脱植民地化デザインを読む(2)
こんにちは、緒方です。
『Decolonizing Design: A Cultural Justice Guidebook』の内容をより具体的に紹介する本記事では、前回の続きとして、デザインにおける脱植民地化の重要性と実践方法について探ります。
本書は大きく二つの主題、「デザインと植民地主義の関係を問う」ことと「脱植民地化デザインの実践」に分けられます。今回は特に、デザイン界で当然視されてきた概念への問いかけに焦点を当て、最後に著者タンストール氏による具体的な取り組みを紹介します。
(*基本的には書籍の内容に基づいて記事を執筆しました。ただし、記事本文中の──(罫線)で挟んだ箇所の文章は、筆者によるコメントや関連事項です。また画像は、筆者が選択したもので書籍内で示されたものではありません。)
まず、本書の構成を理解するため、各章のタイトルを以下に示します:
脱植民地化デザインは、先住民を最優先に考えること
脱植民地化デザインは、西洋近代主義プロジェクトにおけるテクノロジー偏重を解体すること
脱植民地化デザインは、西洋近代主義プロジェクトにおける人種主義的バイアスを解体すること
脱植民地化デザインは、多様性、公平性、包摂性を超えて償いを行うこと
脱植民地化デザインは、既存リソースの優先順位を再考し、脱植民地化を実現すること
1章⇒先住民を最優先に考える
第1章では、脱植民地化の文脈において、異なる民族間の関係性とその変化を理解するための二つの重要な理論的枠組みが紹介されています。
植民地主義における[入植者–先住民–奴隷]の関係
イブ・タックとウェイン・ヤンによる論文「脱植民地化はメタファーではない(原題:Decolonization is not a metaphor)」で定義されたこの関係は、植民地主義の構造を明らかにします。
入植者:「地球と動植物の支配者」として土地の所有権を主張し、過剰な土地と労働力を求める
先住民:本来の土地所有者だが、入植者の秩序により労働力または排除の対象として再編される
奴隷:入植者の必要とする労働力として利用され、土地を持てない状態に置かれる
この構造は、入植者による先住民の土地の盗用と奴隷の労働力搾取という二重の抑圧を示しています。タンストール氏は、以下の歴史的事実を挙げ、この関係性の理解と解体が脱植民地化に不可欠だと説明しています:
北米における500年以上の同化政策
ヨーロッパから持ち込まれた天然痘などの病原菌により多くの先住民が命を落とし、新たな労働力が求められた
その補填として連れてこられたアフリカ系奴隷とその子孫に対する構造的排除の歴史
1681年のメリーランド州で「白人」と「非白人」の結婚を違法とする法律において、初めて「白人」という語が使用された
合衆国憲法の「5分の3条項」によって黒人を5分の3人と数え、市民権を与えないなど、構造的な人種差別を正当化していた
トランスカルチュレーションの概念
キューバの人類学者フェルナンド・オルティスが提示したトランスカルチュレーション(文化交流)の概念は、文化の出会いにおいて起こる三つのプロセスを説明します。
アカルチュレーション:文化が他の文化を取り入れる
デカルチュレーション:文化がその側面を手放すか失う
ネオカルチュレーション:完全に新しい文化が生まれる
これらのプロセスは、ジャズ音楽(ネオカルチュレーション:ヨーロッパのメロディー、アフリカのシンコペーション、先住民のハートビート)や、使用が禁止されたウォロフ語が失われる可能性があったこと(デカルチュレーション)、先住民女性がキャリコのスカートを着せられたこと(アカルチュレーション)などの事象に見られます。
タンストール氏は、これらの理論的枠組みを用いて、アメリカ、オーストラリア、カナダにおける植民地化の歴史と先住民主権のための闘いを理解することの重要性を強調しています。
そうした前提に立ちながら1章の残りの部分では、以下のような各地の歴史的事例を通じて、自らが生活し、働き、コミュニティを築く土地の歴史を学ぶことが脱植民地化デザインの出発点であると説明しています。
汎インディアン国家連合(a pan-Indian nation confederacy)を率いたテカムセの物語
1770年にジェームズ・クックが土地の所有権を主張するより6万5000年以上前から大陸に住むアボリジニとイギリスとの衝突
1880年代に始まり1996年に最後の寄宿学校が閉鎖されるまで同化目的の教育を行ったカナダのレジデンシャル・スクール制度
さらにタンストール氏は、土地の歴史を学ぶ過程で直面する困難と、その重要性について深く言及しています(p.29-35)。先住民文化に関する研修での体験や、2021年にカナダの寄宿学校跡から発見された大規模な無記名墓地の事例など、先住民コミュニティ内の痛みやトラウマに直面することの難しさを率直に語っています。そして、その痛みに完全に寄り添うことの困難さを認識しつつも、理解し共感しようと努めることの重要性を強調しています。
