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【感想】【既読者向け】『烏の緑羽』長束編

今作は、長束と自分が重なってしまうところがあり読んでいて苦しくなった。
「大人の望む“いい子”」という視点の感想。

長束は、唯一自分に関心を寄せてくれる祖父に真の宗家の者となるよう育てられた。
立ち居振る舞いが、宗家らしくあれば認められるが、失敗すれば自身ではなく周囲の責任となる。

他者に認められるために行動する。
他者に迷惑をかけないために行動する。

他者が求める、理想の宗家の人物として成長していく。

現代風に言えば、周囲の望むいい子ちゃんとして大人になっていく。行儀良く、勉強もでき、分別もある、非の打ち所がない子。

いい子ちゃん期は、わたし自身もそうだったけど、周りが喜ぶから自分が望んでいい子を選択していると信じているんだよね。

他人軸だなんて微塵も疑ってない。

自分の考えを持つことなく、他者が望むことを「正解」としている長束を、「赤ちゃんだってぇ〜」と笑うことはわたしにはできなかった。

長束が翠寛と過ごす中で、「いい子ちゃん」でいたことに気づいたのか、そのことをどう捉えたのかはわからない。

でも、招陽宮で長束が紫苑の宮を説得するシーンを読むと、彼自身のインナーチャイルドを癒しているようにも読み取れた。
ここのシーンはとてもよかった。

奈月彦の「長束教育」は、彼自身がいなくなることによって成果が出始めるという皮肉な展開になっている。
読者としては、奈月彦の蒔いた種が育ってるー!と嬉しかった。でも、奈月彦自身は兄の成長を見られない。非道な展開にする阿部智里先生らしさを感じた。そういうの、好き。

『楽園の烏』での長束は、シン•長束だと認識して再読したら少し印象が変わった。

長束の成長を感じられるわたし自身も、成長できてるのかな、と感じられた。苦い思いもありつつ自身と長束の成長に期待できる今作だった。

     ✳︎

長束は、翠寛に現地体験ツアーをしてもらい意識が変わっていった。(『烏の緑羽』)
頼斗は、千早に現地体験ツアーをしてもらい意識が変わっていった。(『楽園の烏』)

長束頼斗、翠寛千早、この人物が交錯するところに今後注目したい。
(千早は翠寛の生徒でもあるし)

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