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【娯楽の塵】酒の類

アルコール飲料用アルミニウム缶(ビール)
 
推定投棄日 1982年ある日

1982年
五百円硬貨誕生

 物々交換でまわる世界を夢見るのは馬鹿げていて愚かなことだろうか。綺麗事だと一笑に付されてしまうだろうか。人々の営みは生きるために必要な物を自給自足することに始まり、欲しい物を手にするための物々交換へと進んで行った。そして訪れたのが「見合わない」という不具合だ。欲しい物と自分の用意した物を交換できない。相手がそれを欲しがっていないからだ。そうなると皆が欲しがる物で安定した供給量のある物が一定した価値を有していると考えられ物々交換の仲介役となった。米や布などの物品貨幣、お金の概念の始まりである。物々交換は便利になった。以前より欲しい物が手に入るようになった。でももっと便利な方法は無いか。米も布も重くて遠くまで運ぶのに苦労する。中国から伝えられた小さくて軽くて不変性の高い銭貨は画期的な文化として日本に取り入れられ、紆余曲折ありながら通貨が誕生し、進歩、定着を遂げ現在に至る。

 この「見合わない」または「見合う」という判断の付け方が物々交換の肝であると思う。差し出された物にかけられた労働力や英知をどう測るのか。人と人の関係が遠いほど本質は薄くなる。互いを十分に知り合ってこそ気持ちの良い交換、心と心の交換へと繋がって行く。金銭的価値で値付けできない物々交換へと昇華して行く。もしこの現代で日本円の価値が無価値になり、自給自足と物々交換でのみ暮らす人々が増え続けたらどうなるだろう。混沌と混乱の後には誰が微笑んでいるだろう。

 想像する
突如私に五百円硬貨が与えられた。それで娯楽の塵をどうにかしろと。しばらく考えて私はその五百円を手に出発する。道で会う人に声をかける。コイントスをしませんか? 表が出たら私の話とあなたの話を交換しましょう。私のは娯楽の塵の話。あなたはあなたの何かの話。裏が出たら娯楽の塵の話を差し上げます。え、いらない? そうですか。私は歩く、また誰かに出会う。コイントスをしませんか?


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