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ランドセルへの思い

私は、小学校への入学時、何故か皆が欲しがるランドセルなるものを欲しいと思ったことがなかった。
皆が持つ物に執着しなかった理由は、未だに解らない。

当時(昭和40年代)、違和感も無く、手提げかばんで小学校に通っていた。

買って欲しいと思ったことも無く、持っていない事にも不満などなかった。

小学校の中学年になると、当時流行りの“VAN”のトートバックを使っていたりもした。
新卒の女性教師などに、「小僧のくせに生意気!」などと言われると、訳もなく嬉しかった様な気がする。

自分には、歳の離れた兄が二人いるが、兄二人は共にランドセルを使用していた。
小学校6年生になったある時、その兄のお古のランドセルを使って、通学してみたところ、その快適さ・利便性に驚いた記憶が蘇る。

長兄のランドセルは、自分の同級生達が持つ様なマグネットで開閉部を止める物ではなく、二本のベルトで締める古めかしい物だった。

そんな古めかしいランドセルも、自分にとっては、人生で初めての快適バックパックで、“お古”を使う劣等感もなく、ただただ感動して最終学年で使い倒していた。

ただ、そんな自分を見て、ある時、母は「新しいランドセル要るか?」と言った。

小学校入学時に、新品のランドセルを持たせなかったという後悔もあったのか、「そんな古い(痛んだ)ランドセルで良いのか?」聞かれたこともあった。

他の流行り物には、敏感に反応する自分も、ランドセルに関しては保守的で、その機能性・機能美にいたく感動して、“お古”をつかっている劣等感は皆無だった。

昨今のネットでの「ランドセル論争」に対する思いを感じながら、昔を思い出し、母の夜伽に、一人で明かりを守りながら書き綴る「ランドセル」への思いでした。

いやあ、“あれ”って凄い優秀な、世界に誇るプロダクトですよね。

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