。しかしその女将さんは、お寺というものは完全に商売だと割り切ってるわけ。だから北海道の「本店」は上手くいっているのに息子に任せた石巻の「支店」の経営がイマイチだから、心配の種なんだ。それで血圧が上がって頭痛がして眠れないって言うんです。



まあ日本でこんなことを言ったって誰も相手にしないんですが、ブッダは「修行僧は糞掃衣(ゴミ溜めから拾ってきた、汚れきった布)しか纏ってはならない。無一物になれ、托鉢で得たものしか食ってはならぬ」と言ったわけ。まあそう言いながらブッダ本人もあちこちの王だ豪商だなんだかんだから随分あれこれ寄進されて、少なくとも晩年はかなりリッチだったみたいですが。



しかもこの女将さんの悩みはそれだけじゃないんです。石巻の寺をやらせている息子がもう30も過ぎているのに子供がない。あの子が死んだらその先はどうなるだろう・・・。



まあ、間違っても私はそんなお寺にありがたみは感じません。私はこう言いました。



「奥さん、仏典には、己が既に己のものではない。ましてどうして子が己のものであろうか、どうして財が己のものであろうかとありますよね。あなたは今ご自分自身の心配を自分でどうすることもできずに医者のところに来たわけだ。つまりあなた自身があなたをどうすることもできないんでしょ。それなのにそんなあなたがお子さんのことやら、お子さんに委ねた寺の経営やら、ましてやお子さんに産まれるか生まれないかすら分からないお孫さんのことを心配する」。



そこで私一息間を置いて。




「愚かとは思いませんか?」



奥さんまじまじと私の顔を見ましたが、猛然と反論してきました。



「ええ、ええ、そんなことは学校で散々習いました。でも今私は執着の塊なんです。だから安定剤と睡眠剤を下さい」。



溜息をついて安定剤と睡眠薬と降圧薬を出しました。その後その方は何回か当院に来られましたが、最近は来ていません。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?