月はここに

私は太陽を見ても何とも思わない。でも月を見ると“綺麗だな”と思う反面“不気味でちょっと怖いかも”なんて思うことがある。

私が小学6年生だった頃、担任教師の意向で、不定期だったが授業中に百人一首対決が行われた。私はそれまで百人一首のルールどころか、“百人一首”という単語すら聞いたことがなかった。が、とりあえずやらされるがままクラスメイトたちと何戦もした。楽しかったかどうかは正直少しも思わなかった。でもやるからには強くなりたいと思い、ちびまる子ちゃんの百人一首の本を買って読んだりと、一応自分なりに努力はした。その努力の結果、クラスの中でもなかなか上位の成績となった。

そして本を読んでふと思った。この和歌が書かれた当時の人たちも月を見ていたんだな、と。

百人一首の和歌には勿論“月”だけでなく“ほととぎす”や“紅葉”等今の時代も存在するものが沢山出てくる。しかし当時生きていたほととぎすはもう確実に死んでしるだろうし、紅葉だって散って土に還っているだろう。その樹すらもう枯れて姿形を失くしてしまっているかもしれない。
でも月はこの空に、たった一つしか存在しない。当時から変わらず地球の陰をほのかな光で照らし続けているのだ。

以前、夜中の3時に目覚めた時、なんとなく外に出ると、夜に見る普段の月とは違い、それは異様な光を放ちながら宙に浮かんでいた。浮かんでいるというよりかは漆黒の夜空に張り付いて、こちらの様子を伺っているかのようにも見えた。太陽とは何か違う、神々しさというか化け物に遭遇したような気味の悪さがあった。私は怖くなっていそいそと部屋に戻った。そして部屋の窓から空を見上げると、まるで月も自分の家に帰っていくかのように、徐々に身を小さくしているような気がした。

ある日、私は仕事のため早朝に家を出なくてはならなかった。冬の朝は暗闇に包まれており、まだ月が綺麗に見えている。退勤後、職場を出る頃の空には月はいない。だが、時々昼時に月が姿を表す時がある。夜の迫力ある姿とは違い、脆く、今にも崩れ落ちてきてしまいそうな格好をしている。
私はその変貌にクスッと笑ってしまう。
「まるで私みたいじゃん」



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