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法制審議会家族法制部会第11回議事録3~戒能委員・佐野幹事・落合委員・赤石委員

子どもの日
謎制度の闇が暴かれていく


議事録を読み進めていきましょうー

○戒能委員 

ありがとうございます。戒能です。少し抽象的なことでもよろしいでしょうか。事前の御説明などを受けて、それから、今までの議論をずっと見てきて、1947年に現行の家族法が改正されておりますけれども、多くの点で概念が明確ではない、それから、規定がそもそもないというようなことが極めて多いということに改めて気付かされております。それがどういう要因によってもたらされているのかということも、よく考えていく必要があると思います。家族法が第二次世界大戦後、改正された時点からもう75年たっているわけですね、その間に、大きな改正がなされようとしたりしたけれどもかなわなかったとか、改正が幾度かあるわけなのですが、もちろんその背景には家族の変容、大きな変容があります。その変容をどう捉えるか、その中で、今回どういう議論をして家族法改正というゴールにどういうふうに行くのかということを、深く考えたいと思っています。
 もうこれは家族法の研究者の方々には言うまでもないことなのですけれども、47年の家族法改正のときは、やはり戦前の家制度の否定ということが非常に大きな要素としてありました。ですから、家族という概念自体が出てこないというような集団主義的な思考を排除したということがありますが、同時に憲法の理念ですよね、13条とか24条、個人の尊厳と男女平等というような、そういう個人主義的な考えを尊重して組み立てていったと思います。規定がないというのは、これは利谷信義先生がおっしゃっているように、白紙条項が大きな役割を果たしたということがあります。非常に柔軟に当事者間の協議に任せると、それはもちろん家裁の後見的機能を前提としておりますけれども、そこの意味というのをもう一度考えていく必要があるだろうと思っているのです。
 それで、二つ側面を考えたのですが、一つは、白紙条項というのは柔軟性ということがあって、家族の変容にも改正しなくても対応できるという機能を果たしたのですが、同時にそこに個人の自律性の尊重というのが、プラスの面として考えれば、あるのではないかということなのです。それが十分機能したかというのは別の問題でありますけれども、やはり家族の自律性というものをどう尊重していくか。ですから、抜けている規定など、今の段階の議論は多分、そういうものを全部出してみて、そこから出発して考えるのであって、それが全て規定されていくわけではないということは重々理解しておりますけれども、やはり家族の自律性、あるいは個人の自律性ですよね、離婚を選ぶと、離婚してシングルマザーあるいはシングルファーザーとして子育てを行っていくということを選ぶということの尊重という側面がある。それをプラスとすれば、マイナスの側面としては、これも言うまでもないことなのですが、力関係の差がそこでは左右していくということ、対等な関係の協議にならないということがあるということなのです。ですから、その辺を注意して見ていかないと、そのマイナスの面をどう克服して、新しい規定や、考え方を設計していくかということが求められているのではないかと思うわけです。
 これは私の個人的な考え方なのですけれども、対等性というものは主に、雇用の関係でもそうですし、教育の関係でもそうなのですけれども、社会における対等性が整備されていかなければ、それは家族の関係における対等性も作られていかないけれども、少なくとも非対等性を作らないというような、あるいは防ぐというような家族法規範を作っていくということが大事ではないのかと思っております。そういう考え方の下で、現実の社会にある問題をどう解決していくかということが目的でありますから、オートノミーの問題も意識しながら、そういう力関係、家父長制みたいなものですよね、それを再生産しないような、そういう規範を目指していくべきだと考えているということを一言申し上げました。
 以上でございます。ありがとうございました。
○大村部会長 ありがとうございます。1947年の家族法大改正から約70年たっているですが、新たな観点から立法を見直す必要があるのではないかということで、その際の基本的な考え方について御意見を頂戴いたしました。ありがとうございます。

 

