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新しい離婚訴訟のあり方~共同養育学校

なんだか離婚訴訟のラッシュである

離婚訴訟といえば、かつては、高葛藤の印象そのもの、内実は犬も喰わぬというとおりのひどい泥沼

かつては愛し合ってこどもまで授かった相手をお互いに非難・罵っていく、地獄絵図

そこに子どもがいないだろうけども、なんとなく伝わって、生きづらいものを背負いかねない

この態様を変えていく必要があると考え、開拓してきた

なんだか、いろいろと動きがある

裁判官も研修を受ける?!

民法766条の法改正があり、施行されて10年になろうとする

離婚後の子の監護に関する事項の定め等)

第766条

  1. 父母が協議上の離婚をするときは、子の監護をすべき者、父又は母と子との面会及びその他の交流、子の監護に要する費用の分担その他の子の監護について必要な事項は、その協議で定める。この場合においては、子の利益を最も優先して考慮しなければならない

  2. 前項の協議が調わないとき、又は協議をすることができないときは、w:家庭裁判所が、同項の事項を定める。

  3. 家庭裁判所は、必要があると認めるときは、前二項の規定による定めを変更し、その他子の監護について相当な処分を命ずることができる。

  4. 前三項の規定によっては、監護の範囲外では、父母の権利義務に変更を生じない。


で、これは、協議離婚の規定だが、裁判離婚にも準用される



(協議上の離婚の規定の準用

第771条第766条から第769条までの規定は、裁判上の離婚について準用する。

「準用」と明記されているが、これまでは、離婚訴訟では面会交流を扱わないというのが定着していた

面会交流の話題をしようにも、「調停に行ってくださーい」と平然にいう裁判官さえいた

一方で、よくある面会交流調停は、申し立てることがある多くは、実は、まだ離婚が成立していない、別居中という事実状態で起こっている

離婚していない、まだ夫婦関係のある父母の面会交流に関する規律を民法は未だに用意していないが、法改正前の平成12年5月1日の最高裁の判断において、民法766条の類推適用を宣言している

参考に、原審をみると

2 離婚前の面接交渉
父母が離婚には至らないものの、その婚姻関係が破綻して別居状態にあり、子と同居してこれを監護している親権者と他の親権者との間で子の面接交渉につき協議が調わないときには、民法766条、家事審判法9条1項乙類4号を類推適用して、面接交渉の具体的内容を審判により定めることができると解される。
抗告人は、子に対する面接交渉権は離婚により親権を喪失した親のみがもつものであり、親権者たる親には観念できないものであると主張するところ、婚姻中の父母が同居し、共同して親権を行使しているときには、抗告人主張のとおり、親の面接交渉権を問題とすべき必要性は生じない。しかしながら、父母の婚姻関係が破綻し、別居状態が続き、子を監護している親権者とそうでない親権者との間で面接交渉についての協議が調わないときには、むしろ、子の福祉のために、子と同居していない親権者による無制限な面接交渉を制約する趣旨において(本来、親権者たる親は、原則として子との面接交渉を制限されない。)、面接交渉の程度、方法等を定める必要があるといえる

平成11年10月26日/福岡高等裁判所/第3民事部/決定/平成11年(ラ)199号


ん?

本来、親権者たる親は、原則として子との面接交渉を制限されない。


えー!

まあいい(ドキドキ)

で、最高裁で

父母の婚姻中は、父母が共同して親権を行い、親権者は、子の監護及び教育をする権利を有し、義務を負うものであり(民法八一八条三項、八二〇条)、婚姻関係が破綻して父母が別居状態にある場合であっても、子と同居していない親が子と面接交渉することは、子の監護の一内容であるということができる。そして、別居状態にある父母の間で右面接交渉につき協議が調わないとき、又は協議をすることができないときは、家庭裁判所は、民法七六六条を類推適用し、家事審判法九条一項乙類四号により、右面接交渉について相当な処分を命ずることができると解するのが相当である

