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可否爺さん 六

 喜ばし 縁が運ばす 酒圷に 山里の春 花を尋ねん

 大学の短歌部に所属して居た頃『古今和歌集』等等詠み何も感じる事なく過ごして居た訳だが然し生活の中での花は待ち遠しく自然と歌の一つでも詠んでみたい気持ちになった。いよいよ季節が来て便りが有り私は沙織さんの自宅が有る里山へ向かった。国道から一本入り曲がりくねった山道を暫く進むと忽ち草木に覆われ茂る緑のトンネルを抜けると視界がひらけ目の前に奇跡的な風景が現れた。町と町との間の真空に有る集落は近代から逃れ俗から忘れられた場で在った。暫く呆気にとれて居た。自分の住む場から一時間程走った所に此の様な空間が存在して居たのか! 故郷の奥深さを知った。公民館に車を停め、周りを見渡すと、田畑しかない。道端の用水路に山間から水が流れ込み日光に照らされ鯉の鱗のように美しい神の水を田畑まで運んで居る。入り交じる数十種類の鳥と虫の声がBGMとして流れ経時と共に古びた民家の石垣は腰の高さしかなく栽培か野生か何方とも見分けのつかぬ春の牡丹、霧島躑躅、石楠花、菜の花、チュウリップ、その他色彩豊かに育つ草花が辺りの自然と一体となり風に揺れる木の葉までが風景を構成して居る。空を見上げ空気を吸い込み、私は自然の中に溶け込んでいった。

 快い里山の風景を散歩しながら沙織さんの自宅に向かう。辺りから一段高い場に有る数寄屋造りの背後は杉林で有り晩年のサリンジャアが隠遁し兼ねぬ雰囲気の家だ等と呟き近づいた。戸が開けられ玄関に入るとシダァウッドの良い香りがした。原生蘭が鉢に育てられて有った。玄関上に嵌め込まれた大きな硝子障子が壁の存在を薄め自然と人工物との境界を仲介して居る。屹度朝夕四季折々の光が障子の影を生き物の様に変化させるのであろう。

 「ようこそ、いらっしゃい」
 「こんにちは」
 「こんな所まで遥々、ゆっくりしていってね」

 沙織さんは簡素な紺絣に唐草模様の帯を締めて居た。「こんにちは…」奥から宗匠頭巾を被る可否爺さんが現れた。なんだか千利休みたいで似合って居た。「さあさあ此方へ此方へ…」まるで自宅の様に縁側まで案内された。少し酔って居る様で有った。いぬまきの生垣で覆われた中庭は剪定の仕方が凸凹で何所か不自然で有った。

 「此れは借景と云って、よく見てご覧。何か気付く事はないかな?」
 「あの山…」

 波のように刈り込まれたいぬまきが上下する勾配の間から自然の山がぽっこり顔を出して居る。気に留めて見ぬ限り気付かぬ程自然の山が生垣に見え生垣が山に見える。成程此の生垣も又辺りの自然と一体となる事を目的に作られて居るのだ。いぬまきと山の繋ぎ目に植えられた細い松が自然と人工をぼかす。庭中央には四方八方に伸びた大きな松の木、苔むした石燈籠、そして満開の桜で有る。縁側に腰掛け暫く無言で見惚れて居た。メジロがやって来た。入側縁の硝子戸が開き、「麦酒でも如何ですか?」

 其れから沙織さんは蒔絵の組重を運んで来た。蓋を開けると色鮮やかな散らし鮨が現れた。錦糸卵、海苔、海老、いくら、紅生姜、絹さや、華やかな色合いが漆器と調和し其れだけで食べるのが勿体ないと思わせる程の美を表象して居ると云う事が可否爺さんの顔からも伺える。

 「毎年、沙織さんの之が愉しみで…」
 「まるで万華鏡を見ているようです」

 小皿に盛りひと口食べると豊かな春の味がした、そう曖昧に形容されも困るであろうから少し正確に描写すと、手間暇かけて別別に煮込んだ具剤がさっぱりした酢飯に溶け合い心地よい甘さの感覚に包まれて居る。具体的には椎茸、蒲鉾、薩摩揚、人参、筍、蓮根のぱりっとした食感、しゃきっとした食感、ふわっとした食感、個個の素材の持つ特性が口内で交り食感の変化と総合的な調和を作り上げているのだ。

 「ああ美味しい、本当に美味しいです」
 「有り難う、どんどんおかわりしてね」
 「豊かですなあ…」

 完食し合掌すると花弁が一片舞い降り重箱の上に乗った。其れを疑っと見る可否爺さんが、「散る桜 ラザロのような 蘇り」
 「あっ、それは永遠という…」
 「おや、君は聖書も読んでいるの?」
 「いえ、じつはドストエフスキィを読み…」
 「成程…うん。此の散らし鮨には、意志が有りますよ。ねえ、沙織さん?」
 「どうかしら。わたし母を早くに亡くしているので、祖母から教わり…家の伝統に自分なりの改良を少し重ねてみたの」
 「其れが受け継ぐと云う事ですよ。手法はあれども時代が違い素材が違う。型を変えながら時代毎に姿形を完成させ其れを次の世代に渡す。次の世代は又試行錯誤しながら姿形を作り受け渡す。現象の背後には受け継がれる意志の核心が在ります」
 
