屑は捨てるもの

晩飯の時、相方と口論をした。

東北地方では昔から、夏は烏賊が安くて美味かった。しかし今、烏賊漁をするには燃料代が高すぎて、烏賊は安く手に入らない。

従来烏賊は、夜暗いうちに出漁し、暗い水面に強力なサーチライトを照らすと烏賊が集まってくるから、それを捕獲する。しかし今、その強力なサーチライトを作るための燃料は高騰し、そういう方法での烏賊漁は成り立たない。

しかし、夜生息する烏賊が昼間にはいないという事はないはずだ。夜中にいる烏賊は、昼間にも海にいる。何故漁師達は、昼間烏賊を獲る方法を考えないのだろうか。

すると相方は途端に「昔からそうしてきた、代々そうしてきた」と言い始めた。そこで私は

「代々そうしてきて、昔からそうしてきたと言って、状況が変わったのに新しい方法を模索しない人間は、つまり馬鹿な能なしで、頭というものが付いていない、社会に不要な屑だ」と断言した。

状況というものは、常に変わるのである。状況が変わったのにそれに対応しようとせず「むかしからこうしてきた」という人間は不要どころか害悪である。彼らは、屑であって、屑は捨てなければならない。

愚者は屑だ。愚者どもを内包出来る余裕は、既に日本にはない。存在価値がある日本人が生き残るためには、存在価値がない愚者を切り捨てなければならない。

愚者は、単に存在価値がないばかりか、存在が罪悪なのだ。

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