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法制審議会家族法制部会第11回議事録7~池田委員・佐野幹事・落合委員・小粥委員・窪田委員・大石委員・原田委員

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ウェビナーでは、11回と12回合わせて読むことになっちゃって

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○池田委員

 池田でございます。18ページの①について、親権を適切な語で置き換えることですとか、親権とは別に親子間に発生する親の責任や義務についても別途名称を設けて明確に規定するという方向性について賛成です。そういった置き換える用語を考えるときに、よく候補に挙がるのが「親責任」という言葉ですけれども、これをどこに当てていくのかということを考えたときに、仮に今の親権に当たるものを「親責任」と置き換えるとすると、今、養育費といった扶養義務というのは親権とは別物だと解されているので、「親責任」という広い意味合いを持つものから扶養義務が外れてしまうというのはやはり不都合だろうと思います。そこで、「親責任」という用語を用いるのであれば、(注1)で御指摘いただいているように、親子関係から当然に発生するものを広く「親責任」と呼ぶというのが適当なのではないかと思います。
 そうしたときに、今の親権に当たるものをどう位置付けるかだと思うのですけれども、これは概念整理の話になるかもしれませんけれども、私としてイメージしやすいのは、親責任というものが大きくあって、その下に扶養義務であったり、あるいは監護義務であったり、財産管理義務というのが直接ひも付いているというふうな形がイメージしやすいのかな、分かりやすいのかなと思っています。そうすると、親権の内容とされている監護義務ですとか財産管理義務というのも直接親責任にひも付けてしまえば、今の親権に当たるものというのは別途設ける必要がないのではないかという印象を持っています。
 仮にそう考えた場合に、監護義務というものの中身をどうするのかというのが多分、②の問題として位置付けられると思うのですけれども、監護義務に関しては現実のお世話というところがやはり特殊なものとしてあり、ほかの扶養義務とか財産管理義務とは違いますので、その現実の監護というものと、それから決定に関する部分というのを分けて考えるということは、確かに分かりやすいのかなと思います。ただ、これを別々の人が担うというのがいいのかどうか、これはまた次の議論かなと思っています。
 それから、③についてはやや、ここまで監護の部分を細分化するのが本当にいいのかどうか、複雑になってなかなか機能しないのではないかという懸念はあります。それから、④ですが、これは現在でも日常の監護に必要な対外的な法律行為というのを監護親が問題なくできているのではないかと思いますし、ですから、監護義務の中には一定程度の法定代理権も含まれているというのが運用といえるのではないかと思いますので、それを明確に法律で定めるということは適当な方向性かなと思っています。
○大村部会長 ありがとうございました。18ページに課題というところで出ている提案の方向性については基本的に賛成であるという御意見を頂いた上で、①から④までについて個別のお考えを聞かせていただきました。大きな枠としては、親責任というものを広い意味で使って、その中に様々な義務、責任を置く、現在の親権から出発する必要は必ずしもないのではないか、また、現実の監護と決定を分けて考えるべきだけれども、それを担うのが誰かというのはまた別の問題だという御指摘、それから、③については、更なる細分化については慎重に考えたい、④については明確化していくことについては賛成である、こういったことだったかと理解をいたしました。非常に具体的な御意見を頂戴いたしました。

 

○佐野幹事

 佐野です。私も①については賛成なのですが、③、④に絡むのかどうなのかという辺りで、具体的にこんなことが実務の現場というか、むしろ養護の現場で問題になっているというところからお示しできればと思っています。例えば③、医療の部分についても、どう考えるかというところで今問題となっているのが、向精神薬の服薬をどう考えるかというところが問題になっています。これが養護施設の判断、監護権の範囲でできるのか、親権者が反対していたらできないのかというような、医療というところをひとつ取ったとしても、そういう問題が出てくるということがあります。また、④についても、財産管理権と監護権だったら明確に切り分けられるのかと思いきや、赤石さんが今回、新聞を出していただきましたけれども、この給付金の関係、施設の子供の口座に入ったものを、親の方が財産管理権、自分に管理させろと言ってきているというような実情もあり、なかなか監護権と財産管理権も、監護権の範囲に入るものがあるとすれば、どこまでかと切り分けるのもなかなか難しいと感じているところです。
○大村部会長 ありがとうございます。佐野幹事からも基本的な方向性について、特に①については賛成だという御意見を頂戴いたしました。ただ、③や④については具体的な問題について、その切り分けが必ずしも簡単ではないということを意識する必要があるのではないかという御指摘を頂いたと理解をいたしました。