一方で、先住民の友人や同僚たちが世代を超えた悲しみや怒り、トラウマを断ち切ろうとする決意を表明する際には、そこに「共にいる」ことを宣言しています。具体的には、先住民の活動に寄付をしたり、SNSでメッセージを共有したり、先住民コミュニティの声に耳を傾けるなど、実践的な支援を行いながら、「共にいること」の意味を学び続けていると述べています。
さらに、脱植民地化の本質的な理解について、自分自身の痛みではなく、先住民の痛みに寄り添う謙虚な姿勢が必要であると同時に、痛みを伴わないのであれば正しく脱植民地化を実行できていないと指摘します。ここでいう脱植民地化とは、植民地化の結果として得られる特権と権力を積極的に問い直し、解体することを意味します。
タンストール氏は、これらすべてのプロセスと理解が、真に先住民を第一に考えることにつながると主張しています。
2章⇒テクノロジー偏重の解体
第2章は、タンストール氏が博士課程修了後に仕事を始めたシカゴの描写から始まります。シカゴは、ニュー・バウハウスの影響を受け、モダニティと技術の役割に魅了された都市として紹介されています。
シカゴは、近代建築の都市として知られ、摩天楼が立ち並ぶ景観が有名ですが以下のような要素が特徴的です:
1848年に開通した鉄道は、交通の中心地としての役割を確立した
1871年の大火災により木造建築はほぼ全焼したが、それに代わって街の中心部にコンクリート製のエレベーター付き高層ビルが増加
ケーブルカー「シカゴ・L」が運行しており、その環状線に囲まれた地区はループと呼ばれる
1910年のバーナムプランによって整備された公共の公園やビーチ、貨物輸送用の地下トンネル、郊外と市中心部をつなぐ高速道路など
また、シカゴは多様性と分断の両面を持つ都市でもあります。175以上の民族や部族から成る約65,000人のネイティブ・アメリカンが暮らし、これは全米で3番目に多い人口です。同時に、グリークタウンやアンダーソンビルなどのエスニックタウンが形成され、これらは都市における差別や経済的搾取から身を守るために同じ民族の人々が集まってできた地区です。さらに、レッドライニングのような特定地域の住民に経済的、政治的特権を与えない政策は、黒人コミュニティの隔離と貧困化を引き起こした要因として指摘されています。
1893年にシカゴで開催された世界博覧会は、技術を通じた進歩の物語に強い影響を与えました。この博覧会は、コロンブスのアメリカ大陸"発見"400周年を記念するものでしたが、同時に植民地主義的な側面も持っていました(現在のドミニカ共和国の地でタイノ人に出会い、彼らを奴隷化してから400年が経過したことを祝う意図があった)。歴史家のJulie K. Roseによれば、この博覧会で提示された大衆文化と「ハイ」カルチャー、消費主義的なメッセージ、国家権力に対するビジネスエリートの台頭、最新技術の礼賛は、今日のアメリカ社会に根深い影響を与え、現代アメリカの設計図となったとされています。
一方で、この近代アメリカの設計図は、ヨーロッパにおける近代主義プロジェクトを参考にしていました。1851年のロンドン万国博覧会では、オーストリア帝国の工業的発展が賞賛されました。このオーストリア帝国とは、1804年から1867年まで続いたハプスブルク家のオーストリア帝国を指し、その産業は戦争と植民地化と深く関連していました。展示されたタイポグラフィのコレクション(フェニキア文字や日本語に至る26の言語を含む)は、植民地時代の戦利品として展示され、オーストリアの工業的、軍事的、商業的な能力を誇示するものでした。
時代は変わり、2022年にドバイで開催された万博でも、テクノロジーによる進歩というテーマが前面に押し出されました。イノベーション、AI、未来の航空機、ドローンによる医療用品配送など、テクノロジーを通じたより良い暮らしのビジョンが、かつては「原始的」と見なされた場所から発信されるようになりました。この変化は、近代主義プロジェクトの技術中心性がもはやヨーロッパに限定されず、グローバルな現象になっていることを示唆しています。
ここで語られる技術/科学技術/テクノロジーを通じたより良い暮らしという考え方は、アメリカにおいて強力なイデオロギーとなりました。その代表例が、ヘンリー・T・フォードによる一般向け自動車の大量生産体制です。デザインの文脈では、バウハウスの大量生産品にモダニズムの美学が見出されてきました。バウハウスは、意図的ではなかったにせよ、20世紀のモダニティの視覚的な語彙の大部分を形成してきたとされています。
