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『私には、自分の選択肢を正解にできる力があります』

『私には、自分の選択肢を正解にできる力があります。』

これは私が新卒で入社した会社の最終面接(面談)で当時のメンターさんに伝えた言葉。

自分でいうのもなんだが、人生なにごとも遠回りする方で、遅咲きの人間ってことを心得ている。

過去に失敗や誤りだったとその選択直後の渦中は悲観的な気持ちだったことはかなり多いんだけど、すべて今思うとぜんぶ必要で正解でだいじで、今につながってるって思っている。ぜんぶいい出来事だったって。


就職活動をしていた大学3,4年生は複数の企業でのアルバイトだったり、長期インターンを経験させていただいたことから、働く人が多くいる環境に身を置き、自分もまた業務に携わらせていただいた機会があった。
考えに考え抜き、OBOG訪問はめちゃくちゃ数を打ち、多角的に考えた結果、新卒ではこれがわたしにとっての最適な選択、と思える道を選んだと思い込んでいた。というか今でもあのときの決断はあのときの私にとっては正解だったと思っている。


結果的に、4ヶ月という音速で早期離職することになった。正直、悩みに悩んだし、焦り過ぎたのではないかとさえ、一度休職という人生のおやすみ期間を経て心も身体も穏やかになった今だからこそ感じる瞬間は無きにしも在らず。

引っ越しのために再び上京してみるとあのとき大き見えていた街はあまりに小さく見えて、酷く広告塗れの電車は“ただのそういうモノ“として見えた。

仕事に打ち込んでいた毎日では知る余裕もなかったけれど、同期に価値観とか考え方が似ている心暖かい子が実は居ることを今になって知ったし。

多摩川寄りの友だちの家は居心地がよくて、神保町の古本のお店がきちんと視界に入り、渋谷の宮下パークのスタバは私よりすこし歳下の子たちがそれぞれの時間を過ごしていて、街中でビルに囲まれていて人も多いけれど、夜のテラスはゆっくり話すには十分な場所だった。





……これでよかったのかな。なんやかんやおやすみして元気になったから、戻ってたら、うまくやれてたのかな。馴染めてたのかな。

いや、ちがう。ちがう。
此処に来なければ、何処に行っても人に恵まれていることに気付かず、こうならなければ、私が想っているように、いやそれ以上に気遣ってくれて、見ていてくれる人がいることにも、新しい縁の中にも大切にすべきものがあることにも、気づけなかったんだ。

独りの脚で強く立てる女の子になりたいと思っていた。全然独りでなんて立てなかった。独りでなんて生きられないってことに気づけたんだ。
今まで以上に感謝してなにかしらの形で恩返しをしたいと思えたんだ。



『私には、自分の選択肢を正解にできる力があります。』


いや、そうじゃない。“正解“とかじゃないんだ。自分の力で、意志で出来事の先行きを変えていくんじゃないんだ。


言い換えるとこう。

「私は、私の身に起きたすべての出来事に意味付けできる力があります」

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