○落合委員

 この親権という言葉は変えた方がいいような気はずっとしてはいるのですけれども、親責任という言葉、これは英語で聞くと何かもっともな感じがするのですけれども、日本の文脈で今これを使ったときに、子供の養育は親の責任である、家族の責任であるという言い方も今あるわけですよね。ですから、社会的な責任とか国の責任ということと対立して理解されると困ったことになるなと思って、それを危惧しています。基本的にはオーソリティよりリスポンシビリティだろうと思うのですけれども、今のこども庁にこども家庭庁と名前が付くというような状況で、責任という言葉の方が意外と重く親にのし掛かるものとして、今の日本の文脈で思われないかなというのが少し気になるところです。でも、どちらがいいというのははっきり考えが決まらないのですけれども。それから、本当はその中身を分けて別の人が持てるようにするというのが、理論的には正しい感じがするのですけれども、実務としてそれは難しいという、何も決まらなくなるということも想像できまして、だから、そこもなかなか難しいなと思っております。はっきりした意見でなくてすみませんが、そのように考えました。
○大村部会長 ありがとうございます。2点御指摘を頂いたかと思います。親権という用語を変えるということには賛成であるけれども、親責任という言葉が持つ別の含意にも注意する必要があって、重すぎるものがのし掛かることにならないだろうかというような御指摘を頂きました。それから、様々な責任ないし権限が分属すると考えたいけれども、しかし決定ができなくなるという事態を避けなければいけないということも理解できるので、その辺のバランスを考えなければいけないという御指摘もいただいたと思って伺いました。

○小粥委員 

 小粥でございます。既に私の申し上げたいことが落合先生におっしゃっていただいたので、重なってしまって恐縮なのですが、一つ目は、18ページの①の権利ではなくて義務とか責任を強調する方向性ということ自体は基本的には異存ございませんけれども、落合先生がおっしゃったとおり、親だけの責任、あるいは親だけが子育てを担うのだというようなことになると、やはり問題はあるのだろうと思いますので、国が親責任を負う親をサポートするというようなことを民法という法律の中に書きにくいような気もするのですけれども、でも、その辺をうまく手当てするということは、社会へのメッセージということを考える場合には大事になってくるのではないかと思ったと、これが一つ目です。
 二つ目のことは、権限の分属とか、それから仕分ということ、あるいは前半で議論された第三者が関わってくる子育て、あるいはたくさんの人がネットワークのように関わる子育て、共通して問題になることですけれども、たくさんの人が関わるという可能性があるのだとすると、船頭多くしてうんぬんということでもありますけれども、決め方を、明治民法のように家長が決めるということがよいというつもりはないのですけれども、誰が一番責任を持つのかとか、話がまとまらないときにどう決めるのかということを考えるということはとても重要で、いろいろな人が出てくると決まらなくなるからよくないというだけの方向ではなくて、決まらなくなった場合にどうするのかを考えることも必要ではないかと。以上、2点でございました。
○大村部会長 ありがとうございます。前の落合委員の発言と関わる形で御発言を頂きましたけれども、親の責任に関して、国の関与ということを民法に何とかうまく書き込めないかということを考えていく必要があるのではないかというのが1点と、それから、決まらないということが困るというのはそうなのだけれども、まとまらない場合の決め方を定めておくという観点も必要だろうという御指摘を頂いたかと思います。