○佐野幹事 

佐野です。棚村先生が先ほどおっしゃったことともほとんどかぶってしまうのですが、すみません、言わせていただきます。
 実はこの第三者への監護者指定、非常に実務的には必要性が高く、これがないことで、なかなか実親からの引渡し請求を阻止できないといった事態が生じています。ですので、こういう形で規律、明確化するということには非常に賛成しております。③にありますように濫用的な申立ての可能性も否定できないというところは②、その範囲を限定する規律により対応すればよいのではないかと思います。ただ、この範囲については、子供の成長発達に資するところが目的ですので、子供から見た関係性の重要性をきちんと捕捉できるような形で規律ができないかと思っております。
 もっとも④については、唐突に出てきた感があります。前回、前々回ですか、養子縁組をしない場合の連れ子養子と実親の配偶者の関係がどうなるのかという問題意識から出てきたのだと思うのですけれども、ここについてはまだ考えがまとまっていないのですが、ただ、実親の配偶者が親として子供に対して頑張ってしまって、それで継父母と子供の関係が悪くなって虐待が生じているという事案も児童福祉の現場ではよくあるパターンです。そういう意味では、子の監護者として指定する、こうやって義務を課すということがプラスに働くのか、マイナスに働くのか、これによって一体何を達成しようとしているのか、ということはよく考えなければいけないのかなという気がいたしております。
○大村部会長 ありがとうございました。これまでに出ている基本的な方向、第2の方向で検討する、ただ、範囲と濫用の可能性については留意をする必要があるという考え方に賛成された上で、その範囲の画し方についての御意見と、それから、6ページの課題の中に出ている④について、何を目指しているものなのかは慎重に検討をする必要があるという御意見を頂戴いたしました。ありがとうございます。

○落合委員 

先ほど大村先生のお声がよく聞こえなかったんですけれども、私だけですかね。
○大村部会長 こちらの声はどうですか。
○赤石委員 大村部会長の声が途切れて、おまとめのところがよく聞こえなかったので、少し前に戻って御発言いただけますと幸いです。
○大村部会長 分かりました。赤石委員、ありがとうございます。それでは、少し戻るというか、佐野感じから御発言を頂きましたけれども、御意見は、これまでに出ている大きな方向性には賛成するということで、第2の問題について積極的に検討する、ただし範囲の問題と濫用に対する対応を考える必要があるのではないかということを踏まえた上で、一つは範囲の画し方についての御意見を頂きました。それから、もう一つは、6ページの④の提案、養子縁組が関わる場合の取扱いについては、この規律で何を目的にするのかということを考慮しつつ慎重に検討する必要があるのではないか、こういう御意見だったとまとめさせていただきました。

 

○落合委員

 落合です。私はこの祖父母のことと養父母のことと併せて、割と広い視野から、家族社会学者にはどう見えるかというような話をさせていただきたいと思います。
 まず出発点は、この11ページにあります一組の父母が子を養育するということを想定している法律の仕組みが狭いということだと思うのです。これが非常に核家族的でして、非常に狭いと。先ほど棚村先生から、この頃は共働きということもあるので、祖父母がもっと関わるようになってきているというようなお話があったのですけれども、私の認識は少し違いまして、祖父母の関わりは今も大きいですけれども、昔はもっと大きかったと思うのです。祖父母だけではなくて、もっといろいろな多様な親族が関わっていたと。ですから、戦前ですとか戦後しばらくの方が、例えば、祖父母の下に預けられて、預けっ放して育てられている人というのがいたと思います。ですから、今新しく生まれてきている状態なのではなくて、元々親族というのは子供の養育にいろいろな角度から関わっていたのだけれども、法律ではそのうちの実の親二人だけというのが切り取られてしまったというのが社会学的な認識だと思うのです。
 日本の歴史だけではなくて、国際的に見ましても、例えばアジアの国で調査などをしますと、隔代家族というものがありまして、それは中抜けなのです。親世代がいなくて、例えば出稼ぎに出ているとかで、おじいちゃん、おばあちゃんが孫と同居していつも育てている、親は年に2回ぐらい顔を見に来るとか、そんなようなものもあるのです。これは別に異常なこととは思われていなくて、フィリピンでもタイでも中国でも、異常なことではなくて、まああることなのです。ですから、そういう様々な育て方をしている社会があるのに、一組の父母が子供を育てるのが当たり前だという法律は非常に狭いと思います。
 今、ヨーロッパやアメリカでも親族の復権ということが言われています。養子に出すような場合も、養父母だけがいればいいのではないと、子供にとってはやはり自分がどういうつながりの中にいるかということがアイデンティティということで重要なので、大きい親族のつながりの中にその子供を入れていく、それが親族里親の推奨などにもなっていくのですけれども、そういう親だけではない親族の広がりが子供の養育には非常に重要だというのは、欧米圏でも今は見直されているところだと思います。ですから、広めに、監護者にしても親権を持つ人にしても、親権の定義にもよりますけれども、広めにしていくということは一般的によい方向だろうと私は思っています。
 ただしなのですけれども、日本の現実で何が起きているかといいますと、この親族によるサポートというのが細ってきているというのが現実なのだろうと思います。例えば、親が子の面倒を見られなくなったときにおじさん、おばさんなどが引き取ってくれる可能性が下がっているということがあります。そういう中で祖父母の役割を大きくすると、心配なこととしては、祖父母が若い世代に介入する離婚というようなこともありますよね。ですから、両方の祖父母が自分の娘なり息子なりを囲い込んでしまって、それで子供のパートナーから親権を取り上げてしまうというか、関われなくしてしまうような形での祖父母の介入というものも十分に考えられます。ですから、濫用といいますか、よかれと思っているのでしょうが、そういう懸念もありますので、その辺りを踏まえてなのですけれども、ただ一般論としては多くの人が関わっていくようにという方向に緩めていくのが正しいだろうと思います。ただし、それが親族だけではなくて、国家の責任もありますので、親族だけで子供の面倒を見ろというのもまた少し違うと思うので、親族とそれ以外、公的な責任ですかね、そのようなものを広く取れるように書き込んでいくのが望ましいと思っております。
○大村部会長 ありがとうございます。ここまで第2と第3のうちの第2を中心に皆様から御意見を頂きましたけれども、落合委員の方からは第2、第3を併せた形で、親族の養育関与を広く認めるという方向で考えていくべきだという御意見を頂戴いたしました。その上で、ただ、祖父母の介入等が弊害をもたらす場合があるので、それについては対応する必要があるだろうということと、国家の責任がそれでなくなるわけではないので、その点についても留意する必要があるという御指摘を頂いたと理解をいたしました。ありがとうございます。

