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#養育費 の問題 #共同親権弁護士 の想像

日本における子どもの貧困問題を考えていく。

物質的にはユタカなはずなのに、自己肯定感の低い子が多いという指摘があり、子どもの自殺率が急増しているともいう。文化的な脆弱さについても申告に向き合うべきではあるが、文字通りの「貧困」も申告だ。

子どもの貧困の背景には、特に、ひとり親家庭の貧困があり、そして、ひとり親家庭が十分に養育費を受給されていない、養育費未払い問題が語られる。

もちろん、貧困の背景には養育費の問題に限定されないし、児童扶養手当の受給があったとしても、相対的に困窮していく実態がある。

諸々の課題はあえておきつつ、養育費問題について、実態を分析したい。

養育費を払わない「人格」を非難するだけでは解決に至らないからだ。構造上の問題を追及していく。

1.どうしたら養育費が払われるか?

養育費が支払われているのはたったの2割、養育費未払い問題が深刻だ、という語られ方が見られる。

一方で、共同親権弁護士として、幼いお子さんがいるケースを多く扱う中で、養育費未払いという現象は、極まれであり、体感として、養育費未払い問題を感じない。もちろん、「払えない」事情に陥り、払っていないケースも見てきたが、払える収入がある場合には、だいたい払われていく。給与所得者になると、強制執行が比較的容易に実現可能なため、不履行もしにくい。自ずと、養育費が未払いにならない。

その秘訣は、まず、取り決めがあること。前提として、安定した収入があることもある。そして、何より、子どもに関心があること。たとえ別居をしていても、子どもの成長を見守っていきたい親は、養育費を支払っていく。特別にかかる費用の用意についても、応じる意向を示す場合にだってある。中には、極力最低限にしか払いたくないというケースもあるものの、安定収入がある場合には支払いを逃れられないので、たとえ渋々の気持ちでも、払われることになる。

データとしても、調停成立後の1年後の集計によれば、実は、7割が支払っているという例がある。

民法766条の法改正で、養育費はじめ子の監護に関する処分について協議することが明文で要請されるようになったため、調停を利用した場合の離婚においては、当然に、取り決めが行われ、また、裁判所での取り決めでもあるからか、その取り決めが守られていくのである。

すなわち、養育費が払われるためには、まず、収入があり、そして、取り決めをする、取り決めを守ることが大切になる。

ひとり親家庭になって貧困というより、貧困家庭だったから離婚を決意したということも実は多い。結婚のメリットがなく、働いても働いてもギャンブルやアルコールに浪費されるような絵に描いたような理不尽な目に遭っているケースがもちろんある。そういうケースでは、「離婚」そのものに価値があるため、養育費の「取り決め」がなくても、離婚した方がいい。

離婚によって、各種手当の受給を得た方が手っ取り早く、金銭問題を解決しうるのだ。もちろん、これは、最低レベルを脱出するという話でしかない。

相変わらず、相対的な貧困状態に置かれる場合もあるが、それでも、収入のない相手と取り決めをしたところで、養育費が払われるということはないのである。司法は、無資力の義務者には敵わない

2.養育費の取り決めが破られるとき

収入のある相手から養育費の支払いを得るには、取り決めをすることが大切というごく当たり前のことになるが、この取り決めも守られていかなければ、やはり、未払い問題のリスクが急増する。

強制執行の度合いが違うという指摘はあるが、養育費の支払いの取り決めが守られることを願うには、たとえば、こちらの面会交流に協力していく取り決めについても守っていくことが期待されるだろう。お互いの信頼関係が破壊されては、モラルハザードを引き起こし、会わせない・払わない、となれば、子どもの養育環境は奈落の底へと突き落とされて行ってしまう。

誠実な間柄であることが期待される。

そういう関係が、子が成熟するまで続くのが理想だ。長いと10年以上ということもありうる。だが、この子育て期間が、父母の間柄が全く変わらないということを果たして期待できるだろうか。

成年間近の未成年者がいる場合は、変更なく、離婚時の取り決め通り守られていくかもしれない。

だが、未就学の乳幼児を抱えた離婚では、父母もそれぞれ30代だったり若いこともあり、お互いの再婚ということが大いにありうる。

再婚が絡むことにより、収入がないケースに匹敵するほど、司法が無力となる現象が見られるのである。

3.同居親が再婚した場合

同居親が再婚した場合、同時に養子縁組が成立すると、子を扶養する第一の義務者が、別居親から、養親に替わる。

養子縁組は、養育費減額を肯定する要素である。

再婚家庭の形成により、経済的な安定を獲得することもあるから、養育費が減額されても困らないこともあるから、養育費減額を受け入れることもありうるだろう。しかし、とてもリスクが高い。