バウハウスと技術の関係は、1919年から1933年にかけてドイツのヴァイマール、デッサウ、ベルリンで展開された教育プログラムの中で、時代ごとの社会運動の影響を受けながら変化しました。以下に、脱植民地化の視点を含んだバウハウスの略歴を示します:
初代校長のヴァルター・グロピウスは、建築、彫刻、絵画を統合した工房を教育モデルに据え、「すべての造形活動の最終目標は建築である」とするマニフェストを打ち立てた。
グロピウスは当初、技術の可能性に魅了された熱心な近代合理主義者だったが、第一次世界大戦を通じて機械化の危険性を目の当たりにし、その後の方向性を大きく転換した。
歴史家のFred Turnerによると、初期の共同創設者ヨハネス・イッテンは、マズダスナン教という東洋の宗教からインスピレーションを受け、菜食主義、呼吸法、断食、性的自制を通じて学生の心身と精神の統一を促した。しかし、この宗教運動は、「一連の人類の歴史は東から西へと移動し、欧州白人男性の業績に終わる」(p.45)という優生学的な考えを支持するものだった。
1922年、グロピウスはイッテンを辞任させ、その後任にはモホイ゠ナジ・ラースローが就任した。
Leah Dickermanによれば、モホイ゠ナジはイッテンによって育まれた芸術家を神格化する見方を完全に排除し、バウハウスの晩年には大量生産に注力するようになった。
1928年、マルクス主義者のハンネス・マイヤーが校長に就任した後、製品の装飾は階級主義的な贅沢であると見なされ、学校はバウハウスのデザインに対するライセンス契約を多数締結する。
1930年、マイヤーからミース・ファン・デル・ローエに校長は交代したが、1933年にナチ党からの圧力により学校を閉鎖。
バウハウス運動の影響は、以下のように世界中に広がりました:
多くのライセンス契約によってバウハウス製品が世界中に展開され、その人気は高まる。1938年、ニューヨーク近代美術館での大規模な展示会を通じて「form follows function」「less is more」「chuck out the chintz」という合理的なデザインの美学が世に広められた。
ナチスの台頭により亡命した講師や生徒の多くがアメリカに移住し、バウハウスの美学や教えを継承した。例えば、アニ&ジョゼフ・アルバースは、ノースカロライナ州のブラック・マウンテン・カレッジに、ヴァルター・グロピウスはハーバード大学の建築学部長となった。
ライセンス契約の議論に関して、『バウハウスの女性たち』も重要な役割を果たしました。グンタ・シュテルツルは織物工房のマイスターとして、1927年から1931年まで技術・芸術ディレクターを務め、工房の生地やプロトタイプは学校の主要な収入源となりました。
同じくこの時期に亡命したモホイ゠ナジとミース・ファン・デル・ローエはともにシカゴに住み、新たな仕事を始めるわけですが、それによってシカゴの都市構造にはバウハウスのデザイン理念が組み込まれていきます。ミース・ファン・デル・ローエが建てた少なくとも14の重要な建築は、モダンデザインを象徴するガラス、コンクリート、スチールを用いたミニマリズムの美学によって表現されています。
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「chuck out the chintz」については、1996年にイギリスで展開されたIKEAの広告キャンペーンでスローガンとして採用されたことが確認されましたが、日本語での言及は見つけられませんでした。IKEAの広告では「英国調の家具をやめて、モダンなIKEAの家具を買おう!」というメッセージが、”モダンな”女性になることを奨励する形で大々的に喧伝されました。
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タンストール氏は、「技術/科学技術/テクノロジーを通じたより良い暮らしの物語は、近代主義的デザインプロジェクトのプロパガンダに過ぎない」(p.47)と指摘します。その理由として、1800年代から現代に至るまで、デザインの技術進歩は一部の人々の生活改善に留まっていることを挙げています。
1800年代のヨーロッパにおける産業化は植民地化と密接に結びつき、主に西洋のエリート層と後の入植者のためのものでした。第二次世界大戦後の北米やオーストラリアに移住した白人労働者も、先住民や黒人、その他の人種差別を受けた人々の犠牲の上に立ち、技術/科学技術/テクノロジーの恩恵を享受し続けています。周縁化された多くの人々にとって、技術/科学技術/テクノロジーを通じたより良い暮らしは悪夢のようなものだとタンストール氏は述べています。
