「百合ヶ浜へのあしあと」Part1
今日は日曜日。
バタバタしている平日の勤務と違って、かなり時間があるような気がする。
「……なんか、いつもより暇……ですねぇ」
少しゆったり、というよりは、かなりゆったり、という感じ。
「そうね、検査とか入浴介助とか、他の部門がお休みだからね」
くすっと笑いながら、なぎさ先輩が言う。
あ、そうそう、自己紹介を忘れていました。わたし、沢井かおりといいます。百合ヶ浜総合病院というところの内科病棟で働いている、新人看護師です。
そして、わたしの隣に座って、書きあがった記録を片付けているのは、藤沢なぎさ先輩。なぎさ先輩は高校の先輩でもあって、こうして看護師として一緒に働けるなんて、わたし、感無量!
「検査もなくて、介助が必要な入浴者もいない。シーツ交換は患者さんからの希望がない限りナシ。で、記録はもう終わった」
意味深な目のなぎさ先輩が、にっこりと笑う。
「正直、次にあたしたちがやらなきゃいけないことなんて、夜勤さんへの申し送りくらい。そして、その夜勤さんはしばらく来ない。さて、ここで沢井ならどうする?」
「えっと……」
答えを求めて詰所の中をキョロキョロしてみると、ドクターデスクに向かっていた主任さんと目が合った。
大塚はつみ主任さんは、ちょっと厳しい主任さん。ミスをする度に、いつも叱られてるんだけど、ちゃんとケアとかできた時は、にっこり笑顔で褒めてくれるの。
けれど、主任さんは目が合っただけで、何も言う様子はない。
「……えっと、主任さんの仕事を手伝う……?」
「んもー、沢井ったらおバカ。さ、立って! 行くわよ?」
手を引かれて立ち上がる。
「行くって……どこへ?」
なぎさ先輩はニコッと笑った。
「患者さんのベッドサイド」
☆ ☆
廊下を歩きながら、なぎさ先輩が説明してくれた。
「こういう暇な時間って滅多にないんだから、これは患者さんとコミュニケーションを取る絶好の機会だと思わなきゃ!」
そうか……。
考えながら、患者さんひとりひとりの顔を思い浮かべる。たしかに、いつもは患者さんとゆっくりお話しすることもできないよね。
うんうんと頷いていると、トイレからあみちゃんが出てくるのが見えた。
「あみちゃん!」
なぎさ先輩が声をかけると、にっこりと笑って駆け寄ってきてくれる。
「なぎさん! かおりんさん!」
浅田あみちゃんは高校生の女の子の患者さん。4月1日に入院してきて、まだ新学期には一度も学校に行けてないの。
「検査がなくて暇そうねー」
「うえーん、退屈ですー。そう言うおふたりは……もしかして、お暇なんですか?」
あみちゃんのキラキラした目が、わたしたちを交互に見ている。構って、と、全身でお願いされているような、くすぐったい気分になって、わたしはなぎさ先輩を見た。
「そうね、暇、と言っちゃえば、暇、かなっ」
なぎさ先輩が悪戯っぽく笑ってる。
「わたしたちはともかく、あみちゃんもさ、4月1日に入院しちゃって、学校行けなくてつまんないよね」
ちょっとだけフォローするつもりで、そう言ってみた。
……けれど。
「うん……そうですね」
今までの満面の笑みが消えて、ちょっと悲しそうに微笑むあみちゃん。
……あれ? もしかして、今のわたしの発言、地雷だったかも。
「ちなみに、あたしの高校時代は輝いてたわよ~? どう? 聞きたい?」
わたしのKYな発言をフォローして、なぎさ先輩があみちゃんの鼻の頭をツンと突付く。
「聞きたいですっ!」
まるで空気を読んだかのように、きゃっきゃと楽しそうにあみちゃんもはしゃいでいる。
「じゃあ、あみちゃんのお部屋にれっつごー!」
そんなこんなで、わたしたちはあみちゃんの病室、306号室に移動することになった。
☆ ☆
306号室は6人部屋で、子供の患者さんばかりの病室。
「さ、どーぞどーぞ!」
あみちゃんに丸椅子を勧められて、なぎさ先輩と一緒に座る。勤務時間中なのに、いいのかなーという気分になるけど……い、いいんだよね? こうして患者さんとお話しするのも仕事だし、これはこれでいいんだよね?
