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文字の向こう側

今日は4連休の2日目。カードゲーム三昧です。楽しい。
平日のうちに書きたかったこと、このタイミングで書いておきます。

「死亡」「重症」「書類送検」「意識不明」「逮捕」……。

こういう言葉を使う原稿を取り扱うことが多い仕事だ。

仕事だから淡々と進めていく。
次から次へと振ってくる記事を、あれやこれやとどうこうして、どうこうしていくのが仕事だ。それは仕方がない。
「あれやこれやどうこう」とは、別に歪曲させたり偏向したりとかそういうニュアンスではなく、仕事だから守秘義務的なことが多い、という意味で捉えてほしい。そこまでの権力がこんな末端にあるわけがない。

ふと冷静になって自分があれやこれやしたものを見ると、短い文章の1つ1つの中で、とある人の人生が激変していることに気づく。
死亡は言わずもがな。重症や意識不明も大変だ。逮捕は……、容疑者になったという時点で大きな変化だし、書類送検も同じく、だ。他にもプロ選手の移籍とか、大きな賞の受賞とか、戦争報道や被災地とか、あれやこれや……。
書けば2文字、3文字の事柄だけれども、1人の人生が、いやより多くの人生が変わっていく瞬間に、文字を通して接する仕事なのだと、時に気づく。

仕事の現場に上がってこないだけで、日々もっと多くの人生が、時に激しく時に緩やかに変わっているのだろう、と想像する。生き死にを筆頭に、結婚離婚、衝撃的な出会いや別れ、他にも想像のつかないあれやこれやが、今、この時にどこかで起こっているのかもしれない。
こうしてタイピングをしている間にも、どこかの誰かの人生は大きく変わっている。現場に上がってくる来ないはさておいて、世の中とはそうやって成り立っている。それは何だか果てしなくて、どうしようもない。

私が触れている仕事の言葉たちが、自分や親しい人に降り掛かったら……、と思うと、正直怖い。
妻には死んでほしくないし、友人たちには意識不明の重体になってほしくないし、会社の先輩は逮捕されてほしくない。今日も明日も明後日も、願うなら穏やかにあり続けてほしい、と思うばかりである。
私自身は……、まあ自己評価がそこまで高くないので仕方ないとしても、少なくとも妻を悲しませたくないという一心において、できれば明日も生きていたほうがいいし、意識不明になんかなりたくないし、逮捕も書類送検もされるようなことはしないし、巻き込まれないようにしたい。もちろん不意に賞とか取って……、いやそれもいいや、そんなことはない。大丈夫だ。

歩道と車道を区切る白線の上を、落ちないようにと歩くことがある。
子供が横断歩道の白い部分を小島に、黒いアスファルトを海か奈落に見立てて、落ちないようにと遊ぶアレを、30歳を過ぎてもやりたくなるし、やっている。
でも、子供のように無邪気には歩けない。白線が今の人生で、黒いアスファルトが「踏み外す」瞬間と思うと、恐ろしくて仕方がない。
今この瞬間、誰かが踏み外して……、あるいは突き飛ばされて落ちていく。その瞬間が誰かの身に次々と訪れていることを、仕事を通じて知っているのだから、なおのこと、だ。

とはいえ怯えてばかりでは、何もできないのも事実。
車に轢かれるのが怖くて外に出られないし、火事になるのが怖くて家にいられないので、結局はなんとかしないといけないのが人生である。
車に轢かれないように気をつけて歩くし、火事にならないように火の用心をする。それが人生で、そうやって怯えながら諦めて生きていかねばならない、らしい。なんて難儀なのだろう。

仕事の話に戻るが、変わる瞬間に対してできることは、ほとんどない。
ただひとつできることがあるならば……、間違えないようにする、だろうか。それが誠意で、それが義務で、それが矜持なのだと、多くの人生と向き合いながら、少しの後ろめたさと共に働いている。

ということを書きたかった。それだけ。

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