技術が黒人コミュニティに与えた有害な影響の例として、綿繰り機が挙げられています。1793年に発明された綿繰り機は、短い綿繊維を種子から機械的に分離でき、従来の方法よりも50倍以上の効率で作業が可能でした。これにより、「キング・コットン」による利益が先住民の土地収奪とアフリカ人の奴隷化を促進し、1790年から1850年の間にアフリカ人奴隷とその子孫の数が約5倍(約70万人→約320万人)に増加しました。
タンストール氏は、この問題が現代にも続いていると指摘します。産業革命の技術やその系譜にあるコンピュータなどを、血のダイヤモンドなどと同様に「ブラッド・テック」と呼び、先住民や有色人種、そしてその土地にも悪影響を及ぼしていると述べています。例えば、クラウドコンピューティングのサーバーファームが先住民の土地に建設され、大量の水を消費している現状を挙げています。
さらに、アフリカ系アメリカ人の実在の女性Bina AspenさんをモデルにしたAIロボット「Bina48」を例を挙げて議論を展開しています。タンストール氏は次のような懸念を示しています:もしロボットに感覚的な入力を十分に持たせなかったり、処理能力が低いためにロボットが愚かな性能のままであるとしたら、奴隷制時代における黒人への教育禁止と同じではないか?と。
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しかし、実際には開発された2010年以降の学習によって、2017年には大学レベルの哲学コースを修了した初めてのロボットとなりました。また、2023年時点では宇宙飛行士の訓練に参加し、コンパニオンロボットとしての可能性が調査されており、その懸念自体は一部払拭されています。
一方で、タンストール氏は、人工知能を含む多くのテクノロジーに、主に白人シスジェンダー男性の家父長制的な意識が反映されているという問題点も指摘しています。この問題は、以下のような事例によって裏付けられています:
・ SF作品を見て育った億万長者たちが、その世界観を実現しようとして、多くの人々を巻き込んでいることへの警鐘が鳴らされている(*2)。
・ マルチモーダル生成AIの音声として、女優スカーレット・ヨハンソンの声が無断で学習され、再現された疑いがある(*3)。
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これらの事例は、テクノロジーの開発と利用における倫理的問題を浮き彫りにしています。タンストール氏は、こうした問題意識が脱植民地化デザインにおいて重要な視点の一つであると主張しています。
このような問題に対して、タンストール氏は以下のような問いかけをしています:
AIに先住民の生活体験を学習させたら?
テクノロジーを奉仕するものではなく、対等なパートナーとしてデザインしたら?
土地、水、空気、すべての生命を尊重してデザインしたら?
こうした問いによって、脱植民地化デザインが実践されていくと提案しています。具体例として、AIシステムの新たな開発アプローチを模索するワーキンググループが紹介されています。(アフリカの言語を学習させたツールを開発するスタートアップの動きなども見られるようになっています。)
さらに、サーシャ・コスタンザ゠チョックの『Design Justice』を引用しながら、支配のマトリクス(白人至上主義、ヘテロ家父長制、資本主義、エイブリズム、入植者植民地主義など)を解体する試みについても言及しています(*4)。
3章⇒人種主義的バイアスの解体
次に3章では、西洋近代主義的デザインプロジェクトにおける人種主義的バイアスの解体が試みられます。
2019年、バウハウス創立100周年を機に、その遺産と見過ごされてきた問題点(女性蔑視、人種差別、反ユダヤ主義、ナチス・ドイツとの共謀など)について省察が行われました。
特にこのテーマについて示唆に富む『Bauhaus Futures』(L. Forlano, M. W. Steenson and M. Ananny, 2019)では、以下のような批判的視点が提示されています:
Elizabeth Chin:バウハウス以外で創作活動する人々の実践を「デザイン史のない人々」という枠にはめることへの批判
V. Mitch McEwan:W. E. B. デュボイスとアニ・アルバースを結びつけることで、バウハウスのの白人中心性を問い直す試み
また、Todd Cronanのエッセイ「Getting Over the Bauhaus」では、初期のバウハウスを定義した人物であるヨハネス・イッテンが1921年に「the House of the White Man」を設計したことや、同僚とともに「白人が文明の最高水準を代表している」とするエッセイを発表したこと、そうした歴史に見え隠れするバウハウスの思想と実践に埋め込まれた生物学的決定論と露骨な白人至上主義について言及されています。
