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スマホ的存在者

『存在と時間』第23節世界=内=存在の空間性をまとめながらつらつら

人間が世界への最初の関わりとして、世界を道具として使うということはアプリオリな一種の空間を前提にしている。
現存在が世界の「内に」存在するというのは、世界の内部で出会う存在者に親しみつつ、それと配慮的に交渉しているという意味においてなのである。
現存在になんらかの意味で空間性がそなわっているとすれば、それはこのような内=存在にもとづいてのみ可能である。
そしてこの内=存在の空間性は、開離という性格(実存範疇)を示すものである。
開離するとは、あるものの「遠さ」を取り消し、「近づける」ことを言うのである。
現存在は、本質上、それがあるところの存在者たるかぎり、いつも存在者を近みへ出会わせ、存在している(すなわち開離しつつある)のである。
開離することが、ものの遠近を発見する。
開離するというはたらきは、配視的に近づけること、すなわち、手もとにそなえているとかいう形で近みへ取りよせることである。
現存在のなかには、近さへの本質的な傾向がひそんでいる。
われわれが今日多少ともいやおうなしに参加させられているあらゆる種類のスピード・ アップは、遠隔性の克服をめがけて進行している。
たとえば「ラジオ」を例にとっても、現存在は今日それによって、日常的環境世界を拡大在的な意味においてはまだ見極めがつかないような「世界」の開離(遠隔性の取り消し)を遂行しているのである。
現存在がその日常性においておこなう配視的な開離が、「真実の世界」―すなわち、現存在が実存するものとして、いつもすでにそのもとにいる存在者の—自体存在を発見するのである。
現存在が空間的であるのは、このような配視的な空間発見のありさまにおいてであって、そのように空間的に出会う存在者にいつでも開離的に関わり合うのである。

言わずもがな…
現存在は世界に関わり合う第一歩として、手元的存在者として手元にある道具を配視するが、道具(テクノロジー)の進歩により我々は本来遠くにあるものを身近なかたちでいつでもどこでも手元に捉え、気晴らしすることが出来るため(Instagram、TikTok、その他SNS)現存在の空間性は道具の進歩によって拡張し、本来手元にあったもの(人間関係、不安、死、リアルな世界)から目をそらせ、すっかり無世界的になってしまったのだ。

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