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#子どもに優しい親権制 学ぶ

以前より、二宮先生の教科書から、学びを得ている。

最新の教科書においても、親権を親として子に配慮していくという概念として捉えながら、単独親権制の弊害、共同親権制導入への言及をしていた。

少し古いが2007年の書籍も手に取ってみた。

第3章 家族のメンバーチェンジー離婚、再婚、親子の交流ー

家族法について平易な言葉で解説しようとするトライアル自体好感がもてる

離婚、再婚、親子の交流とは、「家族のメンバーチェンジ」ということができるとは!ずいぶんと悲壮感が軽減される。それでいいと思う。

離婚や財産分与等に関する項目で解説した後に登場する「子どもへの配慮」が親権制に関する記述だ。今日は、ここを読み解いていく。

子どもへの配慮ー親権者の決定と養育費

最初の一文から、子どもを守るための制度について解説することが伝わってくる。

どうすれば、子どもが親の離婚を乗り越えていくことができるのか、親や周囲の大人たちが配慮する必要がある。

そして、親権者の定め方を解説する。

家庭裁判所が親権者を定める場合の考慮事由として、①監護能力の他に、②監護の実績・継続性、③子の意思の尊重があげられる。その他、最近では、④面接交渉の許容性(寛容性)や⑤奪取の違法性も、親権者の適格性を判断する重要な要素になっている。④は、離婚後、親の他方と子の交流を認めることができるか、他方の親に対して寛容になれるか、元夫婦としての感情と切り離して、子に相手の存在を肯定的に伝えることができるかどうかということである。⑤は、勝手に連れ去らないと合意していたのに無断で連れ去る、同居している親に対して暴力をふるって実力で子を奪うなど、子を奪取した行為に違法性がある場合のことである。その後、子が奪取した親の元で安定した生活を送るようになっても、それは奪取の結果であって、必ずしも追認されない

不思議だ。民法766条改正前の、まだ「面接交渉」と呼ばれる時代において、すでに寛容性の原則が言及され、子が違法に奪取した親の元で安定した生活を送るようになっても、追認されないといって、継続性の原則を否定している。2007年はそういう運用だったということだろうか。大変興味深い。

そして、次のように続く。

 子が乳幼児である場合に、母親を優先することや、兄弟姉妹を分離しないことは、最近は重要な考慮事由とされていない。経済的能力も監護能力の一内容であるが、重視されない。また婚姻破綻の有責性は親権者としての適格性とは直結しない。・・・要は、どれだけ真剣に子の利益を考えているか、親子の絆を形成しているかが問われるのである。

母性優先、きょうだい不分離、経済力、あるいは、有責性を考慮しないで、どれだけ真剣に子の利益を考えているかを重視するという解説は聞こえはいいし、実務でも肯定しうる面もありえるが、この12年の実情と果たして合致しているといえるだろうか?混沌を感じる。

続けて解説する項目は、子どもの奪い合い だ

別居中あるいは離婚後に、別居している親(以下、別居親とする)が同居して子の監護・教育をしている親(以下同居親とする)の下から、子どもを連れ去ることがある。・・・この種の紛争は、親権をめぐる争いと一体となっているからである。

子どもの連れ去りに対する言及だ。しかし、連れ去るのは別居親ということになっている。しかも、別居・離婚後。これは怪現象に思う。現在においては、別居親(離婚前後を通じて)、物理的に連れ去るのが困難という状況に追い込まれる。一生会えなくなるリスクを冒すことができないこととあいまって、なかなか、別居親の連れ去りを問題とする事象自体、お見かけしない。

今、子の連れ去り、と語られるのは、同居・離婚前に、一方親の独断で子を連れて別居を強行する例をいうだろう(正当な理由がある場合もあるだろうが、子との暮らしを絶たれた側からするとそのように表現しがちだ)。何か、時空の捻じれに引きずり込まれたようにも思う。この12年に何があったか。

続く次の解説は、現在にも通用するかもしれない。

 一方が実力行使をして子を確保する背景には、監護実績を作り、親権者に指定してもらおうという気持ちがある。親権者になれないと、子と会うことができなくなるのではないかという不安がある。親権者決定後の親子の交流を期待できないことが、親権をめぐる紛争をより激しくさせ、子の奪い合いを熾烈にさせている

連れ去り、断絶するから熾烈に対立するという指摘だろう。

そして、どうなるか。

しかし、裁判中の当事者の不安感・緊張感は大変なものであり、紛争中の親に監護される子は日々その緊張感にさらされ、ストレスを受けている。紛争の存在や長期化により、別れている親に対して子が厳しい拒絶感を持つにいたり、親権どころか親子の交流も困難になる場合も少なくない。

片親疎外症候群を発症するということだ。そして、子どもの奪い合いという項目では次のように締めくくる。

無用な紛争を防止するには、民法に離婚後の共同監護や親子の交流に関する規定を設け、単独親権によって子を独占できるかのような思い込みをなくす必要がある。

共同親権の法改正まで要請はしないが、共同養育の趣旨を反映させる民法766条法改正を導く言及である。次の、監護者を定める制度の項目で補足する。

・・・欧米では、離婚後も父母双方に子の養育についての責任があることから、離婚後も共同監護を原則とし、・・・日本の現行法の下でも、親権者と非親権者の協力が可能であり、それが望ましい場合には、父母の協議や調停で、親権者は一方とするが、父母双方を共同監護者とする旨、取り決めることは可能である。実質的な共同監護を実現する機能があり、それによって離婚後の親子の交流を安定させることができるように思われる・・・。

まして、民法766条の改正が実現した。現状、共同監護権は法制されているといえる。しかし、なぜそういう運用が徹底しなかったのか。この12年で失われた子どもの命、心、未来を想像すると、法曹の怠慢を知る。

さて、親権制についての議論は、章を変えて深まっていく。

第5章 人の世話をすること

つづく

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