「検索は死なない!」と叫びたくなるおじさん
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中学生ぐらいから現在まで、人生の大半には検索が共にいた。それが今チャットに脅かされつつあるのを見て、改めて検索とはと考える。
チャットが出てきて初めて明確に実感する、検索の不効率さ。語を選定し調整し、提示された結果から意識化でゴミと広告を除外し、残った中からマシなのを探す。大抵は求める答えそのままでなく、その一部や、ヒントや、無関係である事実を見つけることになる。
断片は無数に開かれたタブを飛び回りながら頭で統合されていき、ようやくまともなインプットがひとつ繋がる。それを更に、同じように処理した次のインプットと合わせ、なんとか使える知見にたどり着く。
それまで当たり前で、むしろそこに価値や差別化すら見出していたようなこの検索という手順の持つ工数の多さ。なまじ使えてしまったからこそ、従来のボイスアシスタントとは比べ物にならない、まともなチャットの登場が、やっとそれへの疑いを持たせてくれた。
チャットはこうした一連の処理を肩代わりしてくれて、まるで不平を言わない(いや、少し言うけど)従順な助手のように、連ね済みの結果をくれる。もちろん間違えるし、しれっと嘘も吐く。けれどそれは検索だって同じで、他人の話を丸ごと信用するのが馬鹿げているだけのこと。
登場してまだ1ヶ月にもならないこの新しいインターフェースは、当然これから発展し続け、より信頼性高く安全になっていくだろう。競合のプロダクトも順次出揃い、複数のチャットの結果を突き合わせて検証するようになっていくだろう。
収益性の問題、情報供給の動機消失、致命的な誤りの鵜呑み、権利処理等々、チャットの一般化までの問題は山積しているけれど、画像生成AI同様、こんな便利なものを人が捨て去れる筈がない。
と、チャットの検索に対する優位を考えるほど、「いやいや、でも検索に比べてここはこんなにダメだぜ?」と、検索を庇おうとする自分に驚く。それはまるで、検索が一般化し始めた頃の、本や新聞やテレビに対する上の世代の反応のようで。
今それらの媒体が死に絶えていないように、検索だって死にはしないだろう。でも問題は、便利の筆頭が誰かであって、他が全滅するかじゃない。圧倒的に便利がひとりいると、金はそこに集まり、他の媒体はそれを中心に動く。オールドメディアの優位性は、その便利を外れた価値が求められる場合にだけ光る。本も新聞もテレビもラジオも検索も、チャットでの露出を意識せざるを得なくなり、それまでとは違う動きを強いられる。
チャットという情報アクセスのパターンが一般化すればするほど、「チャット世代は検索もろくにできない」とか「検索使わないから見落とすんだよ」とか「若者は基本的な検索ぐらい学校で教わるべき」とかとか、自分が若い頃言われ、「そういう話じゃないんだけどなあ」と感じたようなセリフを耳にするんだろう。
今後チャットが順当に普及するかは、まだまだ読めない。権利処理や利益分配を考えると、今とは少し違った形に落ち着くのかもしれない。それでも、Web以前の膨大な情報と、日々生まれる新たな情報と、人の手には到底収まらない爆発したそれらを、知的なエージェントが噛み砕いてから渡してくれる、この便利さを捨て去るのは、多分人類には無理だ。
だからきっと、検索は死にはしないけど、情報アクセスのファーストクラスからは降ろされ、ゆっくりと変わっていく。変わらない部分も残るけど、チャットや、更にその先に登場する新たなファーストクラスに引きずられながら。
残念ながら、検索と共に数十年生きてしまった世代は、芯からチャット世代と同じように検索を見つめられない。チャットがファーストクラスに至れなかったとしても、何か違うインターフェースが現れて、やはり検索は旧来と呼ばれるようになるのだ。
「検索は死なない!」と叫びたくなるおじさんとしては、他にファーストクラスが委ねられていく中で、せめて誰かに検索を強要したりせず、粛々と新たな方法を便利に使いつつ、検索が最適な状況にでくわしたら、おじさんパワーをマシに発揮したい。
検索は死にはしないけど、間違いなく、いずれ主流じゃなくなるのだから。
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