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十二月の蛍

掌編小説

ガチャン☆

店の扉を開けた瞬間、ビアジョッキが合わさる音が耳に響いた。クリスマスイブだというのに、線路下の居酒屋は賑わっている。上司の武勇伝を聞きながらスマホをチラ見する男性は、彼女を待たせてるのだろうか。それとも、家でサンタを待つ子供のことを気にしているパパさんなのか。

大学生を満喫してますオーラをまき散らす男女4人のテーブル。窓際のカウンターでひとり、エイヒレと酎ハイを黙々とたしなむサラリーマン。12月24日の居酒屋は、色んな人間模様が入り混じる。いかにも仕事終わりの空気を纏ったスーツ姿の私と先輩は、どんな関係に見えるのだろう。だれも私たちのことなんて、気にも留めてないけれど。

「トイレ激混み!  この店、安くて旨くて言うことなしだけど、トイレが1個しかないのがネックだよな。ここの料理、酒がススムから膀胱破裂するって」

クリスマスイブに「膀胱破裂」という言葉を異性から聞く女性は、かなりのレアキャラではなかろうか? たぶん、私を含めて相当に少ないはずだ。

「ビールは利尿作用が高いからトイレが近くなるのも当然です」
「そんな真面目な話は、聞きたくありませんっ」

先輩は赤ら顔で、選手宣誓みたく右手を真っすぐあげる。私は華麗にそれを視界から外して言葉をつづけた。

「先輩。契約が取れたお祝いに、飲みに誘ってくれたのは嬉しいですが…」
「──ですが?」
「もう少しオシャレなお店が良かったです」
「イブの日に、予約なしでそんなお店に入れるわけないって」

困ったような先輩の笑顔を見ながら、相変わらず素直じゃない自分の性格を呪う。こんなときに、「居酒屋でもお祝いしてもらえて嬉しいです」と言える女性が羨ましい。

「先輩は、イブなのに彼女さんと一緒に過ごさなくていいんですか?」

私は答えを知りながら、聞いた。

「あいつ先週からヨーロッパ出張に行ってて、いないんだわ。もちろん、滞在先のホテルに、サプライズプレゼント送ってあるんだけどね」

さりげなく、いい彼氏ぶりをアピールする先輩がきらいだ。でも、半年かけてお客様との関係を築き、契約をもぎ取った私の努力を見守ってくれた先輩はきらいじゃない。

--*--

「先輩、ちょっとしたゲームをしませんか?」

酒の肴の話が尽きたころに私は言った。三杯目のハイボールを飲み干して、気分が良くなった先輩はお代わりを頼みながら、いいよ、と言った。

「これから、私はひとつだけウソをつきます。どれがウソなのか、当ててください」
「それは、上司である僕が、部下であるキミをどれだけ理解しているかのテストということかな?」
「違います。間違ったら、ここの酒代は全部先輩持ちにして欲しいという利己主義な目的です」
「あぁー、そういうこと!? よしっ、受けてたとう!」

コミュニケーションが苦手な私が、会社で気兼ねなく話せるのは先輩くらいなんだけど。先輩は人と話すのが上手で、営業成績もいいし、きれいな彼女もいて。私が男だったら、先輩みたくなりたいな、ときっと思う。

「では、最初の問題。私がいちばん好きな飲み物はトマトジュースである」
「それはホントだよな!  高円寺駅前のジュースバーのトマトジュースを一緒に飲んだの覚えてるか?  トマトジュース大好きなんです、ってうまそうに飲んでたもんな」
「解答は問題が出きってからお願いします」
「おっ、そうかそうか。じゃ、次の問題をどうぞ」
「二番。私はエクセルが大好きである」
「これもホントじゃんか。オマエのエクセル、日に日に上手くなって、今じゃ会社で一番の使い手じゃないの?」
「重ねて言いますが、解答は最後にお願いします。では、最後の問題です」

乾いたのどを湿らせるため、私は泡が消えたビールをグイっと流し込んだ。

「私は、先輩がプレゼン終わりに見せるドヤ顔が嫌いである」
「あぁ……それな!  いつもさ、プレゼン終わっていい気分なのに『そのドヤ顔やめてください』ってオマエに言われるとテンション下がんだよね」
「先輩の愚痴を聞く時間ではありません。さぁ、解答をどうぞ。制限時間は30秒です」