平成12年5月1日/最高裁判所第一小法廷/決定/平成12年(許)5号


なんていうか・・・改めて勉強してみたら、これって、結局親権者は、本来無制限の面会交流が可能で、でも、制約が必要な状況がある場合に、その申し立てをすべきというのが筋であって、つまり、制約の必要を考える側が申し立てるべきであるから、そうすると、よく聞く、「会いたかったら面会交流を申し立てよ」という、あれの不合理さがにじみ出てくる

会わせたくなかったら、面会交流を申し立てよ、が正解である

結果、却下するというより、やっぱり会い方のパターンは決めた方がお互いに自由になるわけで、結局、養育計画策定遵守にたどりつく


今日の本旨に戻ろう

本来、民法766条は離婚時の規定なのに、婚姻中別居時のものに類推適用がされるばかりではなく、むしろ、準用が明記されている離婚訴訟では、扱われないという実務の運用があった

いくら、面会交流の問題を準備書面で主張しても、まったく考慮されない

なぜなら、それが、裁判官の判断対象になっていないからである

なんだそれ、っていう、それを切り込んだのが、松戸判決である

おなじみの附帯処分の申し立てによって、離婚訴訟の裁判官が、面会交流を検討することが義務付けられている

裁判官の宿題に初めて位置づく


面会交流のことは、調停に持っていってね、といえば済んでいたことと違ってくる

離婚訴訟で、離婚判決をする裁判官こそが、面会交流のことを考えなければならなくなる


この地味だけど、簡単な手続き(子ども一人について1200円の印紙代でできる)によって、宿題をしなければならなくなった裁判官が、必死で考え始める

初めて考える

わからなくって、うっかり、「棄却」判決をしてしまうこともあるぐらい、裁判官は疎い(本来「却下」である)

この判断はおかしい、ということは控訴された高等裁判所の裁判官がわかるものの、家裁畑になじみがないからなのか、面会交流のことが全くわからない

附帯処分の申し立てをした代理人に、素朴に、面会交流支援機関の費用ってどうなの~なんて質問をしながら、初めて考えてみる

高裁でも調査官による調査をすることが可能なので、調査官にも相談してみたりする

ついに、高等裁判所は、直接交流に関する判断を判決に附帯して言い渡す

嘘のような本当の話である

なぜ、離婚裁判では、面会交流のことを何も考えないのだ、という憤りを解消する方法が、子ども1人について1200円でできる附帯処分の申し立てなのである

子どもの最善の利益を考える学びの場としての
離婚訴訟


令和の離婚訴訟の位置付けは、スクール化するということ

だから、離婚訴訟ラッシュ(8件くらいもってる?令和元年事件もまだ第一審中)でも、そうは負担にならない

既存の学びをベースに最新の動向を裁判官に伝えて考えさせる機会となる

国連のこと、EUのこと、法制審のこと、国賠のこと、、、各種文献からの論文

かつての離婚訴訟のイメージ(犬も・・・)は払拭され、子どもの最善の利益を考えるために、エリートたちが思考し、法に向き合い、個人の尊厳、子どもの権利の尊重を実現していく機会となる

どっちもどっちの誹謗中傷をする父母のどっちが親権者になっても不幸に変わらなければ、とりあえず生存確認ができている現状維持でいいかーという判断をしてきた裁判所の運用も、まー理解しうる

離婚訴訟は、もっぱら電話期日での対応が可能(最近ホームグラウンドたる立川でさえ、電話で進行協議するということさえある)なので、全国どこの裁判所でも引受可能である(ただし、尋問に際しては出頭が必要なので、交通費・日当は、そこだけは発生する)

新しい学びとなる離婚訴訟を引き受けることが可能なので、訴訟になること(高葛藤っていわれるんじゃない?っていうイメージ)を恐れすぎず、各調停においても戦略的に対応してもらいたい

お見事な戦術のはてに、小さくても一歩踏み出すのも正解


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