これらの議論は、バウハウスの美学の根底にあるデザイン対象としての「普遍的な人間(universal man)」が白人男性労働者を指していたという事実を批判的に捉えています。
タンストール氏は、このようなバウハウス神話の解体が脱植民地化デザインにとって重要なステップだと主張します。近代主義プロジェクトに起源を持つデザイン実践が、白人の優越性という偏見を永続させるためです。(p.58)
しかし、バウハウス以前の近代主義的デザインプロジェクトにも注目する必要があります。例えば、1851年の万国博覧会閉幕時のアルバート公の演説は、「すぐれた人々(eminent men)」の調和を呼びかける理想主義的なものでした。その演説では「神の慈悲のもとで、異なる国々から集まったすぐれた人々が知識を交換し合い、それが世界中に広がり、国家間の統一や人種間の平和と善意を促進することを願いたい」といった趣旨のメッセージが伝えられました(*この演説については宗教的側面を議論する動きもあるようです)。しかし、その後のヨーロッパの歴史(二度の世界大戦、植民地化の継続、近年の諸問題)を考えると、普遍的な人類という概念が実現されていないことは明らかです。
近代主義プロジェクトが想定する「普遍的な人類」は、実際には非常に限定的です。それは白人、シスジェンダー男性、アングロサクソン系、キリスト教徒、異性愛者、裕福で健康な人を指します(p.59)。このモデルに適合しない人々は、同化を強いられることになります。
1851年の万国博覧会は、この偏った視点を顕著に示しています。イギリス領ガイアナ、北米先住民スー族、西アフリカ、エジプト、チュニス、マルタなどの「原住民の国(Aboriginal States)」からの展示品は、人種差別的な暴力性を帯びて紹介されました。展示の説明は、西洋人を頂点とし、東アジア人と南アジア人を中間に、その他の人々を最下層に位置づける人種差別的なヒエラルキーを示していました。この構造は、奴隷制廃止後に南アジア人をカリブ海やアフリカに移住させ、黒人コミュニティと白人入植者の間の緩衝材としたという政治的背景を反映しているとの指摘もあります。
この偏向は現代のデザイン教育にも影響を及ぼしています。2021年のQS世界大学ランキングのアート・デザイン部門では、トップ10はヨーロッパまたはヨーロッパ系アメリカのデザインスクールが独占しています。アジアでの最高位は中国の同済大学の13位です。ヨーロッパ、アジア、オーストラリア以外では、メキシコ国立自治大学(UNAM)が48位にランクインしていますが、200校以上のリストの中で、中東からは2校、アフリカからは1校しかランクインしていません。
これらの事実は、普遍的な人間性を体現しようとしたヨーロッパの理想が失敗したにもかかわらず、植民地化を通じて別の形で実現されたことを示しています。その過程で、白人の特権性を維持するため、先住民や黒人、その他の非ヨーロッパ的なものづくりの実践は劣位とみなされ、禁止されたり、制度的に消去されたりしました。皮肉にも、人類の普遍性を追求する理想が、文化の多様性を抑圧し、西洋の白人中心的な文化の優位性を強化する結果となったのです。
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この現象は、個人の経験にも反映されています。例えば、ケニア生まれのイギリス人陶芸家、マグダレン・オドゥンド(Magdalene Odundo)は、自身の作品集でこう述べています。「子供時代を過ごしたナイロビとモンバサでは、英国による植民地教育システムの下で『アフリカのアートは原始的だ』と教わりました。それが事実ではないことに気づいたのは、後に英国(ロイヤル・カレッジ・オブ・アート)に移り住んでからのことでした。」(p.8)
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白人至上主義の起源については、それほど古くないという見方があります。タンストール氏は、1681年のメリーランド州にその起源があるという説に言及しています(p.60)。『Birth of a White Nation』の著者Jacqueline Battaloraによれば、それ以前にもイギリス、スペイン、オランダのキリスト教社会で人種差別は存在していましたが、「白人」という概念が法的に使用され始めたのは1681年のメリーランド州の法律からだとされています。この法律は、「白人」があらゆるカテゴリーの「非白人」との結婚を違法とするものでした。