日本における代諾養子縁組の容易さについては、非常に問題であるという指摘があり、虐待の温床でもある。本来、未成年者が養子となるには、その子の福祉のために家庭裁判所の許可が要求されるところ、再婚に伴う代諾養子縁組においてはこの許可が不要とされる。婚姻届と合わせて(同時でなくてもよいが、同時にすることが多いだろう。親子の別姓を招くからである。)縁組届を提出する「だけ」で養子縁組が成立し、それまでの生活実態にかかわらず、養親は、懲戒権を含む親権を得る(共同親権)。こうなると、親権者変更手続が制約され、親権停止・喪失以外、「強い親権」によって、守られていく。子の単独親権者と夫婦になるというだけで、一体、子の福祉をどこまで配慮できるのか、意思と能力の存在を問われることなく、親権者となって、養育に関わってしまうのだ。血縁関係もなく、親子としての自然な情愛が芽生えるとも限らず、幼子の成長・発達レベルへの理解等養育に関する専門的知識やスキルを身に着けたり、学ぶ機会があるとも保障されない他人が、簡単に「親」になって、「しつけ」と称した体罰に走ってしまう仕組みが潜んでいる。もちろん、再婚家庭において真に愛情に包まれ、一生懸命子育てをしているケースだって当然多く存在するはずだが、リスクのあるケースを排斥できるセーフティネットがない。円満に努力できるケースでは、代諾養子縁組において裁判所の許可等の一定の審査を必要とする制度となったとしても、真摯に審査に向き合い、クリアしていくことだろう。そうした過度な制約にもならない適切なチェック機能が、日本の単独親権制においては欠落している。

児童虐待国として指摘され、改善を国連から勧告されている実情としては、そういう構造上の問題があるのである。

虐待リスクを含む再婚養子縁組があまりにも簡単にできると、養育費が減額されてしまうことで、実の別居親との関係も希薄になりかねない。これは、子どもにとっては、ふたりしかない親の一人との関係性を失いかねず、それ自体がリスクともいえる。

養子縁組のリスクはまだ尽きない。

体感だが、再婚後の離婚というの実は多い。

離婚するときは、連動して離縁して、養子縁組が解消されてしまう。

そうすると、扶養義務の第一人者が、実の別居親に戻ることになる。だが、上記経緯を経て、一度関係が希薄になっておきながら、同居親自身の離婚と離縁という事情を理由に改めて養育費を請求するということが、法律上の理屈はともかく、実態としてどこまで可能だろうか。相手の行方がわからなくなることもありうる。

まして、子が複数になって、養育費の請求先が複数となった場合に、子育てとまた経済的自立をしていく暮らしの中で、養育費請求のために、司法手続きを頼り、そのために、弁護士に相談し、また高額にもなりかねない報酬費用も支払っていくことができる余裕がどれほどあろうか。

目の前に、とりあえずの児童扶養手当などでやり過ごしてしまうということもありがちだろう。手当がかえって、貧困を放置させかねないが、まさにどん詰まりな事態にはまるのが貧困問題だろう。

4.別居親が再婚した場合

同居親が、一生懸命ひとり親家庭生活を奮闘している場合でも、別居親が再婚することもありうる。そして、新しく子どもが生まれていくこともありうる。

そうなると、被扶養者の増加に伴い、養育費請求をする対象の子への扶養範囲が縮減してしまうことで、養育費が減額されることを司法は許している。

ひとり親家庭の暮らしに全く関係のない、別居親の事情によって、ひとり親家庭が脅かされていくことになってしまうのである。こうした状況に対して司法は非力だ。

民法学者の書籍によって、行政による福祉サービスにて対応せざるを得ない、という指摘にとどまる。

子どもが、別居親に扶養されること、交流することを求めていたとしても、別居親の気まぐれによって、容易に脅かされる。ひとり親家庭の子どもの暮らしはそれだけ不安定ということだ。