先輩が腕組みして考えている。きっと、この会話をうまくかわす落としどころを探ってるんだ。先輩の性格を誰よりも知ってるのは、2年間外回りで一緒だった私だという自信がある。

答えあぐねている先輩の顔を見ながら、私はスマホのストップウォッチを見る。多分、先輩は答えを言わない。それも、想定内だ。制限時間まで残り3秒。すぅっと短く息を吸って、私が正解を言おうとした瞬間に先輩のスマホが震えた。

「おぉぉー! プレゼント届いたか。── いま? 後輩と飲んでる。── そうそう。前に話した一緒に外回りしてる女の子……」

スマホごしに彼女と話す先輩を見ていたら、周囲の音が消えていく気がした。イブの日に、知らない女の子と一緒に飲んでいても、先輩の彼女は何も心配しないんだ。それだけ二人の信頼関係は強いということか。目の前で仲良く手を握り合ってくれた方がマシだ。このシチュエーションはキツイ。

コートとバッグを抱え込み、私は勢い良く席を立つ。スマホを耳につけながら私を見る先輩に言った。

「制限時間を過ぎたので、ゲームは私の勝ちです。だからここは先輩の奢りってことで。ご馳走様でした。お先に失礼します!」

ちょっと待てよ ── 先輩の声をふりきり店の外にでる。冷たい風が一瞬で私の体温を奪う。慌ててコートを着て、私は足早に駅へと歩きだした。

--*--

駅まで続く道は、イルミネーションでキラキラと輝いていて。すれ違う人みんなが、幸せそうに見えた。たまらなくなり、私は走り出す。

分かっていた。

可能性が1%もないことは、分かっていたんだ。でも、先輩の喜ぶ顔が見たくて、ずっと頑張ってきたことを知って欲しかったんだ。

この店の味は日本一だぞ、と奢ってくれたトマトジュース。ホントはトマトジュースが飲み物の中で一番きらいだ。うまいか? と聞く先輩の笑顔が見たくて「おいしい!」とウソをついたんだ。

エクセルなんてアイコンを見るだけで気分が悪い。数学が苦手な私にとって、関数記号は難解な暗号にしか見えない。でも、先輩が大きなプレゼンを前に頑張っていたから。少しでも力になりたくて、土日をつぶしてシートを完成させたんだ。「エクセル得意なんだ!? スッゲー助かる」── そのひとことが嬉しすぎて。またそう言って欲しくて、必死にエクセルを覚えたんだ。ホントは表計算なんて大っきらいだ。

全部ウソなんだ。先輩のドヤ顔がきらいなわけがないじゃないか。素直に感情表現できない自分が大きらいだ。

でも、今日はクリスマスイブだから。今日だけは、自分の気持ちを素直に言いたいと思ったんだ。

三つの問題は全部ウソです。
正解は、「私はひとつ・・・だけウソをつきます」という言葉が嘘なんです。

そう言いたかった。今日は言える気がしたのに。なのに……。
あんなタイミングで電話をかけてくる先輩の彼女がきらいだ。嬉しそうに電話で話す先輩が大っきらいだ。

こころの中に、もうひとつのウソを重ね、私は駅まで走り続けた。滲んだ街のイルミネーションが、十二月の蛍みたいにふわふわと輝いて、とてもキレイだった。



<了>


★★
★☆★


こちらの企画への参加作です。

読むのも書くのも、ハッピーエンドが好きなのですが、今回はビターな話になりました。これを書いているときは(11月の下旬)、まだ誰の作品も公開されてないから、どんな作品が並ぶのか分かりません。もしも、ハートウォーミングな流れを止めてしまったらごめんなさい。

街がふわふわした空気に包まれる12月だけど、色んな思いを持つ人がいます。今年はツラいクリスマスでも、イブは来年もやってくるから。ひとりでも多くの人に、笑顔になれるクリスマスが来ますように。

メリークリスマス!

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