 

○赤石委員 

 表示名が変えられなかったので、Jになっていますけれども、よろしくお願いします。
 父母以外の第三者が子の監護者になるとか、面会交流を求めるというようなことについてなのですけれども、監護者になる、それから面会交流を求める、あるいはそういった法律的な要素ではなく、子を育てるときにいろいろの大人が関わるといったような発想が何か混在して議論されているように思います。私は子供を育てるのを複数の大人、親以外の大人が関わるということは基本的にはよいことだと思っておりますが、法的にどのようにするのかというのは少し別の話題ではないか、別の議論ではないかと思っております。
 まず、子の監護者が増えていくといったことが本当に子の福祉に資するのかという、いろいろな義務、責任が生じている人が増えていくことによって、船頭多くして混乱を生んでしまう、子の本当にメインで責任を負っている人が子の監護をスムーズにやっていけるのだろうかといったことを少し疑問に思いました。
 私ども会員の方にお聞きしていると、祖父母の関わりですね、離婚した後、元夫さん、子供の父親とは面会はしているけれども余り親しい関係ではないが、元配偶者の両親はよく子供の面倒を見てくれるので、いろいろな出張とかそういうときに祖父母に預けていますみたいな、そういうお願いをしている方たちはいらっしゃいます。今までの関係を継続して、ちゃっかりなのかもしれませんけれども、そういった関係の中で仕事を継続するといった方がいらっしゃいますが、それはそれでございまして、その方たちが監護者になるとか面会交流権を主張するとかいうのは、少し別の話かなと思います。そういった監護者になることによって不当な介入を認めてしまうということは、少し危惧するところです。先ほど、おいとことさんとの交流とかありましたが、そういうのも積極的にやれるような方策はもちろんあってよろしいかと思います。ですので、基本的にはここで、第3の方もそうなのですけれども、議論されている方向には消極的です。
 また、6ページの③、濫用的な申立てということが議論されておりますが、子の養育に関するいろいろな法的なステージで濫用的な申立てというのはいろいろ議論がされていますので、全てのステージで濫用的な申立てについては制限をすべきであると私は思います。ここに限らないと思っております。
 6ページの④については、同性愛カップルで親権者の配偶者になれないパートナーが監護者指定を活用するということがあるのであれば、場合として分かるのですけれども、それは同性婚を認める方向でやっていくべきではないかと思っております。場合がよく分からなかったので、そのように議論しておきます。
 子育てに関わる大人が増えていく、一組の夫婦だけが子供を育てるというのではないですよねという議論は、もちろん私も正しい方向だと思うのですけれども、であれば、離婚後の子供の養育に関して議論するのではなく、婚姻内の法律婚夫婦の間でも子の監護者が増えるとか、そういった議論が出てくる余地があると思いますけれども、ここでだけ出てくるというのも少し何か不思議な感じがいたしました。
 第3については、また議論させていただきたいと思いますので、一応ここまでとさせていただきます。
○大村部会長 ありがとうございます。赤石委員の基本的なお考えは、ここで扱われている問題、監護や面会交流の問題について、法的な側面と事実上の問題としての側面を区別して考える必要がある、前者に限って言った場合には、義務や責任を多くの人に課すことには消極的な意見を持っているということだったかと思います。その上で、濫用的な申立て等については、これは一般論としての対応が必要である、それから、④の部分との関連で、どういう場合を想定しているのかという議論の範囲の問題についての御指摘があったと理解いたしました。ありがとうございます。

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