5.同居親の収入が上がった場合

別居親の収入が下がれば、冒頭の、収入のないケースに事後的に該当することで、やはり、養育費が払われなくなる。この点は、別居親に対しても就労機会の提供、安定就労への支援、心身の健康のサポートなどが充実することが期待される。別居親も「親」として尊重していかなければ、結局、損失を被るのは「子ども」だ。

より、不合理に感じられる実態としては、同居親の収入が上がるケースではないか。

もちろん、貧困から根本的に抜け出すためには、同居親自身が経済的自立を果たし、確実な収入を獲得し続けることが重要であるし、就労支援、スキル向上、そして「世帯主」という自覚をもって努力を続けていく意識等が大切になっていく。

だが、そうした努力がむなしく、「養育費減額事由」になるという真実を知ったとき、果たしてモチベーションを維持できるだろうか。

父母双方の年収のバランスから、格差を解消する意味でしか、「養育費」は算定されない。子どもにかかる実費を分担するというアプローチでは算出されないのである。

だから、養育費減額請求を受けた相手方となった場合の法律相談で弁護士は回答する。

対策は、年収を下げること、と。


養育費だけに目をやれば、そうなのかもしれない。

ただ、そのために、年収を上げないというのは、経済的自立を阻むことを意味し、結局、貧困から脱しえない。本末転倒である。


6.養育費は子どもへの愛情


結局、子どもの貧困を克服するという形を突き詰めると、父母双方が経済的自立を果たすことになると、「養育費」そのものの金額は小さくなることが考えられる。子どものお小遣い程度にしかならないこともあるだろう。

だが、実は、それこそがまさに、経済格差を克服した状態になる。

父母がお互いに貧困でも裕福でも、格差がなければ、金額は小さくなる。

そういう状態を受け入れてこそ、貧困対策だ。

しかし、単独親権という言葉は、「ひとり親家庭」と読み替え、非婚家庭は子育てを抱え込むもの、というイメージを社会に植え付ける。育児が金銭で補完できると言って納得できるのだろうか?養育費によって、育児の分担になっていると仮定されたとしも、それは子どもが成熟するまでの費用の分担にすぎず、育児の実働を担うために、就労の機会が制約され、キャリア形成が難しくなった場合の親自身の自立が阻まれる。老人の貧困が待っていることになる。

ひとり親家庭の貧困を防ぐには、両親双方が貧困である場合はともかく、親権者の指定に際して経済力に重点を置いて考慮することにあるという指摘もある。両親がそれぞれ、親としての適格性が満たされているのであれば、経済力を決め手にしていけば、子どもの貧困を防ぎうる。残るのは、経済的自立を図らなければならない親自身の問題になっていく。そうすると、父母間に経済格差がある場合、経済力のある方が親権者となり子どもにかかる費用を主に負担しているのであれば、その負担を適切に分担するための養育費は、やはり、子どもへの愛情を示す程度になっていく。


もちろん、経済力があるというだけで、子どもを身体的にも精神的にも、また、過度に甘やかすなどといった不適切な親にまで、単独親権を与えよという話ではない。

そうだとしても、子どもの貧困を防ぐために、親としての適格性を満たす経済力のある親の方が親権者となるという途が選択肢として念頭にあれば、養育費の金額の増額にこだわらなくても、子どもを貧困から救うことが可能である。

養育費は、子どもへの愛情を示すお小遣いという意識が、子の養育環境を整えるために役立つのだ。


7.親はふたり


ひいては、「ひとり親」という言葉自体が、実は、子どもの貧困を造る。

死別ではない限り、親は二人、健在しているのであれば、父母双方が、親らしく子どもと関わり続けることが、貧困対策に貢献し、虐待防止にもなる。

民法は、親権の有無にかかわらず、親子が一生の関係であることを示しているが、単独親権制から生まれた「ひとり親家庭」という言葉を使う社会において、民法の理解が正しく浸透しているといえるだろうか。

民法が、子の福祉を守るために、伝統的にも、あるいは、子どもの権利条約を考慮して改正された民法766条の趣旨からしても、手厚いセーフティネットを用意していることを正しく理解し、正しく活用するというだけでも、十分に、子の貧困や虐待に向けて対策できる余地がありうる。しかし、長い時間、それがうまく機能してこなかったのが現実である。

だからこそ、「親はふたり」を社会や国民全般に一義的に理解が徹底されることが必要になる。


それがまさに、共同親権という宣言なのである。

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