あみちゃんはベッドの上に正座して、もう聞く気満々!という感じ。
「あたしと沢井は、高校の時、一緒だったのよ」
「へー、そうなんですかー」
「あの時は楽しかったなぁ……。あたしが生徒会長やって、沢井があたしのゲボク!」
遠い目で懐かしそうに語り始めたなぎさ先輩。
「なぎさ先輩、わたし、ゲボクじゃないです」
「じゃあ、メイド」
「むうう……」
あみちゃんがクスクス笑っている。
「生徒会室に行くと、沢井が『お帰りなさいませ、お嬢様』って言ってくれてたのよ」
「そんな記憶、わたしの脳細胞の片隅にも記憶されてないんですけど」
なんだか、なぎさ先輩とふたりで漫才でもしているような気になってきた。
「じゃあ、あたしがいつか見た夢かしら? そんなことがあったような気がするんだけど……」
「なぎさ先輩のゆがんだ願望じゃないですか?」
言った途端に、ほっぺをムニッと抓まれる。
「可愛くないことを言う口はこの口かしら~?」
「ごめんあひゃい、ごめんあひゃい」
あみちゃんはケラケラと笑っている。
ちょっと痛いけど……入院患者さんの気分転換になるんなら、これはこれでいいかな。
「高校時代ってさ、ココロが一番柔らかい時期だから、辛いことも嬉しいことも、感じることは全部倍くらいに感じるんだよね……てか、振り返って考えると、あたしの時はそうだったな」
またなぎさ先輩が遠い目をしている。
「そういうのってありますよね。当時のわたしは真剣に悩んでたのに、今思うと、あんなに悩むようなことじゃなかったような気がします」
「あれ? 沢井でも悩んでたことなんかあったの?」
ぺっとボトルのお茶をコップに注いでくれていたあみちゃんが、くすっと笑った。
「……ひ、ひどいです……」
「まぁまぁ、かおりんさん」
優しいあみちゃんからコップを受け取って、チラッとなぎさ先輩を見た。
「……なぎさ先輩もね、昔は優しくて頼もしいお姉さまだったんだけどね、今は……」
「ふふふー、もう一度、言ってごらんなさい?」
なぎさ先輩に、またほっぺをムニッとされた。
「にゃ、にゃぎしゃせんふぁいは、今も昔もふてきなおねーさまれすぅ」
「よしよし、沢井は可愛いわねー」
今度は肩を抱いて、頭をナデナデしてくれる。そんなわたしたちの様子を見て、あみちゃんはクスクスと笑ってる。
「で、実際のところ、おふたりの高校生活ってどんな感じだったんですか? わたし、聞いてみたいです!」
わたしたちは思わず、顔と顔を見合わせた。
それから、くすっとふたりで笑い合う。
「あたしと沢井はね、同じ生徒会でも名物コンビだって言われてたわ」
「学年が違うから、あんまり一緒にはいられなかったけど、なぎさ先輩が卒業するまで2年間、放課後はずっと一緒だったの」
☆ ☆
わたしの記憶は一気にあの頃へと駈け戻る。
夕日が差し込む生徒会。他の生徒会役員と一緒にアンケートを纏めてるなぎさ先輩。細かい作業らしくて、眉間にしわが寄ってるのが気になった。
ふと思いついたわたしは、自販機でジュースを買って、なぎさの頬にピトッ……てくっつけてみたんだっけ。
「ひゃっ!?」
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