○窪田委員

 窪田でございます。2点発言させていただけたらと思います。
 1点は、まずここで示していただいている方向、この第4の部分というのは言葉の問題であると同時に概念の問題であるのだろうと思います。概念の関係を整理していただくというのは大事な課題であって、それは絶対にやらざるを得ない部分なのだろうと思います。特に親権と監護権の関係というのは多分、この中にも詳しく書いてもらっているように、財産管理権プラス身上監護権イコール親権だよね、だからそのうち監護権だけ外に出したら財産管理権だけが残るよねと、そんな単純なものではないというのははっきりしているのだろうと思いますので、言葉の問題とは切り離して、とにかくその関係について明確にしていく必要があるのだろうと思います。言葉の問題と切り離してと少し申し上げましたのは、どちらが先でもいいのですけれども、多分、言葉の問題はある意味、ものすごく分かりやすくて面白いものですから、そこにはまってしまうと、なかなか実際の具体的な話に行かずに、そちらの方にだけ焦点が当たってしまうのかなという気もしながら伺っておりました。これが第1点目です。
 第2点目なのですが、第3の③の辺りについて、こんなに細かく分けることは難しいかもしれないということで御指摘がありましたし、この資料自体もどちらかといえば、非常に体系的に様々なものを分類して、領域を整理し直して、監護権なり、監護なり親権なりを再整理するというイメージがあるのかとは思います。ただ、それほど頑張らなくても、通常の親権、監護権についての一般論としての規律とは別に、例えば医療の分野においてどういうふうな形で同意を与えるかとかといったことについては、特則として置くということは十分に考えられるのだろうと思います。というのは、従来からも医療における同意というのがそもそも親権の行使なのかどうなのかはっきりしていなかったというようなこともありますし、例えば、親権者には指定されておらず、監護者にもなってはいないのだけれども、実際に同居する親というのがいる場合に、多分その親の同意というのは緊急性が高い治療とかにおいては必要だし、恐らくそうした場面では妥当なのだろうと思うのですが、そうしたことを支えるルールというのが用意されていなかったという点からすると、私自身は、親権とか監護権の概念を体系的に整理する中で一定のものを切り分けるというよりは、今までうまく行かなかったものをある程度ピックアップして、それについて特則を設けるという意味での、③のような行き方というのはあるのかなと感じました。
 以上、2点です。
○大村部会長 ありがとうございます。窪田委員からは議論の仕方について御指摘を頂いたと理解をいたしました。まず一つ、用語の問題と概念の問題とがあるのですけれども、概念の方をまず固めていくということが非常に重要なのではないかという御指摘があったかと思います。それからもう一つに、細かく分けた上で一般論を再構築するという思考方法をとるのではなくて、個別の問題に即した形で特則を考えるというアプローチもあってよいといった御指摘を頂いたと理解をいたしました。ありがとうございます。

 

○大石委員

 千葉大学の大石です。落合先生がおっしゃったことにおおむね同意ということを申し上げたいと思いました。ただ、親責任という言葉、責任という言葉が法律の世界でどういうふうに捉えられてるのか、私はよく分かっていないのですけれども、いろいろな捉え方もあるようです。ですので、むしろ「親の権利及び義務」ですとか、「監護者の権利及び義務」ですとか、そういう表現のほうがはっきりするようにも思います。少子化が進んだ今の社会では、親だけで子供が育てられるわけはなく、国の関与ですとか様々な社会システムからの支援が必要だという状況を踏まえますと、親だけが子育ての責任を負うというような印象を与えるような言葉を使うのは多少問題があるのではないかと考えております。①の部分についてだけ意見を申し述べさせていただきました。
○大村部会長 ありがとうございます。大石委員からも、やはり責任という言葉が持つニュアンスとか含意があるのではないかということで、別の言葉で置き換えられるのならば、置き換えることを考えた方がいいのではないかという御指摘を頂いたと受け止めました。

○原田委員 

 私も、池田委員の意見に大体賛成なのですが、一つは、財産管理権と法定代理権という言葉が出てきますけれども、監護に必要な法定代理権あるいは財産管理権は監護の中に含ませて考えるというような整理の仕方でないと監護が十分できないのではないかと、そういう整理の仕方をどうやってすればいいのかよく分かりませんが、そういうことを思いました。それから、責任という問題が、誰に対する責任かというのは、これは子に対する責任なのだろうと思うのですけれども、そうすると、その責任の対象である子は親に対してどういう請求ができるのか、あるいはそれを拒めるのかとかいう発想も必要なのかなと。面会交流のときにそういう話が少しありましたけれども、面会交流しない親に面会交流を要求できるのかとか、いろいろな、責任の対象がどう考えるのかというのを、まだ私も整理が付いていなくて、そこを疑問に思っております。
○大村部会長 ありがとうございます。2点御発言があったかと思いますが、1点目は18ページの④のところで、先ほど池田委員からも御発言がありましたけれども、監護のために必要な代理権があるのではないかという前提で実務は動いているように思うのですけれども、それをうまく説明できないかということなのかと思って伺いました。それから、責任という言葉の当否が問題になっているけれども、責任というときにはその責任の相手方が考えられるので、相手方が持つ権利がどういうことになるのかということも考えなければならないという御指摘を頂きました。

 

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