 程よく酔いが廻り酔い覚ましと興味本位で家中を見物させてもらう事となった。簡素な平屋建ての間取りは何所かソローの『森の生活』を思わせる。玄関を通ると和風モダンの居間が有り硝子障子越しに差し込む外光が穏やかな日向を作る。大きな桜島の切り絵、無垢の食卓、木の椅子、和紙のペンダントライト、ナラ材と濃緑の織物で作られた四角いソファ、ヌメ革のヴォルテイル風安楽椅子とオットマン、行燈風のスタンドライト、扉付き書棚、マホガニイの食器棚、突き当りに風呂、厠、寝床、そして茶室。彼方此方に蘭、撫し子、梅の花、所々に薩摩焼の釘隠しが有る。襖引手の飾金具を見て、「これも薩摩焼ですか?」

 「ええそうよ」
 「あの、開けても?」
 「どうぞどうぞ」

 四畳半の日本座敷は其処だけ空気が静止して有る様しんとして居た。日向と裏腹の蔭の寂然な佇まいは意図的な囲いに拠り作られる。しんとした空気は経時の中で室内の静物に染みて居た。静粛は語る。縁側に反射し障子を透かして入り込む外光は灰色の砂壁に吸収され陰影を漂わし蔭の中に浮かぶ漢詩の掛軸は崇高に及び椿の生花は空間の色合いに差異を添える。隅隅迄拭き掃きした清潔は静の中の美を作り上げ『侘び寂び』という観念を見る者に表象させる。静粛は空虚だが息苦しい訳でなく寧ろ此方の躰を凛然とさせた。

 「沙織さん、折角の機会だ。濃茶を点前して見せては?」
 「ええええ」

 沙織さんは茶道具を持って這入って来た。静かに席に着くと、水指から柄杓で汲み、蓋置に置き、釜の火を入れ、仕覆を丁寧にほどき茶入れを取り出した。菊模様の施された蒔絵で有る。茶杓で抹茶を掬い、茶碗に入れ、柄杓で釜から湯を汲み、ちょろちょろ注いでいく。茶釜の音は唯一のリズムである。沙織さんは薄明りのなかで悠長に動いた。茶筅を動かし茶を点てる。さらさらという音が静な茶室に響く。疑っと見惚れて居た。一秒に永永しい時がさらさらと音を立て意識に流れ込んで来た。今だけに在った。美しいと想った。無常だと想った。あのフラスコの様だと想った。空虚だと想った。無我の境地に浸り美を崇拝して居た。其れは自己との対話であり世界との同化であった。精神が永劫の中を運動して居た。美から突きつけられて居た。崇高な黒薩摩に錬られた濃茶が差し出され、私たちは其れを廻し呑みした。

 「…千利休が侘茶という姿形を作ったのは、屹度世の中が混乱して居たからではないだろうか? 利休は老若男女あらゆる身分を超越し、人々を救済すると云う動機で茶の湯を大成させたのかも知らん。ラスコオリニコフ君にも茶の湯があれば、シベリアへは行かなくて済んだのかも知らん」可否爺さんは含み笑いをした。私も微笑した。
 「願わくば 花の下にて 春死なん」
 「店主、それは…」
 「かつて西行のような隠者は世間を捨て山里に入った。戦国時代の都市民は屋敷の片隅に囲いを建てて人里離れする草庵の様式を街中で営んだ。戦国乱世の都市生活には、世俗と離れる時間と空間を意図的に作る必要があったのではないだろうか? ねえ沙織さん」
 「茶人は、日常生活の中に非日常的な山里の風情を楽しむ美意識を示します。そしてそのような都市のなかにある隠遁所のことを『市中の山居』と呼びました」
 「まるで街中にある隠れのようですね」
 「ええ、生死の緊張のなか生活していた武士は、戦場から日常にもどる際に茶室という空間を経て、精神の禊ぎをおこなっていたのかも知れませんね」
 「戦国乱世では当たり前に過ごす日常がいつ崩れるか分からない。いつ次が来るか知れぬと云う実在から来る言葉が一期一会で有る」
 「茶の湯の発展には必然があったのですね…」
 「そして室町時代にはいると、茶の生産性の高まりによって喫茶は庶民のあいだで流行しました。ねえお爺さん?」
 「眞に茶の湯こそ、イギリスのコーヒー・ハウスやフランスのカフェ文化の先駆けでもある」
 「なるほどお…」
 「喫茶では、徹底して客を平等に扱い此の様に濃茶を廻し呑みをする」
 「日常茶飯事に外界との関係をたち、美を見立て、取り合わせ、しつらい、他とまじわること。それが茶の湯の精神なのじゃないかしらん」

 〈美…〉私の意識は、関係性の中で時代から離れ、伝統の中へ流れ込んでいった…己の眼で実在を見つめる事とは、一般化される常識とは対極の事だ。美を見つめ、美を超越した所に残る意志の核心を手掴みし、己の道徳法則に引き立て、行為する事は、世界が如何なる状況であっても善悪を区別し、己の意思を持ち生きると云う事だ…ラザロがイエスに希望を観る様に…己は己の神を信仰し、永遠を存在に受容れ蘇生すべきではないか…其之様な事を、己は沈思黙考する…

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