この法律制定の背景には、1676年から1677年にかけてヴァージニアで起きたナサニエル゠ベーコンの反乱があります。この反乱後、年季奉公人(イギリスから労働力としてアメリカ新大陸に渡った白人)の経済的地位向上ではなく、黒人奴隷や先住民の地位を下げることで社会的分断を助長する目的で、メリーランドやその他の南部植民地で一連の人種差別法と異人種間結婚禁止法が制定され始めました。これらの法律は現在の北米の制度にも影響を与えており、このプロセスを通じて白人至上主義がカナダ、アメリカ、オーストラリアなどの植民地入植者の国々の法律に組み込まれていったのです。
しかし、現在白人と考えられる全ての人々が当初からこのような特権的地位を持っていたわけではありません:
ユダヤ人:ナチスによる大量虐殺が明るみに出た後、白人のキリスト教的罪悪感から特権を得て「白人」に含まれるようになった。ただし、一部の白人至上主義者とは今でも対立関係にある。
アイルランド人:イギリスと対立するカトリック教徒だったため、当初は「白人」とみなされなかった。黒人や先住民、アジア系住民といった他の非抑圧者を圧迫することで、徐々に「白人」の地位を獲得した。
南ヨーロッパの人々(イタリア人やギリシャ人など):1900年代の大量移民の後、徐々にアメリカで「白人」とみなされるようになった。
白人至上主義の文化的価値観は、デザインの近代主義プロジェクトに深く根付いています(p.64)。タンストール氏は、技術/科学技術/テクノロジーによってより良い暮らしを得るという考え方が、以下の価値観の組み合わせであると指摘しています:
「進歩はより大きく/より多く」
「質より量」
「機械化された完璧主義」
「快適さの権利」
これらの価値観は、大量生産を促進し、機械によって人間の不完全さを排除することを目指します。その結果、主に白人キリスト教エリート層に快適さを提供し、最終的には「白人限定クラブ」に参加を許された人々に特権がトリクルダウンすることを意図していると説明されています。
さらに、タンストール氏は「普遍的な人類」という概念への参加が、以下の価値観に基づいていると指摘します:
「個人主義」
「二者択一的な思考」
「権力の独占」
これらの価値観は、個人主義や「我々と共にあるか、もしくは敵対するか」という単純化されたメンタリティを促進します。その結果、潜在的な社会的連帯を断ち切る効果があります。具体的には、貧しい白人が先住民、黒人、アジア系、ラテン系、中東系、非キリスト教徒と団結し、白人エリートやそれに類する層からの抑圧的な権力構造に対抗しようとする可能性を阻害します。
タンストール氏は、結果として、近代主義プロジェクトにおいて想像されるデザインが、これらの白人至上主義文化の価値観を世界中で具現化する方法として利用されてきたと結論づけています。
タンストール氏は、デザイン分野における潜在的なバイアスを指摘する重要な著作をいくつか紹介しています。
先にも述べた『Desgin Justice』や、ピアノのキーボードやスマートフォンの大きさ、ポケットのない女性服、高い声の周波数を拾わない音声認識ソフトなどによる健康と安全への影響を指摘した『存在しない女たち:男性優位の世界にひそむ見せかけのファクトを暴く』(キャロライン・クリアド゠ペレス、2020年)、LGBTQ運動の中で象徴的に扱われてきたデザイン、シンボル、グラフィクアートに焦点を当てて掘り下げる『Queer X Design: 50 Years of Signs, Symbols, Banners, Logos, and Graphic Art of LGBTQ』(Andy Campbell, 2019)などが紹介されています。これらの著作は、これまでのデザイン史で見落とされてきた側面を、交差性(インターセクショナリティ)の視点も含めて明らかにしています。この取り組みを通じて、デザイン史の根底にある白人至上主義の価値観を変革することが求められています。
タンストール氏自身も、デザインの実習において新たなアプローチを実践しています:
「尊重(Respect)」「知る(Know)」「配慮(Care)」「共有(Share)」の原則を導入
先住民の知識を学ぶ
バウハウスの原則と照らし合わせる
近代主義的デザインプロジェクトのユートピア的な価値観をシフトさせる
この実践では、普遍的な人類の概念に適合するために自らのアイデンティティを放棄することは求めません。代わりに、学生が自己のアイデンティティと場所とのつながりを探求し、先住民と西洋の美学的実践を比較・対話することを通じて学びを深めます。これは現代的な「和解」の実践でもあり、特に先住民の視点や原則を重視しています。
4章⇒多様性、公平性、包摂性を超えて償う
第4章では、脱植民地化デザインの実践に向けて、前章で示された償いの方法についてタンストール氏自身の成果が紹介されます。
その代表例として、黒人教員のクラスター採用が挙げられます。クラスター採用とは、個人ではなく集団として候補者を選出する方法です。実際に、オンタリオ州立芸術大学(OCAD University)は2020年にデザイン学部で5名の黒人教員を任命しています。
