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名月、鶏天丼と希死念慮

気が付けば財布の金はあらかた姿を消していた。なけなしの残金もコンビニに売れ残っていた鶏天丼を買ったら消えた。心の中で貯金貯金と唱えながらアイスを我慢した三日前の自分になんと侘びようか。取り返しのつかないあれこれを考えながら自転車を漕ぐ。

見上げれば雲一つない夜空が広がっていて、その真ん中にはあたかも支配者然とした名月が居座っていた。何も努力しなくとも人々に見られて愛でられる月は、きっと俺を馬鹿にしている。みんなから必要とされ求められている月は、きっと俺を見下している。そう思うとどうにも月が許せなくなってきた。九月の夜風の涼しさも、このやり場のない憤りを冷ますには足りない。

誰かと話がしたかった。財布に金が残っていれば誰かをご飯に誘えたし、電車で誰かに会いにも行けただろうか。……いや違う、そもそもそんな相手などいなかった。バイトや旅行で忙しい友人たちの生活に俺が踏み込む余地なんてない。ひとりを噛み締めながらサークル帰りの集団を追い抜かす。自分で自分を痛めつける感覚は途方もなく心地良い。

そうこうしているうちに家に着いた。ごみと服で散乱した俺の部屋は、暗く沈んだ俺をそのままの姿で肯定してくれる。切れっぱなしの蛍光灯のかわりに机の電気を点けて、机いっぱいに広がったごみやら空き缶やらを床に叩き落とす。そうしてコンビニで買った鶏天丼を鎮座させた。

いただきますと呟いて割り箸を割る。ふと窓の方に目をやると、あのいやらしい月光が差し込んでいるのがわかった。思わず咄嗟にカーテンを閉めた。その途端、なぜだか急に涙が溢れて止まらなくなってきた。死にたいという言葉ばかりが頭を駆け回った。このままひとり生きていくのだと思うと果てしない苦行のように思えて仕方がなかった。とにかく自分が情けなくなった。……全部、全部あの月のせいだと思った。

そうしてひとしきりベッドで泣いてから再び机に向き合った。
鶏天丼はもうとっくに冷めていて不味かった。

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