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酔狂がたり


「と、いうわけでぇ、堺さんの入職のプチ歓迎会を始めたいと思います! 乾杯の音頭は、主任さんにお願いしまーす!!」


 なぎさ先輩の声に、やんややんやと響く声。
 今日は常勤のみんなが日勤だったことで、就業後に堺さんのプチ歓迎会をすることになったの。
 バイトさんや派遣さんも参加した、病棟の正式な歓迎会は後日することが決まってるんだけど、一足お先に、取り敢えず、って感じでね。
 みんな思い思いの格好でくつろいでいる。
 ──のはいいんだけど、なんで場所がわたしの部屋なんだろう?

「あら、藤沢さんったら、もう酔っぱらっているの?」
「やだなー、いくらあたしでも乾杯前に酔いませんよー」
「うふふ、わたしは雰囲気に酔いそうだわ。音頭を取るだなんて、柄ではないのだけれど」

 柄じゃないと言いながらも、主任さんはまんざらでもなさそうだ。なぎさ先輩とにこやかに談笑しながら立ち上がっている。
 チラッと隣を見ると、居心地が悪そうに堺さんがもぞもぞしてた。

「おや、お嬢、トイレか? 沢井、トイレに案内したり!」
「トイレじゃありませんっ!!」

 真っ赤になって、堺さんが山之内さんに反論する。
 ああ、そんな反応、山之内さんの思うつぼなのに……。
 そう思いつつも、それを教えてあげることはしない。
 だって、その内わかることだから。
 それにもう、堺さんは百合ヶ浜総合病院内科病棟の一員。
 主任さんのお説教(これは堺さんにはあまり関係ないかな)や、山之内さんのセクハラ発言や妄想小芝居には、嫌でも慣れるしかない。
 そう! 言い忘れてたけど、病気が寛解した堺さんは、看護学校に復学し、免許を取って、わたしたちの同僚として百合ヶ浜に戻ってきてくれたの!
 それってすごいことだよね!!

「えー、コホン」

 立ち上がった主任さんが咳払いをした。
 途端に場がシンとなるのは、条件反射ってものなのかもしれない。

「まずは、堺さん。……おかえりなさい」
「……は……い」

 主任さんの言葉に、一瞬にして目を潤ませた堺さんが、涙混じりになった声で、深く頭を下げる。

「辛い治療だったと思います。その治療を乗り越えて、更に、休学の後に復学したことによって後輩たちに混じって実習をこなすなんて、相当、居心地が悪かったでしょう。それなのに、無事に卒業、国家試験もパスして、看護師として百合ヶ浜に戻ってきてくれたことを、共に働く百合ヶ浜総合病院内科病棟看護師主任として、また、先に看護の道を歩んでいた一看護師として、嬉しく、そして、誇らしく……」
「んもー、主任さんってば、かたい、かたい、カターイ!! せっかくのプライベートの飲み会なんだから、もっと柔らかく、やわらかーく!!」

 主任さんの発言を遮って、なぎさ先輩がわめく。
 その言葉尻に乗って、山之内さんがニヤリと笑った。

「せや、藤沢、よう言うた! 主任はカタイねんよなぁ、乳はデカくて柔らかいくせに!」
「山之内さんっ!」

 たしなめるような主任さんの声にもひるまずに、山之内さんどころか、なぎさ先輩まで悪乗りしてる。

「ってことは、主任さんのおっぱい、触ったんですか!?」
「おー、仕事中にちょこっとやけどなー。あんなデカいモン胸にくっつけとるから、ごくごくたまーに、腕が当たったり、手が触れたりしよるねん。ラッキーやろ?」
「ほほー」

 なぎさ先輩と山之内さんのニヤニヤしながらの会話に、主任さんが怒ったような困ったような顔で頬を染めている中、ポツリと堺さんが言った。

「……わたし、学校で聞いたことがあります。そういうの、ラッキースケベって言うんですってね」

 は!?
 いきなり何、言い出すの、堺さん!?

「おおお~、ラキスケがわかるあたり、お嬢とはエエ酒が飲めそうや!」
「あ、あの、山之内さん、わたしのスピーチがまだ終わっていないのだけれど……」
「だから言うてるやん、カタいんはナシ! 柔らか~く行こう! ちゅーことで、かんぱーい」
「待ってました! はい、かんぱーい!!」

 山之内さんとなぎさ先輩がビールの入ったグラスを掲げて、わたしもそれに続き、堺さんがオレンジジュースを、渋々と主任さんがビールを持ち上げる。
 結局はこうなるのね……。
 総勢五名の内輪だけの歓迎会。
 前置きのスピーチを途中で遮られた形になった主任さんは不満そうで、主役の堺さんはアルコールはまだダメってことでオレンジジュースを手渡され、これまた不満そうだ。
 なぎさ先輩と山之内さんは、堺さんそっちのけで、ひたすら主任さんのおっぱい談義に話を咲かせまくりの上機嫌で、競うようにビールを呷っては、お互いのグラスに注ぎ合ってる。

「ごめんね、堺さん、主役なのにオレンジジュースで」
「……いえ、いいんです。まだしばらくはアルコールを飲まない方がいいのは自分でもわかってますから」

 ぷいっとそっぽを向かれた。
 ううっ、取り付く島がないのは相変わらずだなぁ。

「うぉおい、沢井ー! 飲んどるかー!」

 突然、山之内さんに背後から飛びつかれて、ビールが床に零れた。

「ちょっ、山之内さん、あたしの沢井になんてことしてくれてんですか! 沢井ぃ、大丈夫? 骨は折れてない? 内臓も潰れてない?」
「くぉら、藤沢! 言うにこと欠いてなんちゅーこと言うてんねん! まるでうちが巨デブみたいやんか、人聞きの悪い!」
「あーらやだ、山之内さんは人聞きが悪いんじゃなくて、酒癖が悪いんですよねー、あと手癖と」
「あぁ!? ウシ沢~、酒癖と手癖が悪い、っちゅーんはなあ……」

 わたしの背中に乗っかったままだった山之内さんは、いきなりその手を前に持ってきて──。

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