しかし、こうした雇用の仕組みは重要である一方で、DE&I(多様性、公平性、包摂性)として位置付けることは適切ではないと注意喚起しています。脱植民地化デザインのプロセスとしては、あくまでも先住民を第一に考えた採用活動であることが強調されています。
また、「スーパー・トークン」を求めることにも注意が必要だとしています。スーパートークンとは、「周縁化された集団の出身者で、非常に優れた才能を持つ人物」を指します。組織がその才能を得るために、通常なら持つかもしれない偏見や抵抗感を乗り越えて採用や登用をする傾向がある人物のことです。(p.77)
バラク・オバマ元大統領や著者のタンストール自身もその例だと認めています。このような人物が「標準」として扱われると、そうでない人々の採用や昇進が阻まれる危険性があります。ただし、こうしたスーパートークンの人物でも、自身の特権を活かして他者を排除するようなシステムの解体を望み、その地位を譲る意思があれば、貴重な味方になり得ます。
もう一つの懸念点は、多様な人々を受け入れても、支配的な文化に同化させられるケースがあることです。女性のジェンダー平等に関する研究によると、会社の意思決定を変えるためには、少なくとも指導的地位の30%以上を女性が占める必要があるとされています。この課題を解決するためにも、クラスター採用を行い、一人ではなく少なくとも3人の雇用が求められます。
こうした一連の活動が表面的なインクルージョンや、見せかけのアライ表明にならないようにすることが重要です。そのためには、多様性や公平性以上の償いの姿勢を持ち、実際に人を雇用したり、資金を調達して提供したり、向き合って学び続けることが、脱植民地化デザインにとって不可欠だとしています。
5章⇒既存リソースの優先順位の再考
第5章では、脱植民地化デザインのために予算配分の見直しが必要だと主張されています。これは、先住民の土地や労働力を奪ってきた過去の行為を、家賃の支払いに例えて説明しています。つまり、これまでの搾取に対する借りを返すことを象徴的に示しています。先住民の教員を採用するだけでなく、脱植民地化デザインに関する授業に適切な予算をつけるために、積極的な資金調達が具体的な実践として求められています。
これは一見簡単に見えますが、これまで先住民や黒人、有色人種を排除してきた組織にとって、自らが得ていた予算や時間、労働力を譲り渡すことを意味するため、容易ではありません。これまで当然としてきた制度や仕組みのうち、何を諦められるかを考え、それらを手放すことから始める必要があります。
第4章と第5章を通じて、脱植民地化デザインにコミットするための具体的なアクションの事例が示されるという構成になっています。
・・・
ここまで『Decolonizing Design: A Cultural Justice Guidebook』の内容を紹介してきましたが、筆者自身は脱植民地化の専門ではないため、知識不足のせいで解釈や翻訳に誤りがある可能性があることをご了承ください。
この記事を読むと、デザインの文脈において、文化の盗用が頻繁に問題視されることを思い出す人もいるでしょう。もし先住民のデザインを無許可で使用するのであれば、それは二重の意味で問題があります。
まず、許可を得る必要がない、あるいは無報酬で利用できるという考え方自体が、まさに植民地主義的な行為です。これは、先住民の文化や知的財産に対する尊重の欠如を示しています。
さらに、「誰に許可を取ればいいのか?」「支払いは誰にすべきか?」といった態度は、先住民の存在自体を無視するという不可視化の問題を孕んでいます。このような姿勢は、先住民コミュニティが現代社会に存在し、自らの文化遺産に対する権利を持っているという事実を軽視しています。
デザイナーや企業は、先住民のデザインや象徴を使用する必要があるのであれば、その出所を慎重に考慮し、適切な許可と報酬の提供を行う責任があります。
この書籍で引用されたタックとヤンの論文「脱植民地化はメタファーではない」については、より慎重に検討する必要があります。北海道大学アイヌ・先住民研究センターの石原真衣准教授の最近の論文に詳しく述べられていますが、特に注目すべき点は「脱植民地化は、特に先住民の土地と生命の返還を要求する。脱植民地化は、社会正義の代名詞ではない。」という主張です。
さらにタックとヤンは「無垢を装う行為、潔白化の試み(Moves to innocence)」という概念を用いて、入植者が自らの罪悪感や責任を回避しつつ、特権的な立場を維持しようとする方法を指摘しています。これには以下のような例が挙げられています:
入植者の先住民主義(Settler nativism)
遠い祖先に先住民がいると主張することで、入植者としての罪悪感を軽減しようとする
