会議は眠る

会議というのは、集団の規模が大きければ大きいほど無意味になります。



私が経験した中では東北大学病院科長会議。月に一度各診療科の長が集められ経営の話をされます。そもそも科長会議の議題は今月の経営だけです。科長というのはそれぞれの専門科のトップで、私は漢方内科副科長でしたが漢方内科科長は別の診療科の教授が兼任だったので、事実上の漢方内科トップとしてその会議に呼ばれました。



でも結局そういう会議って、事務方が延々と経営の数字を読み上げていき、最後に病院長が「今月も経営が厳しい」と言って終わります。病院長のその一言で会議が終わるので、その一言を待ちわびて出席者は立ち去るのです。



国立病院の部長だった時も、毎月定例の経営会議がありました。国立病院の部長というのは大学の教授に匹敵します。文部科学省管下の大学教授と厚労省管下の国立病院部長の立場が役人の世界では同じだということです。



しかし国立病院の経営会議も要するにまったく同じで、事務部長が延々と収益の数字を述べ、病院長が「今月も経営は厳しい」と言って終わり、その一言を出席者全員がひたすら待っていました。国立病院って、経営が厳しくたってどうせ潰れないし。



今私は零細クリニックの院長で経営者ですが、そこでスタッフ全員に集まって貰いクリニックについて相談すると、まさに忌憚のない意見がどんどん出てきます。全て院長で経営者である私が恥じ入ることばかり指摘されるのですが、それはこのクリニックにとって絶対に必要な議論です。



間接的に聞いた話ですが、閣議というのも実は同じなんだそうです。首相を始め大臣が一堂に会するのですが、そこでも延々と事務方が退屈な数字を並べ、閣僚は「早く終わらないかなー」しか思ってないそうです。むしろ実質的な意見交換は「閣僚懇談会」という非公式な場で交わされることが多いんだそうです。



まあその、それは内閣を責められません。要するにその、日本の組織における会議というのは、全部この調子なんですから。

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