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短針しかない島の魔法
十数年前
新婚旅行で海のリゾートホテルに泊まった。端から端まで徒歩10分。小さい島が丸ごと一つのホテルになっている憧れのリゾートだ。
港から6人乗りの小さい舟を走らせ15分、宝石のように白く輝く珊瑚礁に囲まれたホテルにつく。水上コテージの天幕がかかったベッドに差し込む朝日で目覚める。太陽が頭上に来て影が小さくなったらお昼の時間。夕日を飽きるまで見て、お腹が鳴ったらそろそろダイニングに行こう。島の時間は秒針も分針もなくて、時針しかないようにゆったり進む。
食べて、泳いで、寝て、飲んで 夢のような数日間だった。
マリンスポーツも楽しい。
ダイビング、パラセーリングも素晴らしかったけど、一番心に残っているのはウェイクボードだ。小型のサーフボードみたいな滑走板に乗り、モーターボートから長くのびたロープに引かれ海の上を滑走する。
上級者ともなれば右に左に波の弧を描き颯爽と滑るのだが、初心者は立つことすらままならない。
僕も妻もウェイクボードは初体験。浜辺で五分ほどレクチャーを受けたらすぐさまモーターボートへ。周りに全く人がいない沖合まで数分。英語が話せないインストラクターのアレックスに「きみから行け」というジェスチャーをされたので僕から海に飛び込む。
ロープの先のグリップを握り、ボートに足を向けて仰向けにプカプカ浮かびながらスタートを待つ。レクチャー通り、ボートが進みだしたら足と腕を思いっきり突っ張って波の上に立ち上がる!
・・・わけもなくドボンっ!!と海の中へ。
どうも力は関係なくタイミングが重要らしい。何度かドボンを繰り返していると、遠くのボートからアレックスが大声でタイミングを教えてくれた。
TATTE~~(たって~~)
語尾の “て” にアクセントがある独特のイントネーション。日本人の旅行客、特に新婚旅行のカップルが多いので、彼が覚えた最初の日本語らしい。
TATTEー! ドボンっ
TATTEー! ドボンっ
何度やってもうまくいかない。
5分程で妻と交代。
TATTEー! ドボンっ
彼の声は海の上、遠くからも聞こえたが、ボートに乗って近くで聞くと鼓膜に響く。
TATTEー! ドボンっ
長く伸びたロープの先で妻も悪戦苦闘している。結局1時間のレッスンで波に乗れた時間は、ぼく3秒、妻6秒。「あなたより2倍センスがあるわね」と妻は嬉しそうに言った。
◆
旅行から帰って数週間。
日常に帰ったぼくたちは、あっという間にストップウォッチの世界に戻った。仕事の遅れを取り戻すべく慌ただしい毎日。新婚旅行という非日常から、あくせく働く日常への変化に溜まるストレス。そんなときは夫婦喧嘩も増えるもので、些細なことがケンカの火種になる。
◆
その日も、ほんの小さい何かがきっかけで大きなケンカになった。昼に勃発したそれは冷戦状態に突入。休日の午後、狭い部屋に静寂が流れ続ける。妻はPCを眺めメトロノームのように一定の間隔でマウスをクリックしている。ぼくは開いている本を見てるけど読んでない。壁掛け時計の秒針音が、うるさい。
日が陰った頃、妻が台所の戸袋の整理を始めた。足踏み台に乗って背伸びしながら奥の何かを取ろうとしてる。微妙に手が届かずイライラしていたのだろう。すこし強い口調で僕に言った。
ちょっと、 これとって!
語尾の “て” にアクセントがある語調。
どこかで聞き覚えのあるイントネーション。
TATTEー!
そうだ、アレックスだ! ボートの上から何度も何度も叫んでくれたアレックスのイントネーションにそっくりだ。思わずぼくの口もとが緩む。怪訝な顔をする妻に説明した。青い海とアレックスを思い出した妻の笑顔は、とても可愛かった。
◆
それ以来、我が家ではお願いごとをアレックス調に伝えるのが流行った。その言い方だとお互い素直に聞ける魔法の言葉。
(お昼ごはん)TSUKUTTEー!
(その醤油)TOTTEー!
(ゴミ当番)YATTEー!
お酒を呑みながらTSUIDE-! なんて派生語もできる。語尾にアクセントを置いて最後の文字を伸ばすだけ、簡単だ。
おじいちゃん、おばあちゃんになっても、この魔法の言葉は使えると思う。
その入れ歯 TOTTE ~‼
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えみさん企画「おうち旅行」の参加作です。10年ぶりに新婚旅行の写真を見返しました。当時はデジカメが普及してなくて写真は全部フィルム撮り。アルバムにキレイに納められた、5泊6日で200枚ほどの写真。きっと今なら5000枚以上撮っちゃうかも。新婚当時を思い出した「おうち旅行」とても楽しかったです。えみさん、ありがとうございます!
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