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#虐待対策 の学び #子どもに優しい親権制

二宮先生の書籍から学んでいる。

今は、親権停止制度が追加された(2011年 民法834条の2)。

しかし、2007年当時は、親権喪失制度しかない。

何が問題だったか、解説されている。


・・・これまでの実例では、見過ごすことのできない苛酷な児童虐待など、例外的な場合にしか親権喪失は認められない。それはなぜだろうか。
 いずれの場合も、請求権者が親族に限られる。親族が近所に住むなどしていて事情を把握し、親権者から怨みをかう覚悟をし、さらに管理権や親権を喪失させた後の受け皿(後見人の選任)を用意して、初めて請求が可能になるので、ハードルが高い。また公益の代表者として、検察官も請求権者であるが、現状では、検察官が地域や児童福祉機関と連携していないことから、事態に即応して請求することができない。子ども自身、ある程度の年齢になれば、親権の行使が不適切だと分かるが、子には親権の喪失宣告の請求権がない。これらは現行法の不備であり、法改正があるまでは、これを補う解釈が求められる。

①申立権のある親族にとってハードルが高い。
②検察官も申立権者であるが、他機関との連携がないから実現しにくい。
③子ども自身が申立てできない。

ざっと、3つの不備があり、法改正が必要という。それまでは、子の意思を反映させて、親以外でも監護者指定によって監護者になる運用で対応することが勧められている。

・・・第三者を監護者に指定することができれば、次のような点で、有用性が高い。第一に、親権を喪失させるのではないことから、親権者にとって「制裁的」な受け止めをされにくい。関係者も申立てへの負担感が少なくて済む。第二に、親権者の立ち直りの状況に応じて、第三者の監護権を優先し、親権者の監護権を事実上停止する段階から、定期的な親子の交流など親権者の監護権の部分的行使を認める段階、さらには親権者と第三者が共同で監護する段階まで、柔軟に対応できる。第三に、児童福祉法上の措置として、子どもを養育している養護施設の長や里親・・・にも、監護権を保障することができ、施設あるいは里親家庭における養育の安定化を促進できる。

なかなか理想的だが、親権・監護権の分属という運用を現在の家裁実務では忌避されていく傾向もあって、「監護者」の扱いが後退していったのではないかと想像する。監護者指定の活用は理想的には実現していなかった。

一方で、法改正が実現した。

すでに、児童虐待対策としてつづったnoteでも言及している。

第834条
父又は母による虐待又は悪意の遺棄があるときその他父又は母による親権の行使が著しく困難又は不適当であることにより子の利益を著しく害するときは、家庭裁判所は、、その親族、未成年後見人、未成年後見監督人又は検察官の請求により、その父又は母について、親権喪失の審判をすることができる。ただし、二年以内にその原因が消滅する見込みがあるときは、この限りでない。

虐待又は悪意の遺棄という、親権喪失が相当な例について明示の上、親権喪失の申立権者にが含まれることとなった。

親権喪失という効果が重すぎることがかえって、アクションのハードルを上げているという指摘から、期間限定の制限にとどめる親権停止制度も創設された。

第834条の2
1 父又は母による親権の行使が困難又は不適当であることにより子の利益を害するときは、家庭裁判所は、子、その親族、未成年後見人、未成年後見監督人又は検察官の請求により、その父又は母について、親権停止の審判をすることができる。
2 家庭裁判所は、親権停止の審判をするときは、その原因が消滅するまでに要すると見込まれる期間、子の心身の状態及び生活の状況その他一切の事情を考慮して、二年を超えない範囲内で、親権を停止する期間を定める。

児相の権限強化、捜査機関との連携なども大きな声で要請され実現していった。

しかし、なぜか、児童虐待報道が止まらない。

ところで、子ども六法がベストセラーになっている。

親権喪失、親権停止制度にも触れられていて、子ども自身が申立てることができることも解説している。

実際、子どもが自ら裁判所に行って、申立書を記載してという全手続を自立して行うという意味では、「子ども自身が申立てることができる」ということのハードルはまだ高い。

でも、どんなに、親族以外の他人の大人が不適切だと判断して、裁判所に駆け寄っても門前払いされる親権制限手続きを、そういう大人に付き添ってもらいながら子ども自身が申立てるということは現実には可能だ。

幼い命はSOSを声にできないまま、孤立して命を落としていく。それでも、ある程度成長し、SOSを訴えることができる年齢まで達する子が、実際、SOSを学校に向けて届けたケースも報道にある。

そのSOSをキャッチした大人が、適切に民法を知り、制度を活用できていればと悔やまれる。

知らないということは無力であり、命を落とす。

それは、平和の学習を通じてもよくわかる。

知る、学ぶ、という努力が、命を救い得るのだと思う。

ただ知っているだけではできることが限られるかもしれない。微力だ。

でも、微力が集まるだけでも、できることは必ずある。

子どもを守る小さな力を芽吹かせること、それが親心のなせる力だ。

子どもに優しい未来を切り拓いていこう。

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