この主張は、実際の先住民のアイデンティティや主権を無視する傾向にある
入植者の養子縁組幻想(Settler adoption fantasies)
先住民の文化や知識を「採用」することで、自らを先住民化しようとする幻想
先住民の未来を閉ざし、入植者の未来を保証しようとする試みである
植民地的言い逃れ(Colonial equivocation)
さまざまな形の抑圧を「植民地化」として同一視し、入植者植民地主義の特殊性を曖昧にする
「我々はみな植民地化されている」という言説を用いて、入植者の責任を回避しようとする
心を解放すれば、他は後からついてくる(Free your mind and the rest will follow)
批判的意識の育成に焦点を当てることで、具体的な脱植民地化の行動を回避する
教育や意識改革だけでは不十分であることを指摘している
先住民を「危険」や「注釈」扱いにする(A(s)t(e)risk peoples)
先住民を「危険にさらされている」人々として描くことで、彼らの主権や力を無視する
統計やデータにおいて先住民を脚注や asterisk(アスタリスク)として扱い、その存在を周縁化する
再占拠とアーバン・ホームステディング(Re-occupation and urban homesteading)
都市部での「占拠」運動が、実際には先住民の土地の再占拠となっている現実を無視する
土地の「共有」や「再分配」の主張が、先住民の土地権を無視していることを指摘している
これらの指摘は、石原准教授が「良識的な知識人」の立場を批判することや、先住民の人々や文化を記号化し、思想的に消費して、現実を不可視化することの危険性を提唱することにも通じます。
私自身も、先住民の人々や文化、歴史を”研究”しようとする態度や、先住民を三人称で語ることによって、無意識のうちに対話の場から置き去りにする可能性や、その暴力性に自覚的になる必要性を改めて考えました。さらに、現在の日本国内において「和民族」「シスヘテロ男性」の立場にいることもより意識するようになりました。
このような前提に立った上で、まだ議論が十分でないデザインの文脈からみた脱植民地化の語りが増えることを期待して(増やすことを目指して)この記事を書きました。また、「脱植民地化はメタファーではない」という観点を正しく捉えるためにも、原典を読むべきだと考えました。
今では当たり前となった世界観をいかに問い直すか、どのように問い直す視点を持つか、そもそも問う人を増やすか、それをデザインの観点からいかに見るか、特に日本においてはアイヌ、沖縄、朝鮮に対する脱植民地化について、これからも学び、行動していきたいと思います。
メタファーではないという点に関して、書籍の著者タンストール氏は自身の授業やデザインコースの理念の中で「Respectful Design」という言葉も使用しています。これは脱植民地化デザインとの区別を意図している可能性があります。リスペクトフル・デザインは、あらゆる人々やモノ、環境を包摂し、さまざまな文化や知識を尊重し、共感や責任感を持って未来をデザインすること、などの言葉で説明されます。
脱植民地化デザインはデザインにおける植民地主義的な価値観の解体を目的とする一方、リスペクトフル・デザインは包摂性や文化的多様性の尊重、インクルージョンや共感、責任感を意識した実践を求めます。また、自然やコミュニティとの関係性の中で、デザインがもたらす負の影響を最小限に抑えることを目指します。両者は相互補完的な関係にあり、脱植民地化デザインを実現するアプローチとして、リスペクトフル・デザインの実践がなされるべきと言えるでしょう。
最後に、本記事では触れませんでしたが、重要な論点として以下の引用を紹介しておきます:
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最後までお読みいただきありがとうございました。
本記事は執筆時点での情報をもとに書いたため、最新情報であるとは限らないことをご承知ください。また、本記事の内容は私見によるものであり、必ずしも所属企業の立場や戦略、意見を代表するものではありません。
また、あくまで筆者による読書記録としてご理解ください。誤訳や解釈の誤りがある場合はコメントにてご教示ください。
なお、本記事の執筆および公開は著者本人に支持を得ております。
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原著のリンク↓↓↓
また、タンストール氏がしている以下の関連書では、ケーススタディなども多数扱っているようです。
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