親へのカミングアウト、そして人として尊重しあう大切さ
18歳(1998年)の7月、意を決して母にカミングアウトした。何を言われたか覚えてないが、泣きわめかれ、叩かれたのは覚えている。小さな母が僕を思いっきり叩いた所で実際の痛みはなかった。
ただ、覚えているのは親に拒絶された事実。
わかっていた、離縁も覚悟していたが現実に起こるとこたえた。(18歳の姪ー)
だが、申し訳なさを残しつつ、僕は止まらなかった。勝手にホルモン注射をし、偽名を使い働く。僕は男として社会に馴染んでいく。
いつ話し合いを設けたのか忘れたが、19歳に国立病院(一緒に勉強していきますと前向きに答えてくれた先生)(治療記録)にカウンセリングに通っている際の事を親に話したような記憶がある。
そして、その後、生活しやすい様に戸籍の名前を変更する申立てを父が許してくれた。(逃亡者のー)
名前が変わり戸籍の性別の記載のない免許証を持つ事で働きやすくなった。どんどんと自分の生活が整っていき、25歳で人生のスタートラインに立てた気がした。
自営業を始め、結婚し、子を育てている間、ある社会福祉法人の理事の話を受けた。障害を持つ子供や大人の親と話す機会が増え、たくさんの親の気持ちを知った。その中のひとつに
「想像していた未来が全てなくなった」
と、いう親の思い。健常者を当たり前に育て、成長し大人になった子供と肩を並べて買い物したり、孫を抱いたりするのが当たり前だった。それが叶わないという現実を突きつけられたと聞いた。
僕は自分に重ねた。あの時カミングアウトして全力で否定したのも、親としての未来が崩壊し、未来が全く見えなくなってしまったからだ。
これを、子のためを思うなら否定すべきではない!と言うのは酷だ。誰しも自分が想像する幸せのビジョンがあるはずだし、それがなくなった時、取り乱すことがあるだろう。
僕は母からその未来を奪った。だがそれは僕のせいでも母のせいでもない。僕の人生も大事だし母の人生も大事なのだ。
お互いに擦り合わせたり尊重したりして新しい未来を描いていくべきだし、その時間も必要だと思っている。
最近、母と何かの話の流れの答えに
「娘のアンタは死んだと思ってるけどアンタは生きてるから」と言った。
それは母がどう思うかであって、それを押し付けることはこの先もない。父も母も世間的に男性と認識されている僕を「息子」とは言うが、多分心の中では「アンタ」なんだと思う。
それでいい。
親子でもそれぞれの人生であり、親は僕を尊重してくれているから、僕も親を尊重する。
あの時から一度も僕を男として接してくれとは言った事ないのは心のどこかで押し付けるのは親の気持ちを無視したワガママだと思っているから。
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