伝統を進歩発展させること

小説「老中医」も終盤にさしかかった。主人公翁泉海はあることを人生の集大成として取り上げる。1つは医学書の出版、そしてもう一つが「翁家に代々伝わる秘伝の処方の改良」だった。



翁泉海は弟子にこう告げる。



「翁家秘伝の処方強腎固本湯は何かが足りない気がする。それがなんなのかをこれからも追求しなくてはならない。そして中医はこれからも発展していくのだ」。



彼は強腎固本湯の処方を敢えて他流の中医師に見せた。その中医師は強腎固本湯の欠点に気がついたが、それを翁泉海に教えるのを非常に躊躇した。それぞれの中医の家にはそれぞれの秘伝がある。それについてとやかく言えば、それは大騒動になるというのだ。しかし翁泉海は「これは翁家の末裔として私があなたに頼んだことだと一筆書いて明文化するから」と言ってその指摘を請うた。



それを聞いた翁泉海は上海から故郷孟河に帰り、一族の長老を集めて会議を開く。翁家秘伝の処方強腎固本湯の改善点が分かった。この処方を改善したからご許可願いたい。



長老らは猛反発したが、翁泉海の必死の説得に対し「では祖廟の前で三日三晩飲まず食わず許しを請え。祖先が認めたら強腎固本湯の改善を許そう」。



強腎固本湯は秘伝であるからその処方の全容は小説でも明らかにはされていないが、小説の記載から推せばどうやら温補腎陽、筋骨補養の処方だったようだ。翁泉海が知り合いの中医師から聞き出したことは、この処方に含まれる巴戟天を杜仲、川断に換えるべきだ、その方が処方の意図がより強く引き出せる、と言うことだった。



長老らは表向き猛反対したものの、それぞれがこの処方を使ってきて、「どうもこの処方はどこか改善の余地がある」ということは感じていた。そこで翁泉海が一族の前で公式に「変えたい」と言ったとき、大反対の姿勢は取りつつ、「祖廟の前で三日三晩飲まず食わずで先祖に許しを請い、生き延びられるのであれば許す」と言ったのだ。主人公翁泉海はその時60を目前にしていたとなっている。まさに今の私と同じ歳だが、時代が違う。今の私でも三日三晩飲まず食わず祈れば命は危うい。しかし19世紀末という時代、点滴というものが無かった時代に60を目前にした人間が三日三晩飲まず食わず祖廟に額づくというのは、まさに命がけだった。



実は長老らは周到に翁泉海を見守っていた。長老らは翁泉海がこの命がけの行為を成し遂げ、強腎固本湯を改良すべきだと内心分かっていたから、万が一にも翁泉海が絶命しないよう、見守っていたのだった。



結局翁泉海は妻の助けを借り、この三日三晩の祖廟への許しを成し遂げた。長老は一族を集め、翁泉海に話すことを許した。翁泉海は一族を前にして述べた。



私はこのようにご先祖に語りかけました。

「翁家の不肖の子孫である泉海、お許しを得に参りました。この処方はご先祖様が心血を注いで創方し、何百年にもわたってうけつがれてきた処方であることは存じています。そして多くの人がこの処方にて救われてきたのも間違いがありません。しかし中医の聖典である「本草綱目」「内経」「傷寒論」でさえも誤りがあります。わが翁家だけに伝わる処方に誤りがあったとしても、それは仕方の無いことです。ご先祖様、どうかこの泉海に強腎固本湯を修正する機会を下さい。改良された強腎固本湯は、更に薬効が増し、今まで以上に多くの人々を救い、翁家の名を世間に知らしめることになるでしょう」。



長老らは翁泉海の申し出を認め、他の親族達もそれに倣った。



かくのごとく、伝統を進歩発展させるときには非常な困難が生じる。様々な抵抗を受ける。しかしそれでも主人公翁泉海が主張するごとく、伝統医学は進歩発展させなければならない。



この話は、おそらく実在した中医師王清任(ワンチンレン)を念頭に置いていると思う。王清任は西洋医学を中医学に取り込んで中医学を進歩発展させることに心血を注いだ人だ。彼のいくつかの発案は今では否定されているが、彼の最大の功績は「加齢と共に認知判断が衰えるのは脳が虚すのだ、脳虚だ」と主張したことだ。つまり王清任はアルツハイマー博士より20年ほど早く老年期認知症の本質を見抜いていた。



翁泉海が、あるいは実在した王清任が命がけでやったことは、つまり私が一生を掛けてやったことだ。伝統医学は進歩発展させなければならない。そうでなければ、伝統は滅びる。はたして我が国伝統医学界に、翁泉海を認めた長老のような人